余命一年

腕時計に目をくれる余裕もなく、私は彼女の延命措置に急いていた。人々は田舎の足取りで歩く。談笑する。カプチーノを飲んでいる。

日本らしい正月のとぼけた焦燥などなく、新年から日常を取り戻しているドイツにいてさえ、私の中で時が止まってしまった。私は彼女の心臓部を再稼働させる医者を求めていたのだ。これは、一刻を争う。

しかしながら、運命は抗えない。焦りは募るが、冷静にならなければならない。私は出逢ったときから知っていたのだ。彼女は、余命一年だろうと。

私が彼女と出逢ったのは、忘れもしない二〇一六年の夏、ドイツのヴュルツブルクだった。そうしてガラス越しに、一目惚れをした。

告白してしまうと、私はそのとき傷ひとつない無垢な彼女を手に入れたのだ。それから彼女は常に私の肌に寄り添って、日本での日々を過ごすこととなった。どれほどの覚悟だっただろう。祖国を離れ、見知らぬ東洋人に連れそうとは。

けれども私たちは、一つだけ大きな誓いを交わした。一年後に、必ずドイツに戻ってくる。それまでどうか、生き延びてくれ。

彼女はしたたかに時を刻み、その宇宙色の神秘で私を慰め続けた。彼女の肌にはやがてシワができ、もしかしたら私との体の相性が合わなくなったのかもしれなかった。その事実に目を瞑り、彼女の頑張りを見続けてきた。

それだけ頑張り屋の彼女は、約束通り、私がドイツを再訪するまで健気に振舞っていた。そうして今日まで生きてきた。余命一年の宣告にも関わらず、彼女は一年と五ヶ月、私の鼓動と共に生き続けたのだった。

彼女に代わりの心臓をあげたい。再び彼女の音を聴きたい。一秒ごとに時を司る彼女は、もはや私の体の一部だったのだから。


後記
die Uhr(時計)もdie Batterie(電池)も、女性名詞なのですね。勉強になりました。


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