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【短編】選んだ責任

(3,200文字)

 せっかくの休日だというのに、外は冷たい雨で、出掛ける気にもならない。昨日までの小春日和が嘘のようだ。
 昼下がり。私は腹がくちて少しだるい。
 テレビの娯楽番組では、今週の出来事と題してがららしの情報を垂れ流している。かつては週刊誌やゴシップ誌で派手に浮き名を流していた俳優の結婚会見だった。
「結婚を決意したのはいつですか?」
 レポーターがマイクを向ける。
「最後まで私の側にいてくれたのが彼女で……」
 彼はにやけ顔で質問に答えている。
 ――くだらん。
 私は途中で欠伸あくびをかみ殺しながら腰を上げかけた。そのせつ、妻が私を引き止めたのだった。

「ねえ、あなたはどうだったの?」
「何がだ?」
「どうして私と結婚しようと思ったの?」
「バカだな。直ぐにテレビの影響なんか受けやがって」
 妻は無類の芸能ネタ好きだ。私の関心などお構いなしに、仕入れた情報を吹き込んでくる。それを面白がったこともあるが、この頃は迷惑に感じることも多い。
「あなたも結構もてた口なんでしょ。結婚式の二次会で聞いた覚えがあるわ」
「そんなの、とっくに時効だろう」
「そうね。昔のことだもの、そんなこと気にしていないわよ。だから、教えてくれてもいいでしょう」
 妻は訳知り顔で笑う。いやいや、このさも寛容的に見える態度にだまされてはいけない。妻が見かけによらずりんが強いことは、これまで何度かの失敗で身に染みている。

 そこで、しばし思案。
 この手の問いは、あまりにすんなり答えると、「本当?」と不審の目を向けられるし、かといって引き延ばし過ぎては、痛くもない腹を探られかねない。
 実のところ私にも、先のプレイボーイ殿ほどではないにしろ、幾つかの浮いた話はあった。そして、その中には、やましいことはないのだが、いまだに妻に話していないこともある。
 こんな芸能ニュースが元で、今の平穏な日々に波風を立てたくはない。
「お前は、どうなんだ」
 私は矛先を変えながら、ひたすらタイミングを計る。
「私のは、いいわよ」
「なんだよ、それ」
「それで、どうなの? 早くして。CMが終わっちゃう」
 そろそろ妻がじれてきた。

 ――この辺りが潮時かな。
 私は渋々というていで切り出す。
「絶対笑うなよ」
 はい。妻は右手を挙げて誓いを立てる。そのおどけた仕草に、私はわずかに眉をひそめた。
「そうだな。どう言ったらいいのか分からないが、お前に初めて会った時に、こいつと一緒に年を取っていくんだなと確信したんだ。運命とでも言うのかな」
 話している途中から妻はうつむいて口を押さえている。肩が小刻みに揺れた。
「今、笑っただろう」
 ううん。妻は激しく首を振る。
「でも意外だったわ。あなたの口から運命という言葉が出るなんて。そんなこと信じない人だと思ってた」
「俺は、こう見えても結構ロマンチスト……」
 たまらず妻はき出した。CMが明けたが、妻はまだ腹を抱えたままだ。


 数日後。妻は私の上着を受け取りながら、
「ねぇ、来月の末に中学の同窓会があるんだけど」
 とおもむろにエプロンのポケットから案内状のハガキを取り出した。それを指でまんで、私の目の前で振る。
「何を着て行こうかしら?」
 私は嫌な予感がした。私が無視を決め込んでいると、
「私、運命の人よね」
 とハガキをちらつかせながら迫る。先日、私は言い回しは違うが似たような趣旨のことを口にしたのを思い出した。
「いや、それはだな……」
 私は口もる。

 いやはや。妻の方が一枚も二枚も上手だった。
 あのハガキは、おそらくかなり前に届いていたのだろう。そして妻は、あの番組を見た時、とつに私からげんを取ることを思いついたに違いない。私はそうとも知らず、まんまとその策にまってしまったわけだ。完敗である。
「わかったよ」
「この際、靴も新しくしたいわ」
「ああ」
「それに、服に合ったアクセサリーとかもね」
 やれ、やれ。いとも簡単に冬のボーナスの使い道が決まってしまった。私はため息をいた。


「二十年目にも集まりがあったんだけど、その頃はまだ子ども達が小さかったから行けなかったのよね」
 中学の友達に会うのは実に三十年ぶりだと言う。幾度となく卒業アルバムを開いては、
「みんなすっかり変わっているだろうな」
 と自分のことは棚に上げて昔を懐かしんでいた。

 クラス会当日の昼下がり。
「遅くなると思うから」
 妻は新調した服に身を包み、さつそうと出掛けて行った。

 夜、一人居間でくつろいでいると、玄関のドアを開閉する音がした。妻が帰ってきたらしい。居間の時計を確認すると、まだ九時を回ったばかりだ。
 ――随分早いな。
 だが、それきり静かになり、いつまでたっても妻は姿を見せない。不審に思って玄関をうかがうと、妻は上がりかまちに背中を丸めて座り込んでいる。珍しく酔っているようだ。

「ご機嫌かな?」
 妻の肩越しにのぞき込むと、今にも泣き出しそうな顔が見えた。
「どうしたんだ? 何か嫌なことでもあったのか?」
「久美ちゃんのご主人、亡くなったんですって」
 少しれつが怪しい。
「久美ちゃん?」
「幼なじみだったの。高校までずっと一緒だった。結婚式にも呼ばれたし、私達のにも来てくれたのよ」
 紹介されたような気もするが、私の記憶からはすっかり抜け落ちている。
「やはり病気か?」」
「そう、六年前ですって。報せなかったことを謝っていたわ。とてもきれいな子だったのよ。それがすっかりけ込んじゃって、昔の面影なんかなかったわ」

 そっと肩を抱きしめると、妻はせきを切ったように泣き出した。
ひとり残されるって、寂しいものよ」
 ひとしきり泣いて、少し落ち着いたようだ。しゃくり上げながら言う。
「ねえ、私ってあなたの運命の女性なんでしょ」
 えっ。今度は何だ。私は身構える。
「だったら、絶対長生きして。いい、死んでも私より長生きしてよ」
「何だよ、それ。言ってることが支離滅裂だな」
「いいの。理屈じゃないの、気持ちの問題よ。いい、絶対よ。あなたには私を選んだ責任があるんだからね」
「分かったよ」
「よし。じゃあ私をベッドまで運びなさい」
 言うなり、妻は私の腕の中で寝息を立て始めた。
 やれ、やれ。


 そっと妻の頬に触れ、指で涙を拭った。幾筋か化粧を流した跡が残る。こうしてしげしげと妻の寝顔を見ることは久しくなかった。めっきりしわが増えてきたなと思う。
 いつだったか、それを指摘すると、「数えないで」と妻は目尻を隠した。数えたら、しわが増えるのだと言う。そんな非論理的なことを真顔で言う妻を、あきれながらもほほましく思ったものだ。

 幸せの質は、年齢と共に変わる。
 結婚して、子どもが生まれて、苦楽を共にする家族が増えた。子ども達が健やかに育っていくのを見ているだけで、心がなごんだ。ただただ子ども達の喜ぶ姿が、自分たちの幸せだった時期もある。やがて子ども達が巣立って、再び二人きりの生活に戻った。
 そして、お互いがこれまで大した病気もせず健康でいられたことは、とても運がいいことなんだと気づかされる。
 いずれ子ども達も新しい家族を作っていく。やがて我々は孫達の一挙手一投足に一喜一憂することだろう。
 ――いい選択だったな。
 私は、今まで共に長く暮らしてきたからこそ味わえる幸せをみしめる。

風邪かぜ引くぞ」
 妻の肩を揺する。うーん。妻はうなりながら、私の腕の中で体の向きを替えた。
 ――仕様がないな。
 私は妻を抱いて立ち上がる。選んだ責任は両腕にずっしりと重かった。


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