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外出自粛と、スキンケア

わたしはどうやら、ストレスが溜まるとスキンケアに走るらしい。

このことに気がついたのは、3月の半ばのことであった。

ふだんから、基礎化粧品に関しては人並み程度の関心はあって、じぶんの肌の質やら、気になるお悩みやらに合ったものをいろいろと探してはいた。
が、元来あまりじぶんに投資するほうでもないので、地元のドラッグストアでその時期にポイントがよけいに付くものや、今月のお買い得品!みたいなものをなんとなく買う程度だった。

ところがある日を境に、インスタやらTwitterでみかける基礎化粧品の広告の数々が、気になって気になって、しかたなくなってしまったのである。

もともとお買い物がすきな方ではある。


というか、わたしの趣味のひとつといえるぐらいにはすきである。買うのももちろんだが、いろんなものを「見る」のがすきだともいえる。そんな大事な趣味のひとつが、このたびの外出自粛要請により、容易にできなくなってしまった。

はじめは、某Zからはじまるファッション通販や、密林の名を冠したお買い物のできるインターネットの空間をぼんやりながめていたのだが。

ない。

ないのだ。

わたしのほしいものが。そこには

なにをみても、どうしようもなくほしい、とかなんてすてきなの、というあのお買い物特有の高揚感が、まったく得られないのである。

そうこうしているうちに、満たされない物欲(この場合はほしいものがほしい、という物欲を欲するというなかなか複雑な物欲である)を抱えながら仮想空間をただようのが、どうしようもなくつらくなってきたのである。

浅瀬へ急に浮上してしまった深海魚のような顔でインターネットの海を漂ううちに、わたしの目にある広告が留まったのである。

インスタのストーリーをめくるたび、何度もあらわれるそれは、

はたしてそれが、基礎化粧品の広告たちであったのだ。

元来重めの花粉症を患っているわたしにとって、この季節は「肌がゆらぐ」季節だ。

広告たちはフォロイーのストーリーをみっつかよっつ、めくるごとにあらわれ、「この季節、ゆらぎがちなお肌に」とか「毛穴の目立ち、気になりませんか?」とか、ありとあらゆる「ちょっと気になる」を問いかけてきたのだ。

気がつけばわたしは、気になる広告をみっつほどピックアップし、さまざまなサイトを駆使し、それらの基礎化粧品のことを調べていたのであった。

どうやらわたしは、ストレスが溜まるとスキンケアに走るらしい。

なんとなく、そんなことを思いはじめていた。

2週間ほどのリサーチ期間を経て、それらみっつの、厳選された基礎化粧品たちが我が家へやってきたのである。

待ちに待ったその瞬間が、きた。

梱包されているビニールを剥がし、やたらにすてきな紙質の箱をあけるとそこには、

わたしの「ゆらぎがちな」「毛穴の目立つ」肌を美しく輝かせてくれるという、基礎化粧品たちが、しずかに横たわっているのである。

トライアルセットとはいえ、三者三様になかなかに凝ったリーフレットと、おしゃれなライフスタイルについて綴った二行ほどの文章が印刷された、ワックス紙のような透ける紙がはいっている。まだ箱を開けただけなのに、こりゃ肌もきれいになるわな、と納得してしまう謎の説得力に満ち溢れた、なんともすてきに美しいセットなのである。

久しぶりに感じるこの高揚感。これはまさしく、

「お買い物」のきもち

これが、
わたしのほしかったものだ。

まちがいなく、そこにはあったのだ。

わたしのほしかったものが

ほしいものがほしかったのではない。
未知のものと出会えた、
はじめての「すてき」に出会えた、

このきもち、この高揚感

わたしが「お買い物」にもとめる、
そのよろこびが、このちいさな箱につまっていたのである。

ああ、わたしにとってお買い物は、
日々の生活によろこびをもたらす、
ひとすじの光のようなものだったのだ

こんな風に書くと、どうにも大げさに聞こえるが、その瞬間わたしは、ほんとうにそうおもったのだから仕方ない。

さて、そんな大感動ののちであるが、
実際まだ届いて数日しか経っていないので、使いはじめたばっかりで、なにがなんだかわからないのだが

ひとつだけ言えることは、

買いすぎた。

このひとことに尽きる。

正直一種類でよかったわ。たぶん。
ひとつめ使ったあとに、ふたつめ使って
そのあとみっつめ使ったら、ひとつめの使用感忘れてるからさ、たぶん。結局みっつめを定期購入しちゃうとおもうよ。

わかんないけどね。

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