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”ちゃんと”した結婚式をやる理由

こうして限界に近い眼疲労と肩こりと、満足感で金曜日を迎えるのは何度目だろうか。今週は出張もあり週の半分以上を自宅以外で過ごした。実家と出張先と、寝る場所が変わると余計に時間の流れがはやく感じた。東京駅から旭の家に帰る時間は、わたしにとって大事な時間だ。仕事の自分と妻としての自分、女性としての自分、いろんな自分がスイッチする大事な時間。

結婚式の費用を両親が少しばかり出してくれた。そのご祝儀袋代さえも現金でほしかった…と思うような立派なご祝儀袋に入れて、伊勢丹の袋に大事そうに包んで渡してくれた。もう定年退職を迎えた父と、給食室で給食のおばさんをしているママ。親から大きなお金をもらうのはこれが最後かな、と思うとなんだか切ない気持ちがして、あまり嬉しそうな顔ができなかった。そのあと、しばらくしてそろそろ寝ようかと準備しているとパパに呼ばれた。封筒をもうひとつ出してきて渡した。封筒には”磨き代”と書かれていて、「エステとか、行くんだろ。」と言った。嬉しくて、涙がちょっと出そうだったので大きく目を開いて、ばれないように歯を食いしばった。また嬉しそうな顔をできなかった。ごめんね。

結婚式は、大きくやる予定だ。身の丈に合ったことを心掛けているわたしたちが、今回は少し背伸びをしようと決めた。ちゃんとした式場で、割と王道の結婚式を挙げる。わたしたちをよく知る人は意外だといった。公園とか、レストランとか、キャンプ場とかそういう少し変わった場所でやるかと思ったと言われる。それも考えた。0から手作りで、所謂オリジナルウェディングというやつ。でも、結局、神前式と100人以上の参列者がいる大きめの披露宴をおこなうことにした。意外だとみんなが思う決断をしたのには2つ理由がある。

1つ目は、マレーシアで出た結婚式が忘れられなかったから。イスラム教の結婚式。その国のアイデンティティを大切にした結婚式の美しさに触れた。そのときの感動が忘れられなくて、わたしもやるなら日本人らしい式をしたかった。だから神前式をしたかった。チャペルだってあこがれはあるけれど、それよりも和装でのふたりの姿はごく自然に想像ができた。そのとき招待してくれたマレーシアの友達を今度はわたしの式に呼ぶつもりだ。

2つ目は、とにかく”ちゃんと”したかった。なぜ結婚式をやるのか、ということを考えたときに、わたしはやっぱり親のため、という思いが強かった。駆落ちした姉と、結婚のけの字も見えない弟。子育ての楽しみのひとつであろう(仮想だが)子どもの結婚式。わたしが味わわせなければ、とどこかで思っているのだと思う。だから、想像できるような喜びをちゃんと味わってもらいたかった。なにをもって”ちゃんと”なのかは、もちろん人による。でもわたしには、パパとママが考えるであろう”ちゃんと”が分かる。26年間娘をやっているんだもの。

だから、少し背伸びをしてでもやりたいと思った。お金をかけることがいいことなのかはもちろん分からないのだけれど。とにかく”ちゃんと”したことが好きなパパの望みを叶えたかった。あんまり”ちゃんと”してこなかったからね。たった1日、されど1日。すごく楽しみである。

2本立て続けて、理由づけのnoteになってしまった。仕事柄なのか、どうしても”なぜ”を考えてしまう。いいことなのかどうなのかは分からない。割と直観志向のわたしなんだけどな。でも意味が見えると、自分のことを少し分かった気がして安心するから。考えられるものは考えていこうと思う。

今日はなんだかぐっすり眠れそうな気がする
おやすみなさい🌙

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