見出し画像

はじめて一人でスガシカオのライブへ行った日、純粋に目の前の音楽を楽しめる自分に絶望した

2012年6月28日、二十歳になった私がはじめて一人で行ったライブハウスは恵比寿にあるLIQUIDROOMだった。
キャパシティは約900人で、段差が多く見やすい会場だ。

ツアータイトルは「Suga Shikao FUNK FIRE 2012」。
スガシカオがかつての事務所オフィスオーガスタから独立した後、インディーズとして初めて曲を発表したタイミングでのツアーだった。

◇◇◇

ライブ自体が久しぶりで前日から緊張した。
自分でチケットを取ったのも、自分で調べて会場まで向かうのも、すべてがはじめてのこと。
私はそわそわしつつ、迷わず最前ブロックへと向かった。

スガシカオのファンになってから、既に五年以上が経っていた。
歌詞は丸暗記してしまっているから大抵の曲は目を瞑っていても歌える。
人生初ライブも、スガシカオだった。
十代の頃から何度かライブにも参加していた。

熱気の立ち込める会場内。
開演前からお客さんのテンションは高い。
流れ続けるSEに合せて体を揺すったり、手拍子をしたり。
すぐ後ろの三人組のお姉様方が甲高い声でスガシカオの独立の是非を討論している。
ああ、そういえば前にライブハウスに来たときも、すぐ近くに延々と喋り続けるお姉様方がいたんだった――
芋づる式にいろんな記憶が蘇りそうになり、私は慌てて気持ちを切り替えた。

ただでさえ、ただでさえ感傷的にならざるを得ない場だ。
いつ泣き出してもおかしくなかった。
せめて、泣くならライブが始まってから。そう決めていた。

そして、開演。
一曲目はインディーズ後最初の新曲「Re:you」。
イントロからめちゃくちゃ格好良い。
スガシカオが姿を現す。
我先にとステージに向かっておしくらまんじゅうするお客さんたち。
平日の通勤ラッシュなんて比じゃない、みんななりふりなんて構ってない。
私も負けじと突進した。拳を突き上げた。

スガシカオだ。スガシカオだ!!!!
頭が真っ白になった。
あっという間に時間が過ぎる。
それはもう夢のように幸せな空間だった。
私は全力でライブを楽しんだ。
涙は一度も出なかった。

終演後、私は呆然としていた。
最前ブロックの後ろにいたはずが、気づけば前から二列目くらいになっていた。
着てきたTシャツはべっとりと濡れて重みを増している。
髪が貼り付いて気持ち悪いはずだが大して気にならなかった。

ただただ楽しくて、ただただ幸せで、
純粋に目の前の音楽を楽しめる自分に絶望した。

◇◇◇

スガシカオを好きになったきっかけは母だった。
偶然、ラジオで流れていた「夜明けまえ」という曲を聴いてハマったらしい。
一度ハマるとどっぷりいく体質の母はその日のうちに数枚のアルバムを購入し、毎日延々とスガシカオの曲をかけ続けた。
気づけば私も彼の音楽の虜になっていた。

よく一緒に犬の散歩をしながらスガシカオの歌を歌った。
アルバムをシャッフル再生して、次の曲を当てるゲームを一日中したこともある。
一度だけ13曲すべて正解したことがあって、空恐ろしい思いをしたものだ。
ちなみにアルバムは「Sugarless」で、最後にかかったのは「8月のセレナーデ」だった。

高校一年生のとき、「ライブ、行ってみたい?」と母が言った。
当時の私は音源をエンドレスに聴くばかりで、ライブ映像を目にすることもなかったので正直ライブというのがどういうものなのかもわからなかったが、にこにこと嬉しそうに笑う母の顔を見て頷いた。

チケットを取ったのは結構直前だったようだった。
会場は神奈川県民ホール。
の、三階席の後ろから二列目。めちゃくちゃ後ろである。
視力が2.0ある私でもステージ上の人々が豆粒くらいにしか見えなかった。

だが、ほぼスガシカオ本人が見えない中でも、もう凄まじく楽しかったのだ。
毎日毎日毎日聴き続けた歌を、本人が、目の前で歌っている。
信じられなかった。
世の中にこんなに楽しく、興奮する出来事があるなんて知らなかった。
あの日、学校帰りに制服のまま駆け付けたライブで、私の人生は変わったように思う。

その後も学校の合間を縫って、母は私をライブに連れて行ってくれた。
普段、出掛けることもせず引きこもっていた母だったが、私と一緒にライブではしゃいでいるときだけは、友達同士で遊びに来たみたいに楽しそうに見えた。
私は嬉しかった。
滅多に楽しそうな顔をしない母と、楽しい!という感情を共有できるのが何よりも嬉しかった。

しかし、そんな日々は長くは続かなかった。
スガシカオがオフィスオーガスタから出した最後のシングル「約束」が発売されて、しばらく経った頃だった。
母は滅多に笑わなくなっていた。
スガシカオの新曲を聴いてもあまり嬉しそうではなかった。
私はまた一緒にライブに行きたいと思っていたが、もしかしたら母の気持ちは離れてしまったのかなと思った。

そしてその年、母は首を吊った。
母と一緒にライブに行くことは二度と叶わなかった。

◇◇◇

母が死んでしばらくは音楽を聴く気になれなかった。特にスガシカオの曲は。
紅葉を見ながら一緒に歌った曲だな、とか、母が好きだった曲だな、とか、いつもここで歌詞を間違えていたな、とか。
思い出はいくらでも蘇ってくる。
だから聴くのが怖かった。
ライブに行くなんて考えることもできなかった。

でも、気づいたら普通に聴いていた。
音楽を聴いているときが一番癒やされたし、結局のところ、私にとってはスガシカオの音楽が一番しっくりくるのだから仕方がない。

一周忌を終えた頃、そろそろ良いかなと思った。
きっとはじめてのライブとか、一緒にライブハウスでもみくちゃにされたこととか思い出してしまうだろうし、思い出の曲なんてやられた日にはぼろぼろに泣いてしまうんだろうけれど、やっぱり好きなものは好きだし。
誰に対してかわからない言い訳をいくつも重ねて私はチケットを取った。

きっと感傷にまみれるだろう。
きっとお母さんのことばっかり考えてしまうはず。
だって私はお母さんが大好きだったから。大好きだから。

そう思った。
でも、違った。

蓋を開けてみれば、私はキャーキャー叫んで、拳を振り回して、跳びはねて、めちゃくちゃライブを楽しんでいた。
母のことなんて頭をよぎりもしなかった。
そのことにびっくりした。

母が死んだあの日、目が腫れるくらい泣いたのも、真っ白な顔を何度も撫でて叫んだことも、母のいない家でフローリングに額をすりつけて謝り続けたのも、全部本当のはずだった。
スガシカオの曲を聴く度、例えば母の大好きだった「夕立ち」や、まさに自死遺族の私の気持ちを代弁するかのような「風なぎ」の歌詞に涙を流したことも決して嘘ではない。
それなのに。

私は二十歳だった。
まだ母が死んでから一年ちょっとでこの有様。
この先何年も、何十年も経てばますます母のことなんて記憶から消えていってしまうのだろう。
苦いような、乾いたような、変な気持ちだった。
それはちょうど、私と母が大好きなスガシカオの歌詞に漂う退廃的な香りと似ているようで、だけどたぶん全然違うものだった。

私は大人になってしまった。
母のいない世界で、一人きりでライブに来られる。
母の大好きだったスガシカオの音楽を、全身で楽しむことだってできる。
きっと、これから先も私は私として生きていけるんだろう。
薄情だが仕方がない。

ねえ、私、お母さんがいなくても、結構楽しいみたい。
ごめんね、お母さん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?