見出し画像

苗字が変わって、自分は一度消えた。

結婚して苗字が変わった。
こんなに空っぽな気分になるとは、思わなかった。

結婚が決まった時は、ほっとした気分だった。
10代から悩み事は恋愛が上手くいきますように。
それしか考えていなかった。
彼氏が浮気をしていないか。結婚の意思があるのか。遠距離になるかもしれない。出会いがない。マッチングアプリをしてもいい人が出来ない。
好きな人には奥さんがいる。元彼が結婚したらしい。
悩みは尽きなかった。
毎年初詣は、家族の健康と彼氏との永遠を願っていた。

だから、結婚した時はほっとした。
ああもう、彼に振られるかもと予防線を張ったり、マッチングアプリに出会った人に上から目線で評価されることも無いんだ。
安心した。
あの苦しみを経験することなんて無いんだ。
むしろ若い頃の思い出を振り返って楽しかったとさえ思った。
心の余裕がある、本当の大人の幸せを手に入れた気がした。
ああ、願いが叶ったのか。そう思った。

自分が好きな人とこれからもずっと一緒にいられる。
結婚はそう思っていた。
それは、一人一人、人間同士が、自立した大人同士が平等に支えあって行くのだろうと思っていた。
だって、私達は付き合っている頃から平等な関係だったから。
ご飯はいつも割り勘だし、休日のデートは二人で行きたい所に行っていた。
「私の彼氏は奢ってくれるよ」
そんな友達の声も本当に気にならなかった。
だって私達は、本当に平等なんだから。
平等であれば、無理にすごいって話を合わせなくても、彼が喜ぶ料理を一人で作らなくても、私は私でいいって言われている気がした。
自分を認められている気がした。
愛する、大好きな人と平等でいられる事に、誇りと喜びで満足だった。

彼は結婚しても何も変わらなかった。
いつも通り、一つの家で料理は一緒にするし、洗濯は私よりもしてくれた。
ああ、こんな人と結婚出来てよかった。
そう、心から思っていた。いや、今でも思っている。

だけど、旧姓の印鑑も会社のネームプレートも捨てられなかった。
苗字を変えるなんて、なんて事ないと思っていた。
私は私だから。関係ないと思っていた。
苗字以外何も変わらない生活で、幸せな、ユートピアが待ち受けていると思っていた。


保険証を見ると、彼の苗字と無理やりくっつけられたかのような私の名前が完成されていた。
これは、誰なんだろう。
私は、誰なんだろう。
私の心は、使われなくなった印鑑と一緒に取り残されている。
新しい苗字が使われても、私ではない、仮の誰かのふりをしているようだった。
なんて事のないただの名前だ。
でも、私の名前は、心はまだそこにあった。


誰のものでもない、私の名前を、私の人生を歩んでいた時、
私は自由で、大きな海を色んな泳ぎ方で、もがきながら苦しくも、楽しく泳いでいたんだ。
先の見えない海のその先を目指して、確かに苦しかった。
でも、大きく息を吸えた。どこにでも行ける気がした。

今は、幸せな水槽の中で知らない名前を付けられて泳いでいる。
危険もない、飢えもしない。幸せな世界で。

私は生まれ変わったんだ。
新しい私を作れるんじゃない。
誰か分からない、今の私を、知るところから始めるのか。
この世に終わりはない。
海の先は宇宙で、その先も見えない。
人類は先を知らない。ここまでと思っているその先もその先の先もある。

何年後の私は、これを見て、自由に何にでもなれていいなと微笑み羨むのだろう。
その頃には、新しい私は、私になっていますか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?