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今後僕と関わる方へ ~22年分の伏線を30分で回収する自己紹介~

名は体を表す、なんて言葉があります。

名前にそのものの本当の姿が表れている

という意味の慣用句です。

んなアホな。そう思う方もいるかもしれません。僕も自分の名前が「大石ぷりん」とかだったとしたら、そう思ったかもしれません(全国の大石ぷりんさんすみません)。

しかし実際には、これまで僕が生きた22年間は、まさに名前に吸い寄せられるような内容でした。無意識のうちに。

名前の通りの信条を持ち、それにふさわしい仕事を天職だと感じていて、もはや死ぬまでブレないであろう軸を持っています。

それに気づいた時には、ゾワっとしました。


その僕の名前というのが、
久高 諒也(くだか りょうや)です。


この記事は、僕の「これまで」と「これから」を語って、最後に名前に込められた意味を回収する形になっています。自己主張の激しい、1万字に迫る全身全霊の自己紹介でございます。

全部読むのは、骨が折れるかもしれません。

ですが、僕のことをしっかりと理解していただいてから、僕と関わるか関わらないかを決めるのが一番良いと考えてのことなのです。

もしここに書いたことを、じっさい会って話そうとしたら、さわりだけで3時間はかかると思われます。それよりはきっと、お互いにとって、時間の節約になるはず。

それに、僕は人の話を聴き、書いて伝えるプロです。


だから、もしあなたと会うことがあれば、僕は聴くことに専念したい。それが僕にできる一番のギブだからです。

そして、もしクライアントになっていただけるのなら、僕はあなたの魅力を引き出し、それを効果的な形で伝えることに集中し、全力を尽くしたい。


そのためにも、安心して伴走パートナーにできそうか、なんでも話せる相手と言えそうか、僕のことをしっかり判断していただきたいんです。


まぁ、安心してください。
22年間この人生を体験している僕が保証します。
けっこう面白いです笑


<簡単なプロフィール>

はじめましての方向けに、
サクッとプロフィールを。

沖縄出身で、大学から富山にいます。
今も在学中で、現在22歳(2000.7.11生まれ)。

病や貧困を乗り越え、対話・執筆・企画によって、内省・学習・発信をサポートするパーソナルライターという仕事を作りました。

東京の経営者・プロコーチ・上場企業の役員などをクライアントに抱え、今までに140本以上執筆しています。

2021年にはクラウドファンディングに挑戦し、約150万円を集めて目標を達成したりもしています。

最近は、採用や社員のエンハンスにつながる連載企画の提案なども展開中。たとえば、以下のような方の連載をしています。


 <これまでの人生>

人生いろいろあって、さらっと流せないので、これまでに書いたnoteも貼りつつザザッと紹介します。

2000年に沖縄で生まれました。2歳までは病気がちで何度か死にかけていたそうで、医者に「5歳過ぎまで生きていたらすごい」と言われたこともあるそう。

小学生の時は、ペルテス病という病気で2度の全身麻酔手術。ペルテス病は、放っておくと足が壊死して二度と歩けなくなる病気です。

病気のため、ほぼ車椅子か松葉杖の生活をしていました。入院生活中は、同じ階の患者さんや看護師さんとよくしゃべったり遊んだり。一方、母がスパルタで、5日に1冊くらいのペースで勉強ノートを消化していました。

中学時代に、両親が離婚。家庭の崩壊もあり、精神的に弱って、半分以上を別室登校という形で過ごしていました。この期間に大量の読書。

書くことにも目覚め、死ぬまでに最高の遺書を書くことを夢想します。

500冊以上の本を乱読する中で、戦略という概念、起業という選択肢に出会い、人生が変わり始めたのもこの時期でした。

高校生になって、地元の進学校へ。那覇国際高校ってとこです。そこで生涯の友となるであろう仲間たちと出会い、水耕栽培(ハイポニカ農法)研究を始めました。沖縄の児童貧困問題に対して、これが変革の決め手になる!と本気で思っていました。

それから、人生で初めて小説を書き上げました。これまで苦しんできた自分を抱きしめるような内容の話で、これを書いたことで真に次のステージに行けた気がします。

大学は、なぜか富山へ行こうと決意します。
大量に本を読んだ上での、自分なりに最高の選択でした。

僕はゴールを設定したら、いつも自分で文献を調べまくってからやり方を決めるので、周りの定番からは外れてしまい、猛烈な反対に合いがちです。幸い、一つも後悔していません。

富山に来てからは、いろいろ変なことをやりました。

家を手に入れようと思って、社長をたどって物々交換したり、生誕20周年のお礼に3つの企画を推進して母親にサプライズしたり。駅前で歌って投げ銭集めてみたり、靴磨きしてみたり。事業を作ったり。

事業を作る以外はほぼ失敗していますが、その過程で得た知見とつながりが今の仕事に生きています。

ライティング事業を作り、最初は無料からスタート。ライターとしてお金をもらえるようになった時の喜びは、大変なものでした。

そして、クラウドファンディング。
途中ぶっ倒れて2日間ほど泣いてましたが、多くの方の支援のおかげで、目標額を大幅に上回って達成します。

これまでのことは、だいたいこんな感じです。

<こんな人間になりたい>

22年間、ほんとに色々なことがありました。

病の痛みでしばらく寝られない日々を過ごしたり、精神的に追い詰められる出来事が多々あったり。

もちろん、その倍以上に、嬉しい出来事もたくさんありました。

しかし、死にたくなるような哀しみが多い人生だったからこそ、生きたいと思える強い理由もたくさん見つけてきた人生だったのだと思います。

(#まだ若いのに人生語るんじゃねえぞ)

何もできない自分を、たくさんの人たちに支えてもらいました。

そんな中で、誰かの力になりたいという気持ちが強く根を張って芽生えていったのかもしれません。

僕にはできないことが多く、始めから選択肢を絞られていたこともあってか、時を経るごとに、少しずつ、こうなりたい、これで生きていくんだという軸が定まってきました。

こうありたい、という像については、
名刺の裏にもかんたんな言葉で表現しています。

それが「やさしく、かしこく、おもしろく」です。

この3つは、一見別々の要素に見えますが、僕の中では、最近は一体のものとして見えています。

図にまとめてみました。

#やさしく

優しくあるためには、
まず相対する対象を深く知らねばなりません。

高校生の時、それをテーマに意見文を書きました。当時は、大切な人を深く傷つけてしまう辛い出来事があって、切実に「優しくなりたい」と願っていました。だからこそ、よく考えたのです。

やさしいってなんなのかと。

まずは文脈を理解し、思いを馳せ、自然に温かい気持ちが湧くよう努めることではないか、というのが当時の結論です。

つまり、知ることから始まると。

その上で、「大切にしたい」とか「守りたい」とか、そういう温かい感情を起点としつつも、一時の感情に流されず、真に相手のためになると思う働きかけを、時に厳しくてもすること

これがやさしさなんじゃないか。

この両方に共通するのは、
利他的であることは言うまでもありませんが、
長い目で見ることと、高い視座から考えることです。

自分にとって盲点にあることは、怖いとか嫌いとか思ってしまうのが人間ですから、そういう視点がないとすごく狭い範囲の論理で相手を縛ってしまうことになる、と僕は思ってます。

#おもしろく

まずそのままの意味として、すべての行動を面白がっていられる(楽しみに変えることができる)状態が僕の理想です。

生きている間のどんな時間もwant to(他社から得られる何かではなく、それをすること自体が目的の、心からやりたいこと)で過ごすことができたら海のように穏やかな心で人と向き合えると思うのです。

ユーモアは寛容性や柔軟性とつながっています。

喜劇王チャップリンは「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」と言いました。

できごとと同じ次元にいたら苦しくて仕方のないことも、ユーモアを駆使すれば、笑顔で、力を抜いて眺め直すことができます。

ものの見方は自在であり、僕らは体験を宝物とすることもできれば、害毒にすることもできるのです。

そういう意味で、「おもしろく」にも高い視座という要素があります。

余談ですが、ユーモアについてはこんな考え方も持っています。ユーモアとは、ノリに対してボケとツッコミを投げかけることで成り立つものである。

今見ている文脈をぶつ切りにして文脈をさかのぼらせるツッコミと、新たな見方を提示してひとつずつの見方を軽くしていくボケ。

この2つの技を駆使して、ものの見方の自在性を高めていくのがユーモアだと思います。

そして、ものの見方の自在性を高めていくことを僕は「勉強」と呼ぶのだと思っています。

生涯学んでいきたい…


#かしこく

なぜこの項目を最後に書いたかは、もう伝わっているかと思います。

僕の中でのかしこさとは、

長期的・大局的・戦略的な視点から考え、手を打つこと。本質をつかみ、別の事例に転用できること。ものの見方の自在性が高いこと」です。

だから、やさしさ・おもしろさとかなり通じ合っているのです。

問題は、長期的・大局的というのがどれくらいのスパンや規模かということですが、これは300年後とか、500年後とか、死んでだいぶ後の「世界」という規模で考えられたらと思っています。

今はまだ実感が薄いですが、それくらい先の視点から今を考えたい。

最近、吉田松陰の『留魂録』という本を読んだのですが、松陰はそういう視点を持っていたのかなという印象を受けました。

私は、私のあとにつづく人々が、私の生き方を見て、必ず奮い立つような、そんな生き方をしてみせるつもりです。そして私の魂が、七たび生まれ変わることができれば、その時はじめて私は、それでよしと思うでしょう。

『[新訳]留魂録』

この「私の生き方を見て、必ず奮い立つような、そんな生き方をしてみせるつもり」ってのが好きなんですよね。

僕も自分の生き方を人が見て、温かい気持ちと遊び心と希望が湧いてくるような、そんな生き方がしたいです。

<理想を目指すための5つの武器>

というわけで、名刺の裏には「やさしく、かしこく、おもしろく」とだけ書いた理想像を別の言葉で書いてみると、

高い視座から、曇りなき目で、遠い先を見据えて、やさしく言葉を紡げる人になりたい。

ということになります。

これは「あり方」の話なので、実現するための手段が必要です。

で、僕はこちらについてもはっきりしています。自分の人生で一生続けるだろうなという活動が5つ、明確になっているのです。

それが、
対話する・書く・教える・企画する・読書
です。

(ちなみに歌うことが大好きで、そちらは一生続ける趣味といえそう)

この5項目について、「やさしく、かしこく、おもしろく」の理念に沿いつつ、チャレンジングなことをやれていると最高に幸せなのです。

よくよく振り返ってみると、この5つの項目をやれる時間と費やせるお金を増やし続けるためにずっと行動し続けていました。

僕の「これまで」を一言で表せば、桁違いに学び、周囲を活性化する企画を考え、ストーリーの力で事を起こす人生だったなと思います。

昔から、本で仕入れたことを人に教えたり、説明したりするのが好きでしたし、小学生の頃からぶっちぎりのメモ魔です。高校の時は授業の合間に授業をしていました。

読書については、そもそも本を買ってもらえるほど裕福な家庭じゃなかったので、知らん大人を説得して、買ってもらっていました。

新しい遊びや計画を考えて、周りを説得して巻き込むのも大好物。

人の価値観や物語に触れることも好きで、高校生の頃は通学のバスのなかでとなりに座る大人に話しかけていました。「大人って、楽しいですか?」って。子どもにそれを聞かれることが、大人を前向きに変えることになるかもな、と生意気ながら思っていました。

2年以上前に、ライティング事業を起こして、今は後輩ライターも育てているので「対話・執筆・教育・読書・企画」が仕事になっています。

これは、まさに天職。


とはいえ、ライターになって2年の実績ができるまでは、単発の記事を「対話して、書く」が中心でした。


今後数年は、コンテンツが独り歩きするような連載記事の作成を提供しようとしています。少ないコンテンツ量で「〇〇といえばあの人」となるような旗を立てにいく発信をお手伝いします。

具体例↑ クライアントのお一人、CROOZの諸戸さん。


踏み込んだことは言えませんが、戦略なしに、自社目線でたくさん発信するのは広報として逆効果なのです。ウザがられて評判を汚すだけ。本当に効果ある発信とは、むしろ量をおさえ、質を高めるものです。

本筋に戻ります。

この連載プロデュースの事業は、対話・執筆に加え、企画の要素が加わっています。視点も前より長期的で大局的。

より自分の理想に近い働き方にまたぐっと近づきました。

<まだ作ってもない我が社のビジョン>

個人としてのあり方やビジョンはさておきまして。

まだ作ってもいませんが、僕がこれから必ず立ち上げる会社のビジョンとその背景を語らせてください(すでに個人事業主ではあります)。

我が社は、若者と異質な大人との継続的な対話機会を生み、双方に希望を創出する会社でありたい。

そう思っています。

世界中のすべての人が自分の未来に希望をもち、これまでのことを肯定し、長期的・大局的な視点から自分なりのものさしをもって生き、社会に貢献しようとする。そんな社会を創りたい。

この志の背景には、貧困世帯で育った経験があります。

<背景にある貧困の中での生い立ち>

僕は、進学や就職において、地方と都市、一般家庭と貧困家庭には「情報の格差はインターネットによってなくなった」とは言い難い現状があると思っています。

試しに、ある働き方やある職業に最初に興味を持ったり、自分にも目指せるところだと漠然とでも信じるきっかけとなったことを思い返してみてください。

顔を知る直接的な関係から来るものではありませんでしたか?

たとえば、僕の親戚で四年制の大学へ進学した人は一人もいません。そのため、大学へ進学することは一族にとって「前代未聞の快挙」。無理難題でした。

僕が合格するまで、大学は誰にとっても空想的な場所で、親戚が全員集まっても、大学進学のアドバイスをできる人など一人もいなかったのです。

でも大学に来てみれば、大学に行くことが「レールの上」だと思っている人がたくさんいる。

僕の親族から見れば、僕がかなり無茶してレールを外れた選択が、当たり前でなんの変哲もないことだと思っている世界がある。

ショックでしたよ。

<レールを外れたきっかけ>

アンダークラスの家庭で大学を目指すのは容易ではありません。選択肢に浮かぶかどうかすら怪しいんですから。

大企業への就職や起業なんかについても同じことが言えるでしょう。

では、そのような壁を乗り越えるには何が必要か?

僕がレールを外れたのは何がきっかけだったのか?

大きな理由が2つあります。

一つは、違う世界を生きる人と出会い、影響を受けるほどの関係を築けたことだったと思います。

その手段のひとつが、ライターとして、ビジネスの第一線で活躍するクライアントに伴走させてもらうことでした。

ふつう、何十歳も歳の離れた大人と継続的に語りあう関係を築くのは簡単ではないですよね。

まして、地方の学生が東京で活躍する中堅ビジネスパーソンと毎週のように1on1で話すなんてことは考えにくいことでしょう。

たいていの場合、住む世界の違う人とのコミュニケーションは急を要するものではないし、真に理解に努めようとするよりも愛想良くやり過ごす方が賢い選択だったりもします。

それこそ、ライターやカウンセラーや記者として仕事で関わるのでもなければ深く関わらないまま過ごすことが多いのではないでしょうか(断定はできないけれど)。

ところが、学生であっても、ライターとして「取材をさせてください」「継続発信の伴走をさせてください」というスタンスだと、大人との継続的な対話ができる。

だから、学生をライターとして育てたいのです。

<高く広い視点の獲得>

僕がレールから外れられた理由の2つ目は、書くことで思考を深め、同時により高く広い視点を獲得できたことです。

つまり、周囲の視野に同調せず、独自にものの見方を育てて考えられるようになっていたから、レールを外れられたと思うのです。

大学に行ったのもそうだし、起業したのもそうです。あと、駅前で歌って寂しい思いをしたのも。

では、具体的に書くことでどう思考を「深める」ことになり、視点を「高く広く」持つことになったのか。

まず、思考を「深める」というところから。

書くという作業は、しゃべる時とは違う、スピードは遅いが練度の高い思考を要します。

しゃべると説得力があるように聞こえることも、書いた途端に論理の穴が目立ったり、中身が薄いのが明白になったりしますよね。

僕の場合、中学の頃から徐々に書く習慣を育てていった結果、そうした思考の密度みたいなものに自覚的になっていった気がします。

内省の機会が増え、自己理解も深まったため、自分の生き方が他の人より比較的早く定まったのかもしれません。

続いて、「高く広い」視点について。

元々読書が好きだった僕は、中学の頃から小説を書くようになりました。

今ライターとして書くときもそうですが、読者を想定して書くというのは、他者の視点を解像度高く意識することにつながります。

これは誰にウケるのか? その人はどんな暮らしをしていて、何に怒っているのか? 何を渇望しているのか?

この文章に傷つく人がいるとすれば、それはどんな人か?

こうした問いと同時に、自分が強く訴えたいことにも自覚的になる必要があります。

何が言いたいのか? 誰の力になりたいのか? 読んだ人にどうなってほしいのか?

こうした問いは、ライターにとっては習慣的なものですが、かなり練習が必要な思考体系であると感じています。

この習慣により、高く広い視点から考える力がつきました。

<学生ライターを育てている理由>

自分の経験を踏まえ、僕は学生にとってライティングを身につけることが、すごく大きな力になると考えるようになりました。

それで、自分が培ってきたライティングのスキルやクライアントを学生にもおすそわけしたいと考えるようになったのです。

学生がライティングという武器を持つことで、視野を広げる。思考の練度を上げる。大人との継続的な対話の機会を手に入れる。

自分なりの大きな夢を見つけ、それを叶えるための仲間、メンターを見つけ、刺激を受ける。いざって時の副業の手段にもなる。

そんな未来が僕には見えています。

ライティングが身についた結果、去年僕がクラウドファンディングでしたように、仲間の力、応援してくれる大先輩の力、文章の力を借りて、資金を獲得し、世の中に貢献していく

若者の視座が波及的に上がっていき、それをみてこうしちゃいられないと大人にも火がつく。

そうなったら最高じゃないですか!

 <創り出したい未来>

我が社のビジョンと久高個人のビジョンを統合すると。

久高は「やさしく、かしこく、おもしろく」という方向性を持って、対話・執筆・教育・企画・読書という武器を生涯にわたって磨きつづける。

その先で、何十年かかるかわかりませんが、世の中から希望ときっかけの格差をなくしたいと考えています。

人々を、より長期的・大局的・戦略的に動けるようサポートすることで、苦痛を減らし、生きる楽しみを見出せるようになってもらいたい。

シンプルに言えば、自分の人生を愛せる人を増やしたい。

いろんな人の光の当たっていなかった過去を様々な角度から肯定し、受け止め、楽しみな未来を描くきっかけになりたい。

説明するのが好きで、何時間でも真剣に話を聞けて、乱読家で、新しいものを生み出すのが好きな僕だからこそ、喜んでやれることだと思います。

こんなことを喜んでやるなんて、あえて肩書きをつけるなら「先生」となるでしょうか。

僕は「先生」として生きていくんだろうなという気がしています。

そういえば、さっき引用した吉田松陰も先生でしたね。わずかな開校期間で、高杉晋作など明治維新を率いた偉人たちを多数輩出しています。

かっこいい先生でありたいな。

<余裕ある人たちへの主張>

改めて、ここまでを踏まえ、
僕の理想の生き方をまとめると、

高い視座から、曇りなき目で、遠い先を見据えて、やさしく言葉を紡げる人になって、人々をより長期的・大局的・戦略的な視点から動けるよう育てて、数百年後の世界に希望ときっかけを与える。

となります。

これは紙にも書いてあって、
少なくともここ数ヶ月は毎朝見ていて、
毎朝ニヤニヤするくらいには本気です。

僕の近くにいたら、雑談として数百年後にどうやって影響しようかみたいな話が出てくるでしょう。

数百年後の未来に影響するまでの道中で、たいていの人の夢も叶うと思いますし、それ自体が僕の理想への道を加速させると思うので、よかったら僕に会いにきてください。雑談しましょう。


理想の生き方に話を戻すと。

そういう生涯を送れたら、どんなに苦しいことばかり起こっても、最後には気持ちよくあの世にいけるんだろうな。

なんてことを、僕は真剣に思っています。

「理想の生き方」とは言っているものの「憧れ」というのとはまた違っていて。

これまでの人生でもずっとそちらの方へ向かって歩んでいたのだけれど、ようやっと言語化できた。だから、これからもっと加速するに違いない。

そんな感じのする理想像なのです。
それくらい、腑に落ちている。

だから正直、
こんなことに憤りを感じたりもしました。

いや、本音でいえば今だってそう思っている笑。

今後おそらく50年以上にわたって、この世界の未来のために特定の活動をとことん研鑽し続けることを宣言している若者がここにいる!

このことを裏付けるに足ると思われる過去だってあるじゃないか。

てことは、俺の視座を下げたり、視野を狭めたり、寿命を縮めたりすることは、世界の幸福に反する行いである!

たとえば、俺の栄養状態が悪かったり、運動不足だったり、経済的に逼迫していたりするのは、世界にとってもったいないことだ。

それなのに、どうして俺は親への仕送りや奨学金の返済のためにこんなに苦労しているのか。せっかく買った本を売らなければならないのか。

おかしい!!


まあ、今も思いはさして変わらないのですが、こんなことを高らかに言わなくても大丈夫だろうと確信するようにはなりました。単価を上げても、僕が捌けるより多くの依頼が次々やってくるようになったのです。

それに、結局誰が止めようとしても僕は理想を変えないし、5つの活動を続ける確信があります。5つの活動ができていれば、幸せ。だから、そもそも不幸にはなり得ない。安心安心。

とはいえ、やっぱり数百年後に影響を与えるなんてことは、1人でできるものじゃありません。


仲間やサポーターや、アンバサダーが必要です。

取り組みに共感してくれて、僕の元でライティングを身につけたい学生が必要ですし、一緒に学生ライターと走ってくれるカッチョいい大人が必要です。

俺には関係ないなと思われた方、今は少人数向けのサービスしか作っていませんが、いずれ多くの方に届けられるものを作るので、その時は応援していただけると幸いです。


ちなみに、この記事へのサポート(noteには思いを投げ銭で表現する手段があるのです。素晴らしい!)も大歓迎です。


ここでいただいたお金は、久高諒也が久高諒也な生き方をするために使わせていただきます。


さてさて。

やっとですよ。

冒頭で、名は体を表すという話をしましたよね。


ようやく、名前の話に入れます!笑

<名は体を表す>

僕の理想の生き方は

高い視座から、曇りなき目で、遠い先を見据えて、やさしく言葉を紡げる人になり、人々をより長期的・大局的・戦略的な視点から動けるよう育てて、数百年後の世界に希望ときっかけを与える。

でした。

これが、実は僕の名前そのものみたいな生き方だった、というのがこの度の発見です。

ここまでは、前説でしたからね。
いやあ、やっと本題ですよ。

僕にとってだけ大事な発見かもしれませんが、けっこう衝撃的だったんですよ?

僕の名前に使われている漢字をひとつずつ分解していきましょう。

スクリーンショット 2022-09-04 7.33.58

「久」

まず、久しいの「久」

これは、時間軸で見て長いという意味があります。
長期的な視点と言っていたのと重なります。

「高」

次に、「高」

ご存知の通り、高いことを意味します。他に「物事の要点や、あらまし。大略」という意味があるそうです。こちらは、大局的な視点につながる。

高い視点から見ると要点や大枠が掴めるわけです。盲点も少ない。

「諒」

続いて、「諒」

こちらは、たくさん意味があって、「思いやる」「曇りがなくはっきりしている」「真実・誠」「知る・理解する」「良い」

やさしさ・かしこさの意味を秘めた漢字なのです。

「也」

最後に「也」。

この字には特に意味はありませんが、漢文の授業で習ったでしょうか。「断定」「疑問」の意味で使われていましたよね。

問いを発するのは、ライターとしての基本です。

こじつけに近いですが、ボケもツッコミも、今のノリへの疑問から始まるもの。つまり、ここにはおもしろさも隠れている。


ね、名前に理想の生き方の要素がぎゅっと詰まっているんですよ。


<久高諒也な生き方>

読者にとっては、30分くらい?

僕にとっては22年以上をかけて、
やっと名前という伏線を回収できました。

なんという長期スパンの伏線回収だったことか。

今まで解いた問題の中で、一番気持ちいいかもしれません。

僕は、これまでもこれからも「久高諒也」な生き方をしていくんだなと、はっきり自覚できました。

最後に。


今はまだ未熟で、それゆえ先輩方や今周りにいる方々にご迷惑をおかけすることもあるかもしれません。

が、僕の今後50年、僕が影響する数百年後を思って背中を押していただけたのなら、これより魂を鼓舞されることはありません。

また、後輩となるみなさん、2022年のうちはパァーッとご馳走したりできる先輩じゃあありませんが、「こいつおもろいな」と思ったら、ぜひ何か夢へ向かう手伝いをさせてください。

僕より先を生きることになると思うので、応援させてほしいのです。なんせ、数百年後に爪痕を残したいんで。


ふぅ。長かった。
今日はもう寝ましょう笑

最後まで
お読みいただきありがとうございました。


この記事を読んで、久高諒也を応援したいと思ってくださった方、投げ銭大歓迎です。

しかし、いくらでもいいと言われると逆に払いにくいよと思われた方もいらっしゃるかと思います。

そういう方は、「今日はちょっと贅沢な晩飯を食べようかな」と思っている時の金額を「ほらよ」と投げ銭していただければと思います。


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