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苗字の変更 第605話・9.19

「ねえ、私苗字を変えてみようかなって思うの?」マナコが突然意外なことを言い出したために、サトシは思わず不快な表情に変わった。
「おまえ、急に何を言い出すんだ。今どういう状況かわかっているのか?」

ふたりのいるここは、ある宇宙域。
 完成した当初は無機質な機械に囲まれていて、宇宙船の延長線上だった宇宙ステーション。あれから何世代もの未来になると増改築を繰り返し、巨大化。そして大いに進化した。国際宇宙ステーションという名前だけは、21世紀当時のままから変わっていない。 
 しかし今や全世界から数千もの人がこのステーション内に常駐しており、中心にある無重力で過ごせる自由空間を除けば、その周りを囲むように巨大な集合住宅に覆われている。人工的な太陽で地球にいるのと変わらない昼夜の時間間隔。自由空間以外は重力も地球と同じ。もはやステーションどころか人工衛星都市のような存在なのだ。

そして各国共有エリアを除き、国力に応じて、その国を象徴するような個性ある居住空間が作られていた。日本から常駐しているものは、現在650名ほどいる。そして彼らが住んでいるのは、和を重視した日本棟。そこは廊下の床が畳になっていて、木目調となっている。見た目ではどこかの和風旅館にしか見えない。
 そして宇宙ステーションで勤務するふたり。サトシは宇宙ステーション内での様々な問題を解決する弁護士で、マナコは彼が勤務する弁護士事務所の事務員であった。

「でも、苗字は簡単には変えられないんだ。君も知っているだろ。家庭裁判所に届け出をして許可を得ないといけない。それに法律でいろいろなパターンで変更可能になっているが、簡単には無理だ。
 離婚や外国人との婚姻関係で苗字を変えるというもの以外に、やむを得ない理由というのがあるが、まあ無理だろう。この辺りは21世紀の頃とほとんど変わっていない」
「で、でも......」マナコが悲しそうな表情になる。

「わ、わかった。後で相談に乗るよ。そんなことより、今から裁判所だ。書類の準備は?」
 マナコはそれ以上何も言わず黙って、裁判の書類をサトシに手渡す。するとサトシは「じゃあ行ってくる」と言ってそのまま事務所を出た。
「えっと、今日は。ああ、そうだ離婚調停だよ。なんで苗字の話なんかするかと思えば、そっちのことだったのか」

「やっぱり言い方が悪かったかしら」マナコはひとり事務所に残って呟きながら、書類整理を済ませていく。その後、何かをひらめき、しばらくすると出かけて行った。

ーーーーーー

「やれやれ、どうにか解決しそうだ。本当に男女の関係がねじれると大変だな」サトシが事務所に戻ってくる。長く宇宙空間にいるのに、畳の床を見ると妙に心が落ち着くのは、日本人のDNAのなせる業か。

「あれ、どこ行ったんだ?」サトシは事務所にマナコがいないことに驚いた。「ま、もう夕方だけど。普段は一緒に事務所出る時間までいるのになぁ」
 するとサトシのデスクの上にメモがあった。「え、宇宙テラスで待っている。何でひとりで先に行ったんだ?」

 宇宙テラスとは、この宇宙ステーションの最も下側にある施設で、宇宙空間を目の当たりにできる場所。バーになっていて酒を飲みながら、宇宙空間が眺められる。特に瑠璃色をした母なる星・地球を目の当たりにできると言うこともあって、連日宇宙ステーションに居住している人たちの憩いの場でもあった。

「あそこは人気だから、先に席を取ってくれたということかな。まあいいやあそこに行くのも本当に久しぶりだしな」
 サトシはそういうと事務所を閉め、宇宙テラスに向かった。

ーーーーーーー

「あ、こっちよ」「おい、急になんなんだ。置手紙なんか置いて」マナコの顔を見ていきなりサトシは不機嫌な表情になる。対照的にマナコは事務所とは違って、表情が明るいし、デートに行く格好のように着飾っていた。すでに先に飲んでいたようで、顔がほのかに赤い。
「うん、なんとなくここに来たかったの。最初にあなたと出会ったのも確か宇宙テラスだし」

「あ、ああそうだな」機嫌を戻したサトシは、カクテルを注文すると初めてマナコと出会った日を思い出した。
「たまたま前の弁護士事務所を辞めた直後だったから、前から気になっていた民間のツアーで、宇宙ステーションに来たときね」
「そうだ、うん、君がひとりで静かにテラスでカクテルを飲んでいたな。俺はたまたま横に座って、そのときになんとなく波長が合った気がした。だから誘った」
「うん、でも私がまさか宇宙ステーションで働くようになるとは、夢にも思わなかった。あれからもう3年か」「いやいや俺の見立てた通り、君は事務員として本当に優秀だ」
 サトシは、ようやく目の前に来たカクテルに口をつけた。

「そう、あの地球から離れて3年。で、私決めたの」「何を?」するとマナコは突然一枚の書類をサトシに見せる。
「お、おいそれは?」「そう結婚届。ねえ、いいでしょ。私、あなたの苗字に変えたいの」
 突然のことで驚きのあまり、目を見開いたサトシ。だがマナコのことを愛しているのも事実。慌ててカクテルを一気に飲み干すと、そのまま地球の方に視線を向けながら「わかった、君の苗字変更の手続きをしよう」と言う。そしてマナコの顔を見て笑った。


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シリーズ 日々掌編短編小説 605/1000

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