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好きだった人のFacebookを見て有りもしない過去を想像する深夜

以前、「初恋が怖い」という文章を書いた。「初恋の彼がずっと夢に出てくるよ」というもので、読んでも「はあ、そうですか」という感じの内容なので、まあ、別に読まなくていい。「初恋の彼がわたしの夢にいまだに出てきまーす☆わりと引きずるタイプの重たい女です☆彡」という情報だけ覚えていて欲しい。

おととし、わたしはこの初恋の彼とfacebookで友だちになった。


わたしは成人式にも同窓会にも出なかったので、彼がどんな人生を歩んでいるのかは全く知らない。高校時代に一度だけ会い、とある大学に行くと言っていたが、その後すぐ中退したと誰かから聞いた。

一昨年の大晦日、仲良くしていた同級生とご飯を食べることになり、その時に「あの人、結婚したよ、facebook更新してた」と言われて「マジかよ!知らないよ何それ!私もその情報を知りたい!」と、その場のノリで友達申請をした。

何日かして、無事、友だち認証された。元カノをすんなりと認証してくれるなんてマジでいいやつだな。
速攻で彼の投稿を見る。本当に結婚している。それに、知らないうちに全然知らない人生を歩んでいるし、顔は全然変わってないけど年を取っている。わたしもきっとそうなんだろうが、大人の顔になっている。

とはいえ、もう既婚者だし、間違って「いいね!」ボタンを押してしまうのも怖かったし、そもそも元カレをネトストするのは未来がないし、見るのを控えていた。

ある日、「彼のFacebookの投稿を一から読んでみよう」と思い立った。将来への漠然とした不安に襲われると、こういうことをしがちだ。大学時代にも、彼のツイッターを突き止めて、全部さかのぼって読んだ経験がある。自分でも狂っている行為だとは思うが、漠然とした不安の中で好きだった人の人生を覗き見すると、なぜだかちょっと安心するのだ。

そしてわたしは、深夜、彼のFacebookをくまなくチェックする。幸いなことに彼の更新頻度はそこそこ高く、見ごたえがある。旅行に行った、ディズニーに行った、自転車でここまで走った、誕生日を迎えたなどの特別な投稿から、仕事が疲れた、料理を作ったなどの日常的な投稿もある。その一つひとつに「そうだったんだね」「すごいね」「楽しそう~」と心の中で反応する。

それから、この話をリアルタイムで聞いていたら自分がどんな反応をするのか想像する。わたしのいなかった過去に、わたしを召喚する。ありもしない過去の中に、わたしはいる。

インターネットは便利だ。こうやって知ることができなかった彼の人生を好きな時間に好きな場所で追体験できる。

彼の人生を見たからといって、変わることはない。だからなんだという話だ。わたしは自分のこれまでの人生がわりと楽しかったことを誇りに思っているし、今も過去にも、わたしの隣に彼がいなかったことになんの不自由も感じていない。

けど、「何かが違えば、この隣にいたのはわたしかもしれない」と思うことで、そうなった場合に消えてしまう今の人生と、あったかもしれないもう一つの人生を想像する。この人生ではなかったような経験が、見れなかった景色が、思い出が、感動があったんだろう。

けど、それを選んでいたら今の自分にはなっていなかった。わたしは今の自分が割と好きだし、恋人のこともとても好きだ。夢もそこそこ叶っているし、好きな友人もたくさんいる。それでいいじゃないか、過去の自分は間違っていなかったし、わたしは現状に満足している。

わたしはいつもそこで「なんだかんだ、今の人生ハッピーじゃん。こんなこと考えても仕方ないから寝よう」と携帯を閉じる。ありもしなかった過去に手を振って、彼の幸せを祈りながら。

応援があると人は強くなる。例外なくわたしもそのはずです。