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皆様の記事による情報収集【細川家・松井家】

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情報収集として、自分以外の方が書かれた細川家や松井家に関係するものを主に収納させていただいてます。
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細川家・松井家 情報収集リンク先一覧

◆日頃から拝見させていただいているホームページです。財団法人 永青文庫 熊本大学 永青文…

黒田きのと
3か月前
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小倉城 石垣の秘密~西の端へ~

ブラタモリで小倉城が紹介された際に、『堀から少し歩いただけでまたすぐに堀?どこまでも守り…

細川コレクション特別展 土方歳三資料館✖️肥後熊本藩に行ってきました🌸

こんにちは。先日、熊本県立美術館にて開催中の細川コレクション特別展「土方歳三資料館×肥後…

Desert Rose
2か月前
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讃岐高松・丸亀の旅

展示会取材前日の4月4日、先乗りして讃岐高松と丸亀に乗り込んだゾ。 高松朝7時半に博多駅を…

みつやま
1か月前
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どれだけおもてなしの心に気づけ、感謝出来るのか、自分の感性を磨く場所(初めての初…

三斎流という「細川忠興公」の流派であるお茶を習い始めてから3年が経ち、初めて家元の初釜に…

とこみゆき
3か月前
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弔いとは誰のためにあるのか

前回の続き。大阪。 長柄人柱巌氏碑を見て長柄橋を歩いて渡ろうと決めたのだが、Googleマップ…

永禄の変の時、細川忠興はどこへ逃げたのか

永禄8年(1565年)、足利義輝が三好家により二条御所を襲われて討死した「永禄の変」が勃発します。 その際、義輝の弟・足利義昭を京から脱出させたのが忠興のパパこと細川藤孝(のちの幽斎)。 永禄の変が起こった当時、忠興は1歳半(かわいい!) 京も混乱を極めていたため、忠興は乳母とともに京の町屋に隠れ住むことになります。 その町を綿考輯録では「洛辺田町」と記しています。 永禄の変の時、忠興はどこにいた? そもそも、永禄の変の時忠興はどこに住んでいたのか、という所が不確定要

戦国武将、細川忠興の妻、ガラシャが主人公。時代小説、花散るまえに。

うずまき
3か月前
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小倉城 石垣の秘密~誰が積んだ石垣なのか~

今回も、更に深堀した小倉城の楽しみ方をお伝えします。前回は炎上した小倉城とその焼けた石に…

各藩が熾烈な情報戦を繰り広げる時代〜「江戸城の宮廷政治 熊本藩細川忠興・忠利父子…

 相変わらずスパイファミリーにはまっている。そうしたらこの本を読むのを思い出した。  時…

もくず
1か月前
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美しき備え /永青文庫美術館

 永青文庫美術館「美しき備え」展は、細川家伝来の文化財から「武具・戦着(いくさぎ)」に焦…

舞台『細川忠興とその妻』台本

役者が国語の教師に扮して物語をリーディングする人気シリーズ『僕等の図書室』略して“ぼくと…

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松井江、あなたは来た(2020.1.29)

 去年から何度か手帳に書き留めた言葉。心に繰り返した言葉。  松井江、いらっしゃい。  先…

春鮫
4年前
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細川庭園(松聲閣)&永青文庫(東京都文京区・江戸川橋駅)

・細川庭園(松聲閣)(東京都文京区・江戸川橋駅) 細川庭園の中には松聲閣という和館がある。かつて細川家の学問所として使用され、細川家の住まいとしても使われていたようである。お茶も飲めるゆったりとした休憩所の趣を持った場所で、2階には和室がありそこから庭園を眺めるのが正しい楽しみ方。細川家ゆかりの火鉢や石が配されている。訪れた際にはパステル画家である松川佳代が細川庭園を描いた作品を展示。外国人が比較的おおいのが見受けられる。トイレは洋式。 ・永青文庫(東京都文京区・江戸川橋駅