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うつと筋トレ〜日本一あかるい鬱日記〜 #3 嫌な予感とカウンセリング

嫌な予感ほど、よく当たる。
初カウンセリングの日も、のっけから不吉だった。

降水確率は50%。降るか降らないか半々のはずが、降る気満々な強雨となった。
そもそも確率50%というのは、予報と言えるのか。そんな日はいっそコイントスで決めてくれたほうが、諦めもつく。

びしょぬれで到着したメンタルクリニックの窓口では、受付の人がスマホに没頭していた。
右手でスクロール&ストップを繰り返し、左手で私の診察券と保険証の受け取る。離れ業だった。
その間、視線は画面に固定され、他には一切目にしていない。マジシャンの「私にカードを見せないでください」の趣きすらあった。

トイレには、こんな貼り紙も。
「ウォシュレットは、冷水です」 
聞いたところでどうしようもない予告を、宣告という。覚悟はできていても、驚くときは驚く。ウォシュレットって冷却機能ついてたっけ?と疑うくらい冷たかった。

不運は病院まで追いかけてきて、私に肩をぶつけてくる。
もう、疲れた。心にGがかかる。体の倦怠感が増していく。一人グッタリしていた待合室に、私を呼ぶ声が響いた。
「2番の方、カウンセリング室へどうぞ」

この呼び出しを聞くまでに、私は2回も予約を延期してもらっていた。
どこの会社でもそうだろうが、年度末は仕事が立て込む。人事異動に伴う引き継ぎ・受け継ぎが、仕事量を倍増させる。さらに季節の変わり目でもあり、三寒四温は七転八倒の始まり。わが営業部メンバーも体調を崩しやすくなる。寝込んでからでは遅い。私は自分の通院を延ばして、彼らの肩代わりを優先しなくてはならなかった。

前回の診断で出された精神安定剤は、とっくに尽きていた。 
私は情緒の不安定をどうすることもできず、集中力も低下。ミスを連発し、中には信頼を失うものもあった。これ以上の現状継続は害悪、やらないほうがマシ。まさに限界だった。
しかし限界を迎えても、逃げることは許されない。スケジュールを引きちぎるように時間を作り、ようやくたどり着いたカウンセリング室だった。のだが。

ドアをガチャリと開けた瞬間に、私の嫌な予感は的中した。

心理士さんも、具合が悪そうだった。

まさかのご同輩。
病名は知る由もないが、彼女の顔色は蒼白を通り越して土壁色。血の気も生気もコラーゲンも感じられない。背筋は丸く、そのまま突っ伏しそうだった。ネックストラップの名札がなければ、患者さんに見えただろう。

「ハズレ」
脳裏に浮かぶ三文字を、慌てて抑え込んだ。そうやって人を値踏みする間違った合理思考が、自分をここまで追い込んだことは自覚していた。

それと同時に、彼女の体調が心配でしょうがなかった。
「先生、大丈夫?」「お身体の具合が悪いのでは?」「無理は禁物ですよ」そんなフレーズが頭の中をぐるぐると、東証の電光掲示板のように駆け巡った。ちなみにあの掲示板はチッカーというらしい。長さは50メートル。

私より先輩に見える彼女は、棒立ちの私に椅子をすすめながら言った。
「こひらにいらひた経緯はどのような?」
ニコリ。目元に笑みを浮かべるだけで、マスクの下の笑顔まで想像できる。そんな優しい表情だった。

私は促されるまま腰を下ろし、その瞬間からとめどなく経緯を話した。お尻に隠されたスイッチがONになったかのように。
1月に初めて診察を受けたこと。担当医のY先生からカウンセリングを勧められたこと。今日まで体調がすぐれないこと。というか生きた心地がしないこと。体調維持の筋トレも、アドレナリンがイライラに変わり悪循環に陥っていること。仕事や家庭で考えられる原因の列挙と自己分析など。
その間、彼女は静かに耳を傾けてくれた。ときどき「んん。んん」と相槌を打ちながら。
感情的にまくしたてる私に対し、プロフェッショナルなヒアリングだった。

話しながら、私は気づいた。
じんわりと、手のひらが温かくなってきた。指先に体温を感じるなんて、いつ以来だろう。
私は決して冷え性ではない。しかし天候や室温、昼夜を問わず、もうずっと両手はかじかんだままだった。
「パパの手アイスみたい」
そう娘に驚かれることもあった。
トレーニング後も熱が戻ることはなく、スマホやパソコンの無機質な冷たさがそのまま手に染みついているようだった。
「先生、俺、手が温かくなってきました」
彼女は、大きく頷いてくれた。

自分を語り、何かを吐き出す。そして心が呼吸を取り戻し、胸や手が温もってくる。
まずは吐き出すことから。じゃないと、吸えない。私の手は、心の窒息死を伝えていたのだと気付いた。

そしてもう一つ、私には気になっていることがあった。
彼女が、いっこうに喋らない。私のワンウェイ・トークのせいだろうが、あまりにもだ。

カウンセリングの基本は傾聴。それはわかる。
しかし私が話していたことは、初診でY先生に伝えた内容そのままだった。なんら新しい情報はない。前回のおさらいで終わっては、私にとっての進展がまったくない。
心理士として、もう少しディスカッションというか提案というか、解決の模索があってもいいのではないか。こちらは、耳だけじゃなく知恵も借りにきているのだ。

やっと、マスクの下が動いた。
「とろとろおりかんれすが、ほかに言っれおきたいことはありまっか?」
私が喋りすぎたせいで、時間が迫っていた。しまった。言っておきたいことよりも、うめきが唇から漏れた。
「うー、もう終わりですか・・・」
私の無念が伝わったのだろう。彼女はこう付け加えた。

「ごめんなはいね。わたひへんひゅう喉のすずつをひたばかりで。いつもはもっろひゃべるんでふけど。うぎにはなおっれると思いまふ」
ごめんなさいね。わたし先週喉の手術をしたばかりで。いつもはもっと喋るんですけど。次には治ってると思います。

やっぱりハズレ回でした!

あまりの運の悪さに、逆にテンションが上がるという体験を、私は初めてした。
よりによって今日かよ?
俺の人生に、当たりくじってちゃんと入ってるのか?
そもそも喋れないカウンセリングって何リングだよ?

気づけば、私は笑っていた。
声を上げて笑ったのは、いつぶりだろう。自分の笑い声が耳に懐かしい。頬がひきつり、うまく笑えてないのもわかった。硬直しきった表情筋。無表情な日々がそれだけ続いていたということだ。

顔色の悪さや口数の少なさは、それだったのか。治るのなら一安心。それは何よりだ。
彼女が無理を押してくれたおかげで、私は少し、いやかなり楽になった。ありがたい。それで十分な進展じゃないか。
そう思えるくらいは、精神状態が持ち直していた。ある種のショック療法だったのかもしれない。

すまなそうに笑いながら、彼女は続けた(予測変換を含む)。
「これからしばらくは月に一回ではなく、隔週くらいがいいかもしれません。物事をラクに考えるようにするには時間がかかりますから」
こうして次のカウンセリングは、2週間後に決まった。

今回笑わせてもらった分、次回は私が先生を笑わせてみようか。
喉の負担になってしまうだろうか。ちゃんと治っているといいのだけれど。
まずは、自分の表情筋を鍛え直すところから始めよう。それもまた筋トレだ。

病院を出ると、雨はまだ降り続いていた。
私は、アスファルトに散った桜を辿って家路についた。
にっにっにっ。笑顔の練習を隠すのに、傘はちょうど良かった。


(おわり)

最後まで読んでいただきありがとうございました。よろしければこちらもご一読ください。


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