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秘境の駅から歩いて県境を越える 第968話・9.19

「ぐえ、ここから歩いて3時間か」男はめまいがした。そのダメージは目の前の風景を、一瞬反転させてしまったようだ。だが、行かなければならない。少なくとも地図上に道として存在しているから、それだけでも良しと思わなければ。

「ここだな」男がミスったのはちょうど2時間ほど前、男は飯田線という路線に乗っていた。目的は長野県の最も南にある駅を目指すことである。静岡の浜松と接している辺りで、すぐ西側は愛知県というところであった。前の日、豊橋で一泊した男は朝の飯田線の列車に乗り込んだ。目指しているところは列車の本数も少ない。早い時間に移動しないとミッションがとん挫する。

「ここは秘境駅としても有名だな」そう言って彼は小和田駅に降り立った。聞けば駅があるのに、周りに車が入れないようになっているため、そう呼ばれているようだ。3つの県境にある駅であったが、列車が動き出し、それを男が見送ったときに大きなミスをしたことに気づいてしまう。
「え、ここ静岡県?」厳密に言えば男の降りた場所は静岡県浜松市、つまり目標としていた長野県の最も南の駅は次の駅だったのだ。時刻は午前8時13分、次は3時間後の11時17分まで列車が来ない。

「こんなところで3時間も待てないな」男は歩いてこの駅から脱出する方法が無いか探すと、やはり試している人の情報が見つかった。それはひとつ手前の大嵐駅から続いている道が近くを通っており、そこには塩沢集落がある。そこまで2時間近く山の中を歩いているという内容であった。
「情報があるならいけるな」そう思った男は、情報に従い、歩いてみる。途中廃墟となっている建物が次々と現れた。昔は人が住んでいた形跡があるが今はゴーストタウンいやゴーストヴィレッジという方が正しいか。

 いずれにしても崩落している道を避けて迂回しながらもおおよそ2時間で無事に集落に到着。集落内にある白山神社に参拝した。集落に到着し、ここからは車が通れるようなしっかりとした道路が続いている。これであとは道沿いに歩けば、やがて長野県境を超え、長野県の中井侍駅に到着できる。時刻は午前10時を過ぎたところ。
「あのまま駅にいてもまだ1時間も待たないとだからな」と、ここまではこの選択が正しいと思っていた。だが、今いる白山神社の前から駅までを調べると徒歩で3時間はかかるという。
 道路は山の尾根を縫うように続いているので、途中で大きく迂回していた。そのため鉄道ではわずかな時間で到着するのに道路だと、より時間がかかってしまうのだ。
 それも徒歩である。すでに2時間歩いたのにまだ3時間歩かなければならない。「ちゃんと調べればわかる話なのに、もう詰めが甘い!」男は自分自身に苛立った。

 そういっても何も始まらない。男は歩き始めた道路沿いに山の中を歩く。山は登りや下りを繰り返しながら、何度も蛇行している。歩くのは本当に大変だが、それ以上に何もないところにこの道を作った人は本当にすごいと思ってしまう。それもうっそうとした気に挟まれたところを歩く、これが真夏でなくてよかったと男は思った。
 それは暑いからではない。木々に覆われて日陰になっているからまだ過ごしやすいのだ。問題はこれだけうっそうとしているところだと、とにかく虫が多い。暑さのピークが過ぎたとはいえ、そのためか余計に虫をが多く現れる。まあこれは集落に行く前から何度も遭遇しているためか、男は少し慣れていた。

 やがて少し開けたところにでた。谷になっているのか橋になっている。と言っても草が生い茂っているから、見晴らしはそれほど良くない。
「あ、やったあ」男は思わず叫んだ。そこには長野県天龍村と書かれた標識が見えたからだ。さらに反対方向は静岡県浜松市とある。ここで時計を見た。10時45分くらいだろうか?11時の列車を待っていたらその方が早いことは間違いないようだ。なぜならばここから駅まで歩いて2時間はかかる。

 ひたすら道を歩く。それでも念願の長野県に入ったことは、それだけでもうれしい。自然と足取りが軽くなる。だが軽くなったのは10分程だろうか、また上り坂が現れたりしたから足取りが重くなった。
 やがて道が二手に分かれている。「どっちかな」これを見ると片方は川沿いを進むのに対し、もうひとつは高台を進むようだ。

「こっちのほうが良いかな」男は地図を見ながら高台を進む道を選んだ。実際には高台を経由する方が少し遠回りであったが、「ここまで来たのならば」と男はあるスポットを目指す。そのまま高台の道を歩く。
 しばらくは木々に覆われていたがある所から急に開けた。すると眼下に天竜川の流れが見渡せるスポットに到着する。
「おお、5時間も歩いてきて良かったよ」男は立ち止まって絶景を眺めた。すでに時刻は13時前。残念ながらうかうかしていられなかった。11時台の列車の次に、中井侍駅を出るのが13時24分である。
 それに乗り遅れると夕方まで待たされる。ここで急に下に降りる道を歩く。下りだから楽であるが、それ以上にここは中井侍の斜面集落で茶畑が広がっていた。
「おお、これは本当に素晴らしい!」だけど時計を見る。あと15分しかない。男は最後の力を振り絞るように下った。


「ふう、大きなミスをしたけど、はあ、疲れた」男は無事に13時台の列車に無事に乗り込んだ。列車はガタゴトと音を鳴らしながら長野県を北に向かって動き出している。結局5時間ものロスタイムとなってしまったが、歩いて長野県に入れたし、これはこれでよい思い出だなと、男はプラス思考で考えた。

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シリーズ 日々掌編短編小説 968/1000

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