【ショート・ショート】団地
生まれてからずっと団地暮らしだった。狭い部屋に、家族6人が犇めいていた。
幼稚園児の頃。近くの公園で遊んで帰って団地を見上げると、夕暮れを背にした黒い影が覆い被さるように腕を広げていた。闇に浮かぶ沢山の赤い眼。私は、押し潰されそうな恐怖に足が竦み、母親が心配して探しに来るまで団地の入り口で泣いていた。そんな記憶がある。
――自分だけの部屋が欲しい。
小学校低学年の頃。友達の家に遊びに行った折り感じた羨望は忘れるべくもない。それからというもの、一戸建ての家を持つのが、私の人生最大の目標になった。
私は、就職を機に会社の寮に入り、少ない給料から毎月少しずつ貯金した。
そして結婚。式も質素にして、新婚旅行も近場で済ませた。社宅に入り、慎ましい生活を守り、ローンの頭金ぐらい貯まった。
時はバブル全盛期、衰えを知らず上がり続ける地価。妻が探してきた物件は、立地条件もまあ良く、価格もローンを組めば何とか手が届きそうなマンション。掘り出し物だと言う。この機を逃してはいつ買えるか分からないと、妻は焦る。マンションとは言え多少部屋が広くなっただけで、結局は団地と変わりない。私は二の足を踏んだ。
しかし、一年後後には確実に価格は倍になると煽る不動産屋と、今ならいくらでも用立てするという銀行員の言葉が、決心を揺るがす。
――二倍で売れたら、郊外に一戸建ての家を持つことができるかも知れない。
甘い囁きに負けて、私は、マンションを購入した。
だが、それから数ヶ月もしないうちに、バブルが弾けた。マンションの値段は、あっと言う間に買値の半分以下になり、底が見えない。売ろうにも売れない。結局、手元には多額の借金と2DKのマンションだけが残った。
――宝くじでも当たらない限り、一戸建ては夢のまた夢だな。
私の残りの人生は、借金を返済するために費やされることになった。
定年を間近に控えた頃。やっとマンションのローンも終わろうとしていた。
かなり前から覚えていた胃の痛み。私は、某大学病院で検査を受けた。
癌の告知。医者は、手術で胃を全切除すれば治るでしょうと言ったが、私には手遅れだと聞こえた。
――こんなもんかな、俺の人生なんて。
私は、不思議とショックも死への恐怖も感じなかった。
帰りの電車で、何の気なしに中吊りを見ていると、霊園の広告が目に留まった。小さく区切られて整然と並んだ墓地が、団地を思わせる。
――富士の裾野だとか、風景がいいとか、美辞麗句を並べられても、こんな墓に入るのは死んでもゴメンだな。
雑誌か何かで散骨というのを読んだ記憶が蘇る。
――そうだ骨は広い海に撒いてもらおう。
遺書をしたため、万が一の希望を胸に手術に臨んだ。が、矢張り手遅れ。しかも手術で体力を使い切った分、死期も早かった。
家族は、意外とあっさりと私の遺言を聞き遂げてくれた。
散骨してもらって、驚いた。海の中は、辺り一面粉々にされた骨だらけだ。聞くと、この頃は墓地を買えない人が、海や山に散骨することが多いのだと言う。港から船を出して、漁場を避けて骨を撒くと、潮の流れでこの辺りに流れ着く。しかも大抵の人は船賃を節約して近場で済ませるため、この辺りは特に混み合っているのだそうな。
――やれ、やれ。結局、団地から抜け出ることは出来なかったな。
私は、寂しさと同時に安堵を覚えた。
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