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上司から口出しされてムカついたら、それは「責任に対する保険」と思おう

■ 役職者は一般職員には理解されにくい


昨日は管理職の役割は「責任」をもつこと、という趣旨の記事を投稿した。

何だか愚痴っぽい記事となってしまったが、経営者や役職者と言うのはワンマンだとか好き勝手していると揶揄されがちだが、割と職場の人たちには自主性と積極性をもって働いて欲しいと思っている。

しかし、現代の働き手の多くは挑戦意欲はあれど、どうしても安定を求めている傾向にある。そのため、熱血ドラマにおける「責任は俺がとる、好きにやれ!」みたいな、上司が部下を鼓舞するよう鼓舞する場面はほぼない。
むしろ「この手順通りにやれば、うまくいくよ」「困ったら何か言ってね」みたいなライトな関係性を示している。

また、個人のスキルに依存するよりも、職場全体で達成すべき目標を共有し、チームとして役割を分散するスタイルが当たり前になっている。
経営者や役職者が気にするのは事業の発展とトラブル対策であって、トップが独断で進めるメリットはほぼない。

それでも、重要な場面においては「責任」という役割を背負って矢面に立つこともある。言い換えれば、職員が安心して働けるように振る舞うことも役職者の役割の1つとも言える。

しかしそれは、役職のない一般職員からすれば不透明な役割である。そのため、上の立場になるほど平時においては「ウチの上司は何もしない」「上の人に口出しされると困る」「もう少し自由にやらせてほしい」と陰口を言われることだって珍しくない。

これもまぁ、役職ある立場の定めというか仕方ない部分であると言える。


■ 口も出されず、自由に仕事ができたほうが良い?


それにしても、上司の役割は一般職員に伝わりにくいのは仕方ないとして、「口を出されると困る」とか「自由にやらせてほしい」というのは、いささか首を傾げたくなる。

いや、言いたいことは理解できる。自分が頑張ってやっていることに口を出されたり、今までやってきた作業手順を指摘されるのは不愉快なものだ。また、自分なりのやり方で成果を出せれば気持ち良いだろう。

しかし、そのような思いを汲んだとして、仕事において何も口を出されなかったり、上司から「自分が思った通りに自由にやっても良い」と言われたらどう思うだろうか? 

これは少し嫌な言い方をするが、例えば上司に相談をしたときに・・・

「あなたは口を出されると困るのでしょう? 自由にやらせてほしいのでしょう? ならば、私に相談しないで独りで進めればいいよ」

・・・と返されたらどう思うか? と考えてみても良い。

もちろんこれは、上司の態度としても職場のあり方としても問題である。
労基に突っ込まれたらグゥの音もでない、あくまで例え話だ。

しかし、例え話とはいえ、役職者に「口を出されたくない」「自由にやらせてほしい」のご期待に沿うことになると、担当する役割を1から10まで独りの力で遂行しなければいけない。それはもはや、組織の一員というよりもフリーランスや個人経営のような働き方になる。

つまり、口を出されることなく、自分の思ったとおり自由に仕事を進行するということは、その仕事の「責任」をすべて個人で負うということだ。

そのような働き方は、果たして不安なく充実できるだろうか? 
口を出されず自由を手にできるが、その代わりに「責任」を負うことに魅力を感じるだろうか?


■ 多少の不自由さは「責任に対する保険」


おそらく誰もが責任を負うのは嫌だと思う。私だって積極的に責任を負いたいなんて思わない。できればトラブルは少ないほうが良い。

となると、誰が職員個人の仕事に対して責任を負うことになるのだろうか?
――― それはもちろん、職場の上司などの役職者である
。それは経営者も同様であり、間接的又は直接的問わず責任を負うことになる。

このようや役職者が責任をとるためには、トラブルや問題に発展したときに適切に対応するように日常的に職場全体の状況を把握する必要がある。

職員が個々に誰からも助言や指摘もなく、自分たちのタイミングや考えで仕事をしていると、何かの事態になったときに迅速に対応することが困難になる。

それどころか、その担当をした職員個人に対して直接的に責任を求められる可能性だってある。実際、職員個人に責任を求める訴訟は存在する。

そうならないために、会社といった組織には役職者が配置され、そこで働く職員に責任を負わせないようにしているのだ。それもまた、職員が安心して働けるための体制であるとも言える。

このように考えてみれば、上司などから口うるさく言われることや、多少の不自由を感じたとしても、それは責任を免れるための「保険をかけている」くらいに考えてみても良いのではないだろうか?


――― 某錬金術師の漫画に「何かを得るためには、同等の対価が必要」というセリフがあるが、本記事の内容もまさにこれだと思う。

口を出されずに自由に仕事をするならば、その責任は個人が負うべきだ。
好き勝手やって問題があったら上司や会社に任せるというのは、それは虫が良すぎる話である。

一方、わずかでも責任を負うことが負担ならば、口を出されたり横やりを入れられたりと不自由さを感じても、それを進捗報告のようなものとか、仕事の質を確実に保つために必要な工程と思って受容すべきだ。

いずれにせよ、何かしらの事態になったら上司や会社が責任を負うことになるとはいえ、やはり組織に在籍するということの意義、総合力として成果を出すこと、そして責任の分散および軽減を考えたとき、社会人のあり方としては多少の不自由さも甘んじて受け入れることが筋ではないだろうか。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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