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【読書メモ②】「音楽と生命」坂本龍一/福岡伸一

先日、NHK Eテレ「SWITCHインタビュー達人達」(2017年)の再放送を観て、対談中の教授の破顔に心を射抜かれ、即、購入した本の個人的な感想、第2弾です。

【目次】
■世界をどのように記述するか―刊行に寄せて
■PART1 パーク・アベニュー・アーモリーにて 壊すことから生まれる―音楽と生命の共通点
■PART2 ロックフェラー大学にて 円環する音楽、循環する生命
■Extra Edition パンデミックが私たちに問いかけるもの

『音楽と生命』目次

■PART2 ロックフェラー大学にて 円環する音楽、循環する生命

蘇るファーブルの言葉
この章で、教授こと坂本龍一氏が、ハカセこと福岡伸一さんに、彼の研究について話を伺っているくだりです。

福岡さんの研究チームは、特定の遺伝子を潰しているマウスがどんな異常を引き起こすのかを観察していたそうです。

部品を一つ欠損しているにもかかわらず、マウスには何の異常も見られなかった。さらに、次の世代のマウスたちもみんな元気だった。

多くの時間と研究費を費やしたのに、異常を示すデータが全く取れず、大きな挫折となったそうです。

けれど、福岡さんにはその可塑性のほうに驚かなければならないという思いもあった。なぜなら、それこそが生命を生命たらしめているからだ、と話します。

続けて福岡さんが引用したのが、ファーブルの言葉です。

あなた方は虫の腹を裂いておられる。だが私は生きた虫を研究しているのです。~中略〜 あなた方は薬品を使って細胞や原形質を調べておられるが、私は本能の、もっと高度な現れ方を研究しています。あなた方は死を検索しておられるが、私は生を探っているのです。(『完訳ファーブル昆虫記第2巻上』2006年)

『音楽と生命』p.126-127

ドキッとしました。
同じ「生物」を探求しているはずなのに、学者によって見ようとしていることが違う、ということなんですよね。

「ああすれば、こうなるはずだ」という「原因ー結果論」的な考えではなく、ファーブルは視線の先に生命の持つ可塑性や柔軟性、レジリエンスを探し求めていた。そういった「生きているほう」へ視線を向け、何かを探求している姿に心を揺さぶられました。ありきたりな言葉しか思いつきませんが、とてもカッコいいと思います。

福岡さんは、このファーブルの文章に出会い、自分も生を探求しようと思ったそうです。
福岡さんがこのファーブルの引用文を提示したあとに、教授は「素晴らしい!」と相槌を入れます。

死を検索するのではなく、生を探る。これって学者だけではなく、あらゆる分野の人たちに必要な視点だと思えました。

もう一箇所ご紹介。

作ることよりも壊すことを
この章で福岡さんは、生命の動的平衡 ( 絶え間のない合成と分解を行うこと ) について説明する中で、2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典先生のオートファジー研究について触れています。

大隅良典先生のオートファジー研究は、「生命は、作ることよりも、壊すことを一生懸命行っている」ことを明らかにした画期的なものです。〜中略〜 だから、壊すことの重要性や積極的な意味についても、ちゃんと認識しないといけないんですね。

『音楽と生命』p.133-134

ついつい何かを生み出し、形作ることばかりに意識が向きがちな私にとって、福岡さんの言葉は

「ああ、・・・壊れてもいいんだ。」

と、壊れることに対する、強い肯定感と何とも言えない安心感を私に与えてくれました。

そして、ハカセの説明を聞く中で教授は、壊れるほうが多くないと、そして、何かが崩壊しないと生まれない「動的平衡」について深い理解を示し、やがて2人の会話は「死を受け入れる」という章に移っていきます。

ここからの「死」に対する教授の言葉は、皆さんにもゆっくりと味わってほしいです。何を思い、何を感じながら「死」についての想いを語ったのか・・・。私は他者であり、教授の心の内を知ることはできないけれど、自分の「死」に対する想いを落ち着いて赤裸々に語る教授に、人としての強さや尊敬の念を覚えます。何度も何度も読み返してしまいました。

教授も「壊れる」や「崩壊」について、私が感じたような肯定感を受け取ったでしょうか。
そして、「死」について語り合いながらも、それでもファーブルのように視線の先には「生」を探っていたでしょうか。

本の中の、愉しそうなお二人の表情が全てを物語っている気がします。教授が好きだからこの本を買った、ということもあらりますが、このようなお二人の関係性や雰囲気を見るだけで幸せな気持ちになれます。

写真を見るだけでもジワっときます。
そんなオススメの本でした。


第一弾はこちら↓