見出し画像

手羽先唐揚げvsバッファローウイング 6.14

「やれやれ、まあ付き合いだからね。俺にメニューの審査と言われてもさ」
 ここは都心のビルの中、大手外食チェーンの会議室である。新しい居酒屋のメインのメニューについて鶏肉を使うことは決めていたが、具体的なメニューについて試行錯誤を繰り返している。
 グルメ雑誌の編集長・茨城はこの会社の社長からの要請で、社外の審査員として招かれていた。
 会議室には社長を含め10人の役員がいる。それとは別に茨城のほか、関係各所から外部の審査員が10人いた。今日は今から数種類の手羽先を試食して好きなものを選び。新メニューの参考にしようというのだ。
「うん、あいつどこ行ったんだ」茨城はこの審査会を取材するという条件で審査員を受け持ったが、肝心の取材を行う、編集員の古川マリコの姿が見えず苛立った。しかしちょうど会議が始まろうとしたときに古川が会議室に入ってきたのを確認。

 一方で古川は会議室にぎりぎりで間に合ったが、実は10分前にある現場に遭遇。即興でインタビュー取材をしたことが遅れた原因であった。
「せっかくの本社取材だから何か面白いネタないかしらね」トイレに行くふりをして古川が寄り道していると、ある部屋から何かを揚げている音と匂いが聞こえる。「うん?」
「くそ、時間がない。当日揚げるのは無理だったかぁ」そこは社内にある調理室。居酒屋チェーンの新メニューの試作品を調理する場所だったのだ。
「あ、あのう」古川が恐る恐る中に入ると、エプロンをした若い男性社員が目の色を変えて何かを揚げている。

「一体何を?」「え、どちら様」「あ、失礼しました。本日試食審査会の取材に参りました雑誌記者の古川です」古川はそう言って名刺を渡す。
「あ、ぼ、僕は杉本です」杉本と名乗る男性社員は、後ろポケットを触り。慌てて名刺を出す。
 名刺には『研究開発部』とあった。

「これは試食審査用のですか?」さっそく古川が質問。「そうです。でも、もう始まりそうですね。ああ間に合わない」杉本はつぶやきながら揚げている手羽先の出来具合を確認する。高温の油で揚げられている手羽先は、色だけ見ればもうできているように見える。
だが杉本は「もう少しかかるでしょう。骨との接続部分まで火を通さないと」と慎重だ。

「お忙しいところ失礼しました。ひとつだけ質問させてください。ほかのメニューはすでにできているのに、なぜ遅れているんですか」
「ああ、他のは昨日作って今日は直前過熱しているんです。だから本来の味ではない。僕がプロデュースするこの手羽先の揚げ物は、出来立てを審査員の皆さんにと思ったのですが、やっぱ失敗でした」と肩を落とす。

 古川は時計を見る「あ、時間。もう行かなきゃ。あ、杉本さん。ありがとうございます」と言って一礼する古川は会議室に急いだ。

 こうして試食会開始の時間ギリギリに間に合ったが、古川はすぐに取材体制に入った。すでに同行しているプロの写真家は先に構えていて、最初に立ち上がり、語ろうとする専務の顔を捉えていた。そして審査員の中にいた茨城と目が合ったのですぐにそらす。

「本日は我が社の新業態でもある『居酒屋チキンチキン』の新メニューについての最終審査を行う」進行役もかねて挨拶をしているのはこの会社の専務。外国のブランド物と思われる高いスーツ姿である。「まずは今回の試食会の前にわが社の社長から挨拶があります」
 専務が座ると右隣にいた社長が立ち上がる。社長もスーツ姿。白髪の七三分け。銀縁眼鏡をかけていた。そして創業者らしく立ち上がっただけでオーラのような威厳がある。
「今日はお忙しい中、わが社の試食会の審査員を受けていただき感謝いたします。これは社内で会議などを行った結果、日本の手羽先唐揚げ数種類とアメリカのバッファローウイングを味見することになりました。
 社内の役員だけでは意見が偏るかと思い。今日は特別に私のほうからお願いして社外の審査員の皆さんを招きました。ではじっくりと味わっていただき、皆さんの貴重なご意見を承りたく存じます」

 社長はそう言って頭を下げると、再び専務が立つ。専務は社長の弟とのことであるが、こちらは髪がまだ黒くて角刈り。さらに眼鏡をかけていなかった。
「では今から準備をします。皆さん2・3分お待ちください。その間どうぞ目の前の資料を目を通して下さいませ」
 専務の話は終わった。そのタイミングで古川が、小走りに茨城の前に来た。「おう、古川。ぎりぎりまで何してた。今日は俺は審査員だから、しっかり取材。お前が責任を持つんだぞ」「分かってます。ところで編集長」
「うん?」
 古川は茨城に何か耳打ちする。茨城は何度か頷き「なるほど。それはよくやったな。よし、わかった」と答えた。そして古川は茨城の元を離れて取材活動に専念する。

 専務が立ち上がった。「さっそくですが、先に手羽先の方から行きましょう。本当は3種類ですが」ここで専務は口をつぐむ。そして横にいた社員に「おい、どうなっている。あとひとつは」とささやくような声。社員は困った表情で「も、もうしばらく」と言いながら会議室の入口を気にした。
 専務は眉間にしわを寄せると「ええと失礼。今は2種類あります。先ずはカラッと揚げた、名古屋式手羽先です」専務が答え終わると、審査員の前には、皿に盛りつけられた手羽先のから揚げが運ばれた。
「これは甘辛のタレに加えて、コショウがピリッと辛い味付けに仕上げております。どうぞお召し上がりください」
「名古屋式か、おうこれは去年特集組んだな」茨城は心の中でつぶやくと他の審査員同様、手羽先を口に含み目をつぶりゆっくりと歯を動かした。
「なるほど、確かに名古屋の手羽先だ。そういえば今日6月14日は、名古屋の有名な手羽先のチェーン店の創業日だから手羽先の日だった。それでこの日に試食会かあ」
 茨城は資料のひとつとして置かれているチェックシートを見ながらメモを入れる。

「いかがでしたでしょうか。食べ終わりましたら。どうぞ水を飲んで口の中を洗って下さい。次はオリジナルから揚げです。これはタイのレッドカレーペーストを手羽先にしみこませて揚げました」
 専務の話のあと、名古屋式のとき同様にレッドカレーのから揚げが審査員の前に並ぶ。
「これは俺よりアジア好きの松沢のほうが喜ぶだろうな」茨城は再び心の中でつぶやくと手羽先を口に運ぶ。「うん、これはまたなかなか個性的な味だ」

「では、3番目行きます。これはバッファローウイング。アメリカの手羽先ですな」専務が今までと違いどことなく張り切った口調。それもそのはずだ。バッファローウイングをメニューに加える提案をしたのは、ほかならぬ専務。ニューヨーク在住経験があることが何よりもの自慢である彼らしい動きだ。「これは鶏肉の手羽を素揚げにし、辛味の強いソースをまぶしたアメリカの料理。一口食べればビールが本当に進みます。でも今日はありません」
 その瞬間笑いが起こる。社長は無反応だが、常務以下の役員たちは大笑い。「専務のジョークは笑わないと笑えないんだろうな」と、茨城も笑わない。
 こうして運ばれてきたバッファローウイングを口に運ぶ。「確かに飲みたくなったなあ。終わったらこの茨城君は飲みに行っちゃおう」と頭の中を巡らせる。

「できた。急げ」そのころ社内の調理室。杉本はようやく揚げたての手羽先を容器に入れると会議室に向かって走り出した。
「君、結局来ないではないか。もうあとひとつのは無しだ」「も、申し訳ございません」専務は先ほどの社員に怒りをあらわにした。だが少し声が大きかったのか、一斉に専務に視線が向けられる。直後に社長の咳払い。
「え、あ、失礼しました」わざと笑顔で言い訳気味に立ち上がる専務。「え、その、手違いがありまして、あとひとつはキャンセルとなりました」

「ちょっと待ってください!」ここで茨城は声を出し手を上げる。そして立ち上がると「本日審査員をさせていただいております私は、雑誌社の編集長をしている茨城です。またこの審査会の取材を快く受けて下さりました。社長には誠に恐縮です。実は取材担当しております弊社の古川によれば、あとひとつの手羽先は今揚げている最中と聞きました。間もなく来るので、今しばらく待たれてはいかがでしょうか?」

「お待たせしました」その直後に会議室に入ってきた杉本。息を切らしながら容器に揚げたての手羽先を持ってきた。
「君、わが社では約束時間を守れるような社員は不要だ。もうキャンセルと決まった。下がり給え」怒りに満ちた専務は杉本に強い口調。杉本は頭を下げるしかない。「おい、出来立ての手羽先を無駄にするのか?」威厳のある声で立ち上がったのは社長。
「し、社長。でもルールが」
「確かにルールは大事だが。審査会の手羽先の揚げ物どれも前日に作って、当日温めなおしたものだと、私はすぐに分かった。私は小さな店を夫婦で始めてこの会社を大きくしたという自負がある。出来立てのものがおいしいこともだ。だから味わおうではないか。君、私が許す。手羽先を審査員の前に」
 社長の一言に専務は何も言えず「で、では遅くなりましたが、最後の手羽先を」とだけ言って座り込む。

 杉本は皿の上にひとつずつ手羽先を持っていく。そして審査員の前に配られた。「これが揚げたて。確かに違うな」茨城の一言。そして出来立てを味わった。「出来立てというのもある。だが塩コショウとシンプルな味付けのバランスの良さ、それからこの上げ具合が絶妙だ。これは美味い」茨城は、それまでのメニューもしっかり骨についた肉まで味わったが、これに関しては本来食べない、肉の少ない先端部分まで食べてしまう。

 こうして審査会は終わった。出来立てというハンデがあるものの遅れた杉本のプロデュースした手羽先は高評価。まだ決定ではないが、メニュー化へのチャンスが広がったのだ。

「では、ありがとうございました」茨城と古川、そしてカメラマンの三人は社長や専務たち役員の前に来て頭を下げる。
「良い記事を楽しみにしてます」と社長は笑顔。そして会議室から立ち去る茨城発ちを待ち構えていた杉本。慌てて頭を下げる。そして古川と目が合うかと思うと、お互い自然と笑みがこぼれたのだった。


こちらの企画に参加してみました。

 肉にしても魚にしても骨があるよりもない方が食べやすいです。なのに面倒な骨付きの肉が好きで、骨と肉との間の部分をそぎ落とすのが溜まりません。その中でも手羽先は一番気軽に食べられる骨付き肉。普通は手羽先でも肉がたっぷりの大きい方を食べますが、勢い余ったときには、小さい方の先端部分の肉を食べてしまうことがあります。
 それだけ今回小説に取り上げた手羽先は食べるのに愛してやまないというわけでした。


こちらから「旅野そよかぜ」の電子書籍が選べます。

-------------------
シリーズ 日々掌編短編小説 509/1000

#小説
#掌編
#短編
#短編小説
#掌編小説
#ショートショート
#手羽先記念日
#手羽先
#バッファローウイング
#私が愛してやまないもの

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?