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オープン社内報 第1019話・11.11

「そんなに慌てる必要はない」と頭の中で考えながら、カップに入った最後のコーヒーを味わう。だがコーヒーを喉に押し込むとやはり現実が迫ってくる。「締め切りまでカウントダウンか」思わずため息をつく。

 おいらは総務部に勤める若手ビジネスマン。どうにか業界全国区の大企業で新卒の正社員として入社できたから、この時代では勝ち組への第一歩を踏めたのかもしれない。それも東京本社勤務だ。とはいえ、その地位を維持するのはそんなに甘くはない。「社内報の担当を頼む」上司から命じられたのは3か月前。
 先月までは先輩についているだけで、淡々と作業をこなすことができたが、今月は違う。「おい、お前そろそろひとりで記事を探して書いてみろよ」先輩からの一言は、それまでののんびりした会社員生活を一変したかもしれないのだ。

 外部の人間からすれば「たがが社内報で」と思われるかもしれない。だがそれは当事者になっていないものの戯言だとおいらは思う。なぜならば社内報は社長をはじめ役員らも見る。むしろ彼らの方が、現場の作業に忙殺されている一般社員よりも社内報をじっくりと眺めそうなのだ。
「下手なことは書けないしな」これがおいらが先輩から命じられて初めて頭に浮かんだ言葉。
 それでも何もしないわけにはいかない。「何か社内で役に立つ情報って何だろう」おいらはその日からとにかくオフィス内を歩くことにした。と言っても就業時間中に歩くと間違いなく指摘されるだろう。だから昼休みで食事を早く済ませた後、30分くらいの時間を使って社内の様子を見る。

 ということで毎日やってはいるが、なかなか社内報に乗せられるような話題がない。過去の社内報の記事を眺めるが、それは次期社長が確定している現社長の長男で現・専務のコラムとかそんなものだ。
「もっとないかなあ」もしかしたらおいらは高いレベルを目指しすぎたのかもしれない。ネタがないと思いつつ気が付けば締め切りに近づいてしまった。

「もう、後がない」おいらは焦る。焦って昼休みに入ると食事をとることもなく車内を回った。「これがラストチャンス。どんな小さな話題でもいいんだ」そう自分自身に言い聞かせながら、社内を回る。

 しばらく歩くと、あるところにいる他部署の社員がひとりで何かをつぶやいているのを見つけた。おいらよりも一回りほど年上に見える彼は、カップにドリンクが注がれる自動販売機の前にいる。
「主任か係長、もしかしたら課長かもしれない」そんなことをあれこれ考えながら、おいらは彼にわからないように様子をうかがった。

「しかし、こうも毎日コーヒーばっかじゃなあ。あとは甘ったるいジュースとかだろ。何か変わったドリンクとかねえのかな。例えば葛湯とかさ。へへへへ。それはないか」
 ひとりでぼけて、ひとりで突っ込んでいる彼は、口元を緩め白い歯を見せていた。ようやく注がれたのか、コーヒーを手に取ると黙ってそのまま自らの所属する部署のオフィスに去っていく。

「葛湯?そんなもの誰が飲むんだ」直後においらはそう思ったが、ふとそのときにひらめいた。「コーヒーばっかと言ってたな。そうか自動販売機のドリンクがマンネリ化している。なるほど、これいけるかも」
 おいらはようやく社内報の記事が書ける気がした。急いで自分の部署のオフィスに戻る。

「忘れないうちにっと」お昼休みがまだ終わっていないのにおいらはパソコンのキーボードをたたき始めていた。そう、今日の夕方までに完成させなければいけない社内報の現行の制作だ。それまでの期間、ネタが浮かぶ前まではひたすら画面とにらめっこ。マウスのクリックを左右試すようにクリックしながら、キーボードの試し打ち。あとは上司の目を盗んでネットを徘徊していただけであった。それが急に本気モードにスイッチが入る。キーボードの上では、左右の手の指が楽しそうにタップダンスを舞っているかのようだ。

「よし、できたぞ」午後3時過ぎには原稿が出来上がっていた。内容は自動販売機をテーマにしたもの。社員が同じドリンクだと嘆いている現状を取り上げ、「例えばドリンクの一部を変えることができないか。それも社員のリクエストで」みたいな内容だ。

「ほう、これはなかなか面白い視点だな」上司はおいらの原稿を見ながら思わず目元が緩む。こうして無事に、おいらの記事も入った社内報が発行された。タイミング的に来年の新卒者が見学に来るオープンカンパニーの時期と重なったために、社内報は彼らの目にも届く。事実上のオープン社内報となった。

 それが功を奏したかどうかわからない。まもなく社内の自動販売機のメニューについて、社員の好みを聞こうということとなり、全社員に対して投票をすることになった。
「ここまで行くとは思わなかった」書いたおいらが最もビックリしている。だけど、これでマンネリ化しているドリンクとは違うもの。もし葛湯が採用されるとしたら、おいらのやっていることは多分良いことだといえるだろう。

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シリーズ 日々掌編短編小説 1019/1000

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