多様な視点から物事を見るためにすること 塩麹が教えてくれた

こんにちはYutaです。
今回は「視点」についてお話しします。
様々な視点を持つことが
この前塩麴を作りました。
その時突然「はっ」と思うことがあったのです。
味噌は塩麴の延長線上のものだったのか!と
「ちょっと何言ってんのか分かんない」
うん。そうだよね。ちゃんと説明します。
味噌は塩麴の延長線であるという発見
まず、塩麴とは何か簡単に説明します。
塩麴とは、麹に塩と水を加えて常温で1週間程度、もしくは60℃程度の環境で6時間ほど発酵させたものです。
要は、麹の一度眠ってしまったカビと酵素を
(カビや酵素は水分とある程度の温度がなければ働かないので、麹中の酵素は麹単体では効果を発揮しない)
水の中で復活させたものなのですね。
なので、塩麴の製造過程で、麹に含まれているお米の成分が復活した麹の酵素によって分解されていくことで
塩味とともにお米の甘さも液体中に抽出され、まろやかでうま味のある調味料が出来上がるのです。
塩が必要なのは酵素復活の際、他の雑菌の侵入を防ぐため。
この塩分が含まれている液体が塩水なら塩麴
塩分が含まれている液体を塩水でなく、醤油で補えば醤油麹なのです。
なので、
塩麴=麹+塩水
という式が完成します。

味噌は、麹と大豆、塩と少量の種水を用います。
蒸してペースト状にした大豆に麹を加え、塩と水を加えるのです。
要は大豆の成分を麹の酵素で分解するために、カビと酵素を働かせるための水分として、豆の水分と少しの種水を加え
発酵中雑菌が寄り付かないようにするために塩を添加しているのです。
なんか前にも聞いたことがある説明ですね。
ということから
味噌=麹+大豆+塩+種水
という式が成り立ちます。
ここで少し式を簡単にします
味噌=麹+(塩+種水)+大豆
味噌=麹+塩水+大豆
「ん?」となったと思います。
もう1度塩麴の式を見ましょう
塩麴=麹+塩水
でした。ということは
味噌=(麹+塩水)+大豆
味噌=塩麴+大豆
なんてこった!
「味噌って、製法の順番や、塩、麹、水の割合などこまごました要素を取り払ってしまえば、塩麴に大豆を加えたものとすることできるのではないか!」
と僕は思ったんです。
ちょうどその時
塩麴を鮭に漬け込んでいたのですが、結局それって
塩麴+鮭
味噌の大豆部分が鮭に変わっただけなので
「僕は鮭味噌を作っていたのか!」となり
(正確にいうと、味噌の定義は穀物を麹で発酵させたものなので鮭味噌とは本来言えない)
そこから、麹の漬物である三五八漬けも
(麹と塩で野菜を漬け込んだもの、野菜の水分を使い酵素が働く)
「野菜味噌だったのか!」となり
この前漬け込んでおいしくいただいた鶏肉も
「鶏味噌だったのか!」
と、驚きまくったのです。
一見全く別々のものである気がしていた「味噌」「麹漬けの鮭」「三五八漬け」が実はみんな塩麴から生まれた兄弟であったのです。
個別であった点が、塩麴という線でつながったのです。

点が線でつながることで変わる世界観
お待たせしました。
今回の本題である「視点」についてお話しします。
点を線でつなげるために、日々僕は考えているのですが
なぜなら
新しい物事の見方をどんどん増やしていきたいからです。
点だけでは1つの見方しかできませんが
線が加わることで、その線でつながった他の点からの見方が生まれます。
そして
その線を見出すのは、点と点の間にある何かしらの共通点です。
味噌と三五八漬けは「塩麴」という共通点を持っていたことから僕の中で繋がり
「塩麴の大豆ペースト漬け」と捉えることが出来るようになりました。
同じように、鮭の塩麴漬けは塩麴を通して味噌と僕の中で繋がり
「熟成期間の短い、鮭味噌」と捉えることが出来るようになりました。
味噌は、作るのが大変、難しいと感じますが
「漬物」と捉えるとなんとなく出来そうな気がします。
「味噌=大変そう」という自分の先入観が
「味噌=漬物=簡単」という視点を持つことで破壊された瞬間
味噌が僕の世界に入り込むことが出来き、僕の知っている世界が一気に広がりました。
物事はとらえ方次第でどうにでもなるのです。
「だから何が言いたいのだい。Yuta君は。いつも話が長いよ」

僕がここで言いたいことは
いつも様々な視点を探して、意識して、考えることが大切ってことです。
繰り返しになりますが、僕は日々そのトレーニングをしています。
今回の発見もその例です。
様々な点と点の間に共通点を見出し、線で繋ぎ、多くの視点を持ち
手に入れた様々な視点を駆使して、色んな方向から物事を見る習慣をつけると
感情で動かなくなり、自分も相手も傷つけることが少なくなります。
心が安定します。
不安、嫉妬、怒りなどの感情も、その状態を一点からしか見られないから起きるからです。
視点を変えると怒りの感情が収まることの例を1つあげます。
この前
僕の冷蔵庫の最後の1つの納豆が家族の誰かに食べられてしまった時がありました。
僕は「なんでだ!」と怒りそうになりましたが
一度落ち着き
その状況を、「僕の視点から見た僕」ではなく、「家族のから見た僕」に視点を変えてみました。
そしたら、僕は
「納豆を失った可哀想な奴」ではなく、家の冷蔵庫を私物化し、自分だけの納豆を入れている「協調性のない奴」であったのです。
なんてこった!僕はなんて子だ
と一瞬落ち込みましたが
納豆を家族の誰かが食べたのでその納豆は僕だけのものではなくなったのです。
ということは
僕は「家族のために納豆を購入するナイスな奴」ということになります。
こうして視点を変えると
「納豆を失った可哀想なYuta君」というアンハッピーな結末だと思っていたお話は
「協調性のない奴から、みんなのために納豆を購入するナイスな奴になったYuta君」
という、ハッピーな結末のお話になるのです。
そのことに気づいたら、怒りは起きませんでした。
むしろ感謝です。
「お母さんか、お父さんか、妹、僕をナイスな奴にしてくれてありがとう!」

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