見出し画像

働きながら子育てすることに罪悪感〜自分の思ってる普通の母じゃないことに罪悪感

子供が小さい時は特に、
働いている時間は子供のそばにいてあげれないことで子供に申し訳ないと思っていて、

子供の病気で仕事を休んだりする時には仕事場に迷惑かけて申し訳ないと思っていて、

どこにいても、何をしてても周りに申し訳ない気持ちになっていた。

あの頃の自分を思うと、泣けてくる。

働いてなければ、子供達の側にずっといれたのに。そしたらもっと子供達にしてあげれたのに。
そう思って、悲しくなっていた。

子供が病気になると特にそう思った。病気の子供を夫や母に預けて仕事に行く時に、切なくなった。

そんな時に、この記事に出会って、号泣してしまった。
4年前のこと。

双子が3-4才、長男が小学1年生の時。

自分が見てきた父親、母親のイメージに重ねてしまって、
父親みたいに仕事に100%情熱を傾けられず、母親みたいに子供に100%情熱を傾けられず、出来ない自分に罪悪感。

とくに母親みたいに子供に100%情熱を傾けられない罪悪感が強かった。

そして、保育園に預ける罪悪感もあったのだけど、保育園の先生との関わりできっと、いいことがあっていると思えた記事でした。

後押ししてくれるような記事でした。


今回、アプリのDAY ONEで、過去の日記が読める機能があり、
4年前、この記事を日記に付けていたのが表示されて、久々に読めたのだ。

最近まで、日記を書く余裕もなく、時々しか書いてなかったのだけど、
歳のせいだと思うが、日々、忘れてしまう自分が悲しくて、覚えていたくて、出来るだけ日記を書こうと思い立ったのでした。

4年前の日記はほぼほぼないのですが、その記事を読んだ時は、書き留めたいと思ったのでしょう。

でもその記事の事はすっかり忘れていて、読む直すと、また気付きがありました。


今の私は働いて家族を支えている。
夫は縁の下の力持ちで日々の生活を支えてくれている。

私よりも夫が家事が得意で、家事をしてくれていて、
私の方が大黒柱だ。

私達の親世代は父が大黒柱で、母が家事をするのが普通の時代だった。


私は何となく、肩身が狭い気持ちになる事がある。

例えば、料理は夫がほぼ担当している事に。

母が料理を作るのが当たり前だと思っている自分がいるから。


例えば、子供が両親への感謝の手紙に、
「お父さんお料理ありがとう、
お母さんお仕事してくれてありがとう。」
と書いてあるのを読んで、普通とは逆だよねと思ってしまう事に。


記事の
「たりなかったのはイメージの選択」

と言う文が心に響いた。
私の中のイメージが少なくて、自分で自分を傷付けているだけなんだなと。

自分の中の両親像とかけ離れている自分をみて罪悪感を感じてしまっている。

いろんな人がいていいし、いろんな価値観があっていい。

自分の中の普通や正解に縛られてしまってるんだなと。

正解はひとつじゃないし、正解を生きなくてもいいのにね。

知らず知らずのうちに、自分で自分の首を絞めてたんだなと気付けた記事でした。

今のままの自分でいいじゃない!と思えて、肩の荷が降りた気持ちになりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?