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女だってつらいのよ 第582話・8.27

「何が『男はつらいよ』なの! はっきり言うけど女だってつらいのよ」茶色いロングスカートを履いていた女は立ち上がった。ここはビーチ。遠くには島々の影が見え、その前、そしてすぐ近くにも、複数のヨットが白い帆を上げて優雅に浮いている。天気も晴ればれとして、残暑の日差しは強い。本来なら海水浴と言いたいところ。
 しかし日光から降り注ぐ、紫外線による日焼けを警戒していただろうか? 帽子をかぶり長袖の服を着た女がふたりいた。

「そんなに怒らなくても、せっかくの夏の海が台無しですわ」立ち上がった女を座ったまま、もうひとりの女が宥めている。
「だけどさ、人間は生きていればいいことも辛いことがあるのよ。そんなのに、つらいに性別なんてあるかしら?」立ち上がった女はまだ不快そうな表情。左手を腰に置き、右手に籠を持ったまま、座っている女を睨んでいる。
「もう、ただでさえ暑いのに、もう止めませんか?」座った女は冷静さを失わない。いつの間にか膝にピンク色のタオルをだしていた。
「それに、『男はつらいよ』って前世紀に日本で流行ったシリーズ映画のタイトルですわ。そんな架空の物語に、何で目くじら立てるのかしら?」
 座っている女は、そういって首をかしげながら、顔からにじみ出てきた汗をタオルで拭きとった。
 そんな女のやり取りとは無縁に、海の目の前では麦わら帽子をかぶった、ダイビングスーツ姿の少年が、両手を広げて大きく深呼吸をしている。

「あのね、それはわかってるわ。前20世紀の日本で流行った映画で、トラとか言う男が主人公の物語なことは。でもね、何で『男はつらいよ』っていうタイトルなのかが、気にいならない訳。ほんと酷いタイトルよ。あんたから借りたDVDだからやらなかったけど、視聴しながら途中でこれ壊そうかと思ったほどむかついたわ!」
 立った女はそういうと、右手に持っていたかごに入っていたDVDを座っている女に捨てるように放り投げる。
 
 座っている女は、タオルを膝に置くとあきれ気味にため息を吐く。
「あのね。人から借りたものにそう言うことするわけ? それの方がもっと酷いわね!」ついに座っている女の方の機嫌も悪くなった。
「それに、内容が気に入らない。それは百歩譲るわ。それを何、タイトルが気に入らないって。何で私に『借りたい』なんて言ったのかしらね」女は座ったまま、放り投げ出されたDVDを手元に引き寄せると、立っている女を睨みつける。

「ま、まあ投げたのは私が悪かった。それは謝るわ」座っている女が明らかに怒っていることに気づいたのか、立っている女は急に腰が低くなって謝る。
「謝るなら放り投げるな! 何でビーチで返すかな。あ、あ、もう砂が付いてないかしら」座っている女はDVDを何度も見て確認した。
「だってさ、私は今、日本の昭和時代を研究しているの知っているでしょ」立っている女は、突然言い訳を始める。

「ええ、昭和といっても20年を境に、前と後では全く違うと思いますけどね」座っている女は、DVDの影響がないことを確認すると、自分のバックにしまった。
「そうよ、昭和ってひとつの時代のようで、その20年を境にずいぶん変わったのよね。でその比較を今やっているわけ。でさ基本的な問題があったわ」

「何よ基本的な問題って、まさか戦争をしているかしてないの差?」「じゃなくて昭和は64年あるから、20年で切っちゃうと期間が3分の1と3分の2に分かれちゃうってこと」
「う、くふっ」立っている女が基本的なところから話すので、座っている女は、思わず笑いかけるのを必死にこらえる。
「ちょっと、何、あんた今笑ったわね。何がおかしいの」
「あ、あのね。そんなの研究する前から知っとけって、言いたいわ。クククッ」
「もう、馬鹿にして、ホントうるさいわね。大体昭和が64年あって、それも20年を境に全然違う時代になっているのがややこしいのよ。その前の大正時代は15年しかないし、後ろの平成時代は30年程度。こんなに違うのっておかしくない」立っている女はどんどん違う論点の方に向かっている。
「だからさ、ややこしいのをしっかり調べて、まとめるのが研究者じゃないのかしら」座っている女は厭味ったらしく言い放つ。

 ここで立っている女は、感情が爆発しながら反論するかと思った。だが意外に冷静だ。「それは、そうよ」「え?」「私もね、わかってんの。それくらい。だけど大変なのよ。昭和21年と昭和64年の間も調べてたら随分時代が変わっているしね」
「時代なんてそんなもんじゃない。平成だって最初と最後はずいぶん違うと思うわ。それにこうやって私たちが、ビーチ見ている間ですら時代は刻一刻と変わる。だからあんまり考えすぎると疲れるわよ」座っている女は、笑顔になって立ち上がった。

「そうね、考えすぎると疲れるか。うん、そう。今回の研究レポートがうまくまとまらなくてさ、困ってるのよ。もう女もつらいよ」
「今日ぐらい忘れたら。一晩寝たらまとまるかもよ」先ほど立ち上がった女に励まされて、ずっと立ったままの女は小さくうなづいた。
「うん、そうする。いつもありがとうね。でもこの海は、いつも変わらない気がするわ」「浸食とかで多少は変わっているかもしれないけど、大きくは変わってない。確かに」
 ふたりの女は、最後によくわからない形で同意。そして静かに変わらない海を眺めるのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 582/1000

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