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スクールカーストから落ちて、冗談じゃなく正解だった

こんにちは。私は性的少数者の中でもマイノリティと言われるジェンダーフルイドを自覚したことをきっかけに、自分の体験を綴るnoteを始めました。ただ最近、昔を振り返って書いているうちに「これって性自認に関係なく経験する生きづらさじゃない?」と思える話題が出てきたので、今回は番外編を書きます。


孤独って実は大したことない。でも子供の孤独は大人の何倍もキツい

小学校の頃、私の場合は性自認に無自覚だったのですが、やはりどことなく周囲と違ったので、実際に集団生活で浮きました。

社会生活を送るために、お互いがお互いのいる環境に馴染む努力って大事です。

ただ、一つの集団に馴染むまでには個人の努力だけでは限界があるんですよね。集団に所属するそれぞれの人間が互いに「コイツは仲間だ」と認めて初めて成立することだと思うので。

大人になって「合わない相手に無理して馴染まなくていい。どこまで周囲に合わせるかは、自分でコントロールしていい」と悟ってからはだいぶ生きやすくなりました。

それでも小学生の頃は学校が生活の大部分でしたから、毎日必死に生きるだけで精一杯でしたし、キツいこともたくさんありました。

正直な話「多数派でいじめてくる奴や無視してくる奴も、それを放っておく大人もいる学校に毎日通わなきゃいけないんだ」と半分絶望したことが何度もありました。

中学受験が少数派だった時代、親は「内申点を考えると、登校はした方がいい。負けるな」という意見でしたから、しぶしぶ学校に行きました。

ただ、ここで無理矢理登校して身につけた「しぶとく、でもムダな衝突を避けながら、自分のことも追い詰めずに少数派としてやっていくスタンス」が、大人になったら意外と役に立ったんですよね。

この先に書くのはSNS以前の時代にスクールカーストの圏外で生き残った個人の見解で、教育の理想を語るものではありません(むしろほど遠い)。

内容としても重いので、ご興味のある人のみ、先にお進みください。

「いい子」になったら詰んでいた、集団生活の現実

小学校の頃の私は、将来の目標もなければ(聞かれるたびに適当に作っていましたが)、もともと勉強が好きな方ではありませんでした。

ただ、4年生から転校した首都圏の小学校で息苦しさを感じたことをきっかけに「ここから抜け出したい」と、中学受験の勉強を頑張るようになりました。

アメリカの高校とシベリアの刑務所のハイブリッド版だった小学校生活

私が通った公立小学校の場合、今でいう「スクールカースト」の下や圏外に置かれると、何かと目をつけられることが多くなる風潮はありました。

あるアメリカの高校ドラマ(タイトルを思い出せない…)に「グループの序列があり、所属できなければ地獄を見る」というセリフがあったのですが、私の小学校もそういう感じの序列がありました。

特に男の子が何かとグループを作って群れたがる風潮がありました。毎朝登校すると、男子の最大のグループが校庭でランドセルを背負ったまま十数人の輪になっていて、通り過ぎる私をじっと見てくる、というくらいでした。不気味かよ。

グループの中にいる子も常に周囲を見ていて「見た目がイケてるか」「運動が得意か」といった比較や上下関係に悩みながら、その延長線上で「どのグループにも属さない奴を皆の前でサゲる(バカにする、言葉で攻撃する)ことで、自分をアゲる」感じでした。

これ、巻き込まれる側としては、頼んでもないのに隣からいきなりラップバトルを仕掛けられる感じです。いや迷惑だから。

今考えると、あの子達も大変だったんでしょう。でも、こっちを攻撃したがるのは本人の都合なんですよね。もし私が黙ってサゲられるままになっていれば、グループの全員が多分同じことをしようとしていたでしょう。

なので、私は喧嘩は嫌いでしたが、何かを言われるたびに反射的に言い返していました。「誰かをイジろうとしたらやり返されて何もいえなくなり、皆の前で恥をかく」という経験は、相手を弱気にしますから。

でもこれ、今思うと戦うたびに自分も相手の弱点を探る習慣ができ、結果的に性格が悪くなっていくので、メンタルが相当荒れました。

ちなみに、ドストエフスキーがシベリアの重犯罪刑務所での体験を基に書いた『死の家の記録』という本に、

「私が新入りの囚人だった頃、ちょっかいを出されても大人しくしていたのは間違いだった。刑務所では、毅然として怒ったり抵抗したりする囚人が尊敬される」

という内容があるのを読んだとき「私のいた小学校、ほぼこの刑務所じゃん」と思ったのを覚えています笑。

ケンカの末に、いじめっ子が漏らした本音

ある日、クラスメートのある男の子がぽつりと「(転校してきた当初)おかしな奴だからいじめてやろうと思った。でも、お前は強かった」と私に言ってきました。

別に私のことが本気で嫌いなわけではないけれど好きでもないから、とりあえずクラスの中で自分の地位を守るために攻撃して、返り討ちにあった、と素直に告白してくれたわけです。

私はその子の言葉に「へぇ」としか反応しませんでしたが「ああ、自分が思っていたほど深刻な背景があったわけでもなかったんだな」と、むしろ納得しました。

綺麗事じゃ生き残れない、少数派の学校生活

私は結果的に(メンタルもフィジカルも)生き残って小学校を卒業しました。

不登校の選択肢もありましたが、結局自分の場合はそれでは解決にならなかっ他でしょうし(自然に備わった性質とは一生付き合うので)、社会人の世界も小学校と大して変わらない部分があるのを考えると、しぶとく戦ってよかったな、と今でも思います。

会社も学校もそうですが、集団生活だとどうしても誰かに圧をかけたり無駄にイジろうとする輩が出てきます。個人的に、全く共感できないけど。

周囲の大人が守ってくれるとも限りません。特に公立小学校の先生は、授業と事務作業で手一杯。少数派として生き残るなら、助けてもらうのを待つより、別の環境に脱出するか、攻撃してこなくなるまで抵抗するのが現実的です。綺麗事では済まないんですよね。

「喧嘩やイジメは良くない。やめよう」で済めば、誰も苦労しない

「何か嫌なことを言われても笑って受け流そう」「喧嘩を買ったら相手と同レベルだよ」と子供を指導する大人はいますし、それはある意味正しいと思います。

ただし、相手と自分が互いに大人やそれに近い精神年齢で「これ以上やる(言う)と、取り返しがつかないな」と判断できる境界線を守れる場合であれば。

子供の場合は、手加減というものを知りませんし、自分のやったことが後々何を引き起こすか、事前に考えません。頼んでもいないのにこちらを攻撃してくるような子供なら尚更そうです。

相手が自分で自分にブレーキをかけられないのですから、こちらが転ばされて大怪我をする前に、多少痛くても相手に体当たりして止めるしかありません。

私の現実としては、多少のケガをしても抵抗するしかない場面がありましたし、抵抗できた自分はまだ運が良かったと思います。素直で優しいばかりに、周囲から壊されてしまった子供や大人の話を今も聞きますから。

先生から大人のご都合主義を学び、学年最恐のボス男子に助けられる

実際、小学校の先生も助けてはくれませんでした。私が彼らを頼ったのは、これ見よがしにモノを盗まれた時くらいでしたが。結局犯人の子は白状したのですが、先生のお気に入りだったので、大した騒ぎにはなりませんでした。

「あんまり大きな問題にしたくないから」と当時の担任に言われた時「大人は何をすべきか(建前)ではなく、自分の都合(本音)で動くんだな」と悟りました。この時自分が騒がなければ、事態はもっとエスカレートしていたと思います。

こんな状態でも私があまり暴力を振るわれずに小学校で生き残れたのは、ある程度気の強い性格だったことと、当時、同じ学年中の不良から恐れられるくらい迫力があったいわゆる「ボス格」の男の子が同じく中学受験生で、クラスも塾も別で接点が少ないながら、なぜか私と普通に会話していたからだと思います。

普段からかってくるイジメっ子たちが、なぜか彼と私の会話には絶対に入ってきませんでした。

振り回されなくていいスタンスが、大人になってから役立った

正直、子供の頃に大人のご都合主義や本音と建前、大人でも子供でも持つ同調圧力の理不尽な部分を学べたことは良かったと思います。

周囲から浮くという経験をしたことがなかった人でさえ、大人になってから自分ではコントロールしようがない原因で周囲から孤立し、何が起こっているのか分からないままいきなり「ハシゴを外されてしまう」ことは起こり得ます。

普段から周りに振り回されていると、結局自分が削られていくんです。

自分が生き残る過程で身につけた「保身のために群れない」「周囲に期待しない」「同調圧力があってもなくても、自分のしたことは結局自分に返ってくる。だから納得のいかないことはしなくていい」「もしも理不尽な理由で噛みつかれたら、自分がコントロールできる範囲で噛みつき返していい」というスタンスは、のちに私が大人になって社会でも役立つことになりました。日本でも、欧米にいるときでさえも。

長い文を読んでくださり、どうもありがとうございました。

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それではまた。


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