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海外赴任ドタバタ劇-第1話「いや、ここは南アフリカなので」

「いや、ここは南アフリカですので」

私が南アフリカの子会社に2年半赴任する前、まだ本社で勤務していた時のこと。当時現地人がテレビ会議でよく使っていたのがこのフレーズだ。これは、現地人が「日本のように物事が進まない南アフリカでは、事業の維持や展開が困難だ」といった旨を説明する時の常套句だった。

この言葉を耳にする度に、本社サイドの雰囲気はシラケ返ってしまう。何より、人数合わせ要員として会議の末席に位置していた私にとって恐怖だったのが、この”魔法の言葉”で重役の機嫌がみるみるうちに悪くなっていくことだった。

(本当かよ。どうせ言い逃れのための口実だろ!)

もっとも私自身も、現地人の言葉に対してこんな印象を抱いていた。実際に南アフリカで生活するまでは。


本社肝いりのミッションが暗礁に乗り上げた!?

「現地人の説明が事実なのか確かめに行きなさい」

本社からそのような命を受けた私は、現地子会社の責任者として南アフリカに旅立った。そして、いざ現地に住んでみると、物事が思うように進まないというケースが非常に多かった。

そういった中で最も苦労したのが、公的機関の対応の遅れによるトラブルだった。

赴任当時私は、子会社から親会社にロイヤリティを支払うスキームを構築するというミッションに取り組んでいた。このミッションは本社重役肝いりの案件で、数年にわたりスキームを練りに練った末に、ついに現地監査会社のお墨付きを得るに至ったという力の入れようだった。

そして、2社間で契約を済ませたこの時、あとは南アフリカ当局から送金に必要な承認が下りるのを待つだけ、という段階になった。

しかし、ここに”落とし穴”があった。数か月待っても承認の連絡が来なかったのだ。

いくら当局に問い合わせを試みても、返ってくる答えは「内部で審議中なのでお待ちください」という内容のみ。このままでは決算を締めることができず、子会社のみならず本社の事業にも影響が生じる恐れがある。

本社とのテレビ会議が行われる度に進捗を訊かれるものの、大した回答が出せない。本社の面々が不満を募らせている様子が明らかに見て取れた。このようなやりとりを重ねていくうちに、私は言いようのない不安に囚われてしまった。

”今すぐ”という言葉が”今すぐ”ではない!?

このように”承認待ち問題”について先行きが見えず半ば意気消沈していた私だったが、ある“教え”をきっかけに自信が持てるようになった。

それは、ある日プライベートで英語のレッスンをお願いしていた現地人の方が、教えてくれたスラングだった。南アフリカには”now now ”、”just now”、”right now”という表現があるそうだ。

どれも”今すぐ”という言葉を示す言葉だが、”now now”が”数分後~数十分後”、”right now”に至っては”翌日以降”を指す場合があるらしい。
(※個人によって”now now”から”right now”までの順番や時間のスパンが違う場合もあるとのこと。)

私はこのスラングを教えてもらうまで、南アフリカでは”今すぐ”という言葉がこれほどにも幅広い時間感覚を持っているということを知らなかった。そして、過去の体験を思い返してみると、”now now”と言われながらも待たされる場面が度々あったことに気づいた。

たとえば、空港の手荷物受取所がその一つだった。日本への一時帰国から戻ってきた私は、南アフリカの空港で国内便に乗り継いだのだが、この時、いったん機内預けの荷物をピックアップしなければならなかった。ところが、当時機材トラブルのせいで10分待っても荷物が出てこなかった。

その時、私の横に現地人らしき若い女性が近づいてきた。そして、彼女は困惑した表情を見せながら、「いつ荷物が来るのかしら」と私に尋ねた。どうやら彼女も乗り継ぎしなけれならないらしい。

「さっき空港の職員が他の乗客に”now now”と言っていましたよ」
私は、数分前にたまたま耳に入ってきた情報をそのまま彼女に伝えた。

すると、彼女は苦笑いを浮かべながら言葉を返した。
「ということは、荷物が出てくるのに少なくとも30分はかかるわね」

実際に彼女の見立て通り、荷物は30分後に出てきたのだ。さすがは南アフリカ人。こういった事態には慣れっ子なのだろう。

このエピソードに限らず、南アフリカでは“蕎麦屋の出前“のようなやりとりが頻繁になされる。つまり、日本人が思い描いているような時間感覚は南アフリカでは通用しない。したがって、”承認待ち問題”が前進する可能性はまだ十分にある。

このように考えを巡らせていくと、急崖から崩れ出した土砂のようにドバドバーッと”目からウロコ”が落ちていく気持ちになった。またそれと同時に、事態の先行きに自信を無くしポジティブさがカラカラとなった体が、希望で満たされていくのを感じた。

時間感覚をめぐる文化の違い

この“時間感覚問題”については、以前読んだ異文化理解の本に面白いことが書いてあった。その本によると、時間感覚をめぐっては「モノクロニック(単一的時間)」と「ポリクロニック(多元的時間)」という文化が存在する。日本は前者、アフリカ諸国は相対的に後者の文化に属する。

前者の文化では、時間軸は一つとして捉えられていて、タスクは時間通りに一つずつ片づけられていく。日本人はまさしくこの文化に属している。
(※モノクロニックの「mono」は”一つの”という意味の接頭辞。)

一方、後者では不確定な事態に応じて複数の物事を同時に進めていく。つまり、時間軸は複数存在すると考えられる故、ある一つの出来事に遅れが生じるのは当然なのだ。
(※ポリクロニックの「poly」は”複数の”という意味。)

近年、白人と黒人の格差を是正すべく、公的機関では黒人が積極的に雇用されている。南アフリカで大多数を占める黒人が政治の中心的役割を担うようになった昨今、この “承認待ち問題”もこのポリクロニック文化の影響を受けていたのではないかと思う。

トラブル続きだった赴任期間

ところで、南アフリカではこういった文化の違いに以外にも、慢性的な電力不足により工場の稼働がストップしたり、突如発生するストライキやデモで従業員の交通や物流網に支障が出たりするといったトラブルもある。

赴任期間中、南アフリカで事業を展開するのは想像以上に大変だということを何度も痛感した。

豊かな自然と都市の景観が両立する素敵な国なだけに、そのような行政の影がはっきりと浮かび上がってしまう。外国人として、少しでも良い方向に国が発展していくのを願うのみだ。

ちなみに、ロイヤリティ問題に関しては、“教え”を受けたあとほどなくして当局からの承認が下りた。このめでたい結果を本社に報告したあと、労いの言葉を得るべくメーラーの更新ボタンを連打していると、早速返信が届いた。
「クガヤマ君、無事承認が下りてよかったね。そういえば、別の案件期限が過ぎているけどどうなったの?重役が君の報告を待っているよ。よろしくね」

(いや、待ってください。ここは南アフリカですので……。)

頭を抱えた私は、このように返信しようとして躊躇するのだった。

(第2話へとつづく)

(※本記事については特定の企業情報に触れるのを避けるべく、話の本筋を変えない程度に一部詳細を変更してあります。ご容赦ください。)

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