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ある光画師が撮影する写真の世界

「言っておくがな、実は写真家ではない。僕は光画師なんだよ」
「コウガシ? え、忍者?」私は目の前にいる写真家の田吉翔磨が発する一言に頭が点になった。
 私はある月刊の写真雑誌を発行している編集社で働いている。実は少し違う業界から中途で採用された。そして研修や先輩とのOJTを経た後、いよいよひとりで契約している写真家を担当する立場になる。こうして編集長から指名された写真家が田吉であった。

 正確な年齢は本人非公表のためわからない。だが雰囲気的に40歳代前半と思われる田吉は、他の写真家と違った。実在するものとは思えない不思議で幻想的な撮影をすることで有名。もちろん世の中に芸術的な撮影をする写真家は山ほどいる。だがどうもそれらの写真家とも一線を画しているのだ。
 編集長がある人伝手で、噂の田吉との契約に成功。その担当をいきなり私にぶつけてきたのだ。はっきりした理由はわからない。
 おそらくは趣味と副業を兼ねて描いた抽象画を売って、小遣い程度を稼いでいる私の経歴がその理由だろう。そして挨拶に行った際に、いきなりこのような一言。さすがに戸惑ってしまう。

「ふふふ、忍者。甲賀忍者ね。君はなかなか面白い担当者のようだ」
 肩まで伸びたストレートの黒髪。サングラスをして目の中の表情はわからない。黒いシャツと黒いズボンに黒い靴と黒ずくめという出で立ちも、不思議な雰囲気を倍増させた。だが顔の表情、口元が緩んでいるのを見る限り、言葉通りに彼自身は楽しんでいるのがわかった。私はそれで少し安心する。

「では、なぜ私が光画師というのか説明しよう。一般的に写真と呼ばれるものはどのように出来上がるか、少なくとも現在の主流であるデジカメ技術では間違いなく、光を取り込んで映像化する。つまり光を使って描いているのだ。だから光画師である」
 田吉のこの言葉で私は納得した。「あ、な、なるほどそれわかります。私は油絵の具で絵を描くのが趣味なんです。つまり田吉さんは油絵の具の変わりに、光をカメラという名の道具で取り込んで描いてらっしゃるといいたいわけですね」

 田吉は大きくなづいた。「編集長から聞いたが、君は物分かりがよさそうだ。こういう担当がいれば、私の世界もより伝えられやすいだろう。ふふふふふ」見た目が同じように見えるが、よく見れば口元がかすかに動く田吉。私はこの人の表情は口元で判断すべきだと直感した。

「まあデジカメというものは、現実にはデジタル信号としてアウトプットしている。ナノとかそういう世界のもの。だから所詮生身の人間どもには色として識別できるのだろう。だが私としてはそれが君のようなアナログの油絵の具に勝てないのが残念だね」
「え、デジタル信号、で、ですか」
「ん? 何、君はそんなことも知らないのか」田吉の唇がへの字に曲がった。どうやら不機嫌なことを言ってしまたのかもしれない。

「そういう意味では光画師とうのは嘘かもしれない。実際には現実の風景や被写体を取り込んでから0と1の信号に置き換えて、それを自動的に羅列させているに過ぎない。本物の光ではないのが辛いね」
「はあ?」私は思わず疑問の声を出してしまった。ところが田吉の表情がますます険しくなり、眉間にしわが寄る。
「これは困りましたね。私の担当をされる方が全く理解されておられない。わかりました。あの写真を見てください」

「田吉さん、これですか?」私は田吉の指をさした写真を見る。夕焼けの海辺を撮った写真であるが、ピンクがかった幻想的なもの」
「これが田吉翔磨の世界......」私はこの写真の中に、吸い込まれる不思議なものを感じた。
「今からこの世界をご案内しましょう」
「え?」
 すると田吉は私に向けてカメラを構えると、直後にシャッター音が鳴る。

「あれ、ここは?」私は突然どこかの海岸に来ていた。見ると夕焼けが見える海辺のようだが、空の色がピンク色をしている。ただし音が全くない。海が見えるのに、風の音も波の音も全く聞こえない無音の世界なのだ。そして肌にも何も感じない。匂いもない世界。まるで世界そのものがぼやけてているようにも感じる。
「見たことのない夕日だ。さっきの写真のところ? でここってどこ」
「気が付きましたかね」田吉の声がする。だが田吉の姿はない。

「た、田吉さんどこですか。というよりここは一体?」
「あなたは私の光画の世界がわかっておられない。したがってその世界を体験してもらいました」エコーがかかった田吉の声。一体どこから発しているのか見当もつかない。
「え、ちょっと田吉さん、意味が分かりません」

「私の特殊カメラであなたを撮影し、あなたはデジタル信号に置き換わりました。そして先ほどご覧いただいたデジタル信号によって表示された、写真の中に入っています。
「デジタル化? え! 写真の中?」私は田吉の言っている意味が分からない。少なくともとてつもなく恐ろしい状況下に置かれたことを直感した。

「ふふふふ。しばらくそこで考えて見られると良いでしょう。では後程」田吉の声はこれを最後に聞こえなくなった。
「ちょ、ちょっと、田吉さん。ちょっとここから出して。え、ちょっと助けて!!」

ーーーーー
「あれ?」私はベッドにいた。いつも見慣れている天井がそこにある。「あ、夢、夢かあ」私は体に冷や汗をかいていた。時計を見ると時刻は朝7時30分。

「プレッシャー? 今日午後から田吉さんの所にご挨拶に行く予定だった。でも。え、あんな人。ちょっと怖い」私は夢の続きを見ているかのように全身に鳥肌が立つ。

 こうして朝いつも通りに出社してお昼を過ぎていた。私は昨夜の夢の記憶が残ったまま不安が募る。もし今から会いに行く田吉翔磨が、あのような不可思議な相手なら......。

「よろしくお願いします」私は勇気を振り絞り田吉の事務所を訪れた。
「ようこそお待ちしておりました」田吉の姿は夢で見たときと全く同じである。肩まで伸びた黒髪、サングラスをしており全身黒づくめだ。よく見れば夢で見た事務所と同じではないか。

「あ、」私は思わず声に出してしまった。そのうえあの夕日の写真と同じものを見つけてしまうのだ。
 私は思わず耳元に心臓の鼓動音が聞こえる。「まさか、あれ正夢。写真に閉じ込められる?」
 だがこれ以降は私の杞憂で終わった。ここからの田吉翔磨は、夢とは全くの別人だったから。

「その絵が気になりましたかな」「え、あ、ええすごく幻想的で」私は適当に話を合わせる。
「実はそこは私が良く行くところなんです」「よくいくところ.......」このとき私は少し不気味に感じた。
「実はここから車で2時間程度のところにあって、撮影の練習に使います。あ、そうだ。今日は夕方まで晴れますね。同じシーンが見られるかもしれない。差し支えなければ、早速この田吉翔磨の撮影を見ていかれますか?」
「え、それはどういうことですか」

 私の疑問に田吉は口元を緩める。
「今からあなたと、この場所まで行きましょう。そこで天気が晴れたままなら同じ撮影ができます。どうですか? 私もあなたの雑誌社と契約したばかり。ご挨拶代わりに一枚撮りますよ」
 私は即座に会社に連絡をした。田吉琢磨が急遽夕焼けの撮影をしたいと。編集長は「もちろん行ってきたまえ、彼から撮影を申し出るなんてなかなかないぞ」

ーーーーーー
 田吉の車に乗り2時間、田吉がいつも撮影するという現場に到着したのがちょうど夕暮れ前。
「お、僕の見立てた通り。今日はいい撮影できそうです」田吉は口元を緩めて白い歯を見せながら浜辺にカメラの機材をセット。私はカメラ撮影のことは素人だから黙って見ていた。
 だがひとつだけ気になる質問をする。「あの、差し支えなければですが質問が」
「はい、なんでしょう」
「肩書の光画師というのは一体」田吉は私のこの質問で、手の動きを止めた。そしてこっちに顔を向ける。私は一瞬身構えた。だがすぐに笑顔。口だけでなく目じりにしわが見える。
「ハハハハ、それですか。いやあ、大したことではないです。単なる写真家とかカメラマン、フォトグラファーというのなら、みんな名乗ってるじゃないですか。だったら目立とうと思ってそれで思いついたんです。カメラって光を取り込んでその画像を描いていると」
「それで光の画師」「はい、ただデジカメの場合、電気信号に変わって0と1の世界の羅列になりますがね。ああこれはちょと難しい話をしました。失礼。まあ今の話など気にされなくていいです。ハハハハハア!」と再び笑った。

「現実は夢とは違った」私は全身から電気のような痺れを感じると、急に体の力が抜けた気がした。そして深呼吸をするように胸をなでおろす。

「では、準備完了。空の雰囲気はちょうど良いです。今から私が撮影をしましょう。そこで静かに見守ってくださいね」
 田吉はそう言うと、カメラに視線を集中させる。サングラスは外したようだが、彼から離れていたので、表情はわからない。私は物音ひとつ出さないように注視した。するとそれまで気づかないこの世界の様子が五感を通じて伝わる。幻想的な色彩の中には音があった。定期的に聞こえる穏やかな波の音、そして風らしき高めの音が聞こえた。また鳥の声も聞こえる。それからうっすらと伝わる潮の香。さらには肌に時折ぶつかる風の衝撃がはっきりとわかる。

 これは夢で見た何もない世界とは違う。現実にあるリアリズムな世界。よく見れば空の色も時間を追うごとに変わっている。到着したときはまだ青みが残っていた空が、完全にオレンジに染まっていた。やがて夕日が沈むのがわかると急に幻想的なピンクっぽい色合いに。
 私がそんな空気を味わっている間、田吉は次々とシャッターを下ろしていく。
 さてどのくらいの時間がたったのだろうか?「終わりました。これはいい写真出来ましたよ」

「あ、ありがとうございます。次月号で、できるだけ目立つところに田吉さんの写真掲載できるように、編集長に掛け合いますね」
 私は必死に礼を言う。
 田吉は笑いながら「いえいえ、お気遣いなく。それでは帰りましょう。本当なら会社かあなたの自宅まで送りたいですが、余計な勘違いとかされてはいけないので、今回は最寄り駅までにしますね。車なら5分程度なので」

「ありがとうございます。今日はそうします」私は田吉が意外に気遣いのできる人だと思った。そして駅で別れる。もちろん帰りの交通費の経費は落とすつもり。
 そして私はスマホを見る。実は田吉の横で私も撮影していた。気づかれないように。
「だったら私はこれを使って、油絵描いてみよう」
 私は誰にも聞こえないような独り言をつぶやき、駅の改札に向かうのだった。


「画像で創作(5月分)」に、墨字書家・五輪(いつわ)さんが参加してくださいました

 島を眺めると感じる実家の様子がよく伝わります。そして既存の仏教とは違う独特な信仰。その信仰による先祖からの未知なるパワー。主人公であるアリスさんが苗字を変更という、戸籍に対する新たな出発への決断と、人生の転機を感じさせる内容でした。ぜひご覧ください。


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