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さよならシャボン(23) 懐古

Story : Espresso  /  Illustration : Yuki Kurosawa


まだ太陽も眠っているような時間。すっかり起きることに慣れてしまった身体は太陽よりも早起きだ。

深夜というほど暗くもないが、早朝というには明るくもない。

パリッとしていた頃の面影もない、よれよれのスーツに袖を通し、最後に洗車したのはいつかも分からないほどくすんだ色の愛車に乗り込む。

まだ、誰も出社していない時間に、一番に出社して、部下達の準備をする。

『どうも、真っ暗な時間に来てるやつがいるみたいなんだよね』

と、半目開きで、興味なさげに抑揚もなく言っていた、社長の大きな独り言。

それ以来、私は電気をつけることもせず、自分の目だけを頼りに準備を進めることにしている。

『節電!』

その一言だけが書かれた紙が、私の部署の入り口にだけ貼られていたのも、そういうことなのだろう。

太陽もすっかり登った頃。

部下が出社してくる。

入り口にある、私のデスクの前を皆、足早に通り過ぎていく。

しかし、それで良い、出社して仕事を頑張ってくれれば言うことは何もないのだから。

日々、この繰り返しの仕事サイクルに勤しんでいる私の唯一の楽しみは
昼休憩だ。

会社を出て、徒歩5分で着く馴染みの定食屋。

今日は何を頼もうか、なんて考えながら着いた店は、シャッターが降りていた。

もしかして、臨時休業かな?

そう思いながら、貼られた一枚の貼り紙には

『突然ですが、閉店致します、申し訳ありません』

一瞬、理解が出来なかった。

昨日も普通に食事にきたし、その時は閉店するなんてこれっぽっちも言ってなかったし、気配もなかった。

厨房の親父も

『また明日お願いしますね!』

なんて元気のいい挨拶をしてくれたのに。

なのに、どうして?

ただ、分かっているのは、店はもう開かないということだけ。

数十年に渡って、歩いてきたこの道を、もう通ることはないのだ。

がっくりと肩を落とし、元きた道を戻っていく。

途中、最近できたという、イタリアンレストランが目に入る。

若い客で賑わい、店員さんも忙しそうだ。

ふと、部下の姿も見えた気がした。

それでも

その店に入ることは出来ない。

それが今の流行りなのだとしても、入ってみれば満足出来るのだとしても。

古くても、私は、あの狭い店で出される食事以上に、満足出来るものなんてないし、あってはならない。

だからせめて、このまま帰ることが長年の相棒への手向けになるのではないだろうか。

それがたとえ自己満足だとしても。

私はそのまま、会社に戻った。

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