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あらためて考えるESG評価機関の存在意義

ESGやSDGsが流行語として広まる一方で、ESG評価に対する認識不足からなされる発言を聞くことも多くなりました。その中には「企業によるESG情報の開示が増えたから、もうESG評価機関はいらないのではないか」というものがあります。確かに企業によるESG情報開示は増加しました。中にはCO2排出量や障がい者雇用率など比較的多くの企業が開示しているパフォーマンス指標があります。一見すると数値データがあれば、良し悪しは評価できそうな気がします。

それでは内部通報件数が3年分公表されていたとしたら、読者の皆さんはどのように評価されるでしょうか。3年に亘って件数が減っていれば、通報しなければならない問題が減っているのだから良いとするでしょうか。しかし、内部通報者がその上司からの報復を受け、異動させられたり、退職に追い込まれている場合でも件数は減りそうです。

同業他社と比べて件数が少なければ良いと評価するでしょうか。しかし上記のように内部通報制度が正常に機能していなければ、件数が少ないことは逆に低評価としなければならないはずです。

このように単に数値データだけでは判断できないことはESG評価においては多くあります。財務分析におけるデータであれば、企業間の比較は容易で、例えば増収増益は良いこと、ROEが高いことは良いことと、言うことができるかもしれません。しかしそこで評価しきれない要素の一部をESG評価が担っていると考えると、そこには財務分析とは違う専門性が要求されます。

海外であれば40年、日本でも20年に亘って評価ノウハウを蓄積している草分けとなるESG評価機関が現存しています。ESGでカバーされる幅広いテーマについて知見を蓄えてきたそのような評価機関は、ESG情報開示が増えた今こそ、その存在価値を真に発揮するものと考えています。


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