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山下清を観に行って、世界の明るさを思い出した。

「長岡の花火」が、6歳児の脳裏に焼き付いたらしい。
YouTubeで流れてきた、一枚の絵。
「なにいまの。すごい」
「あの絵、凄いよね」
「すごいなんてもんじゃないでしょ」
「デカいんだよ、本物は。観に行ってみる?」
「いく。あと、かきごおりたべたい」
「アタシも行くわ。山下清、観てみたい」
「おかさんもいこう!それとかきごおりたべたい」

家族三人連れ立って行ったのは、東京・新宿でやっていた山下清展だった。
貼絵、点描画、染絵、ペン画。文化度が預金金利くらい低い暮らしをしている私は、初めて本物を目の当たりにし、初めて「絵が欲しい」と思った。
そしてそれ以上に、初めて知ったことがいくつもあった。

私の山下清知識といえば「裸の大将」のみ。フィクション。しかも芦屋雁之助バージョン。そりゃ「そうだったのか」ばかりだろうよ、と言えばそうなのだが。
そもそも彼について、検索すらしたことがなかった。これほど有名なのに。

とりわけ驚いたのは、清が本格的に絵を描き始めたのは旅を終えてからだった、ということだ。旅先では、ほとんど絵を描いていないという。
清に旅人画家というイメージを抱いていた私にとって、一瞬理解ができなかった。
じゃぁこの絵たちは、いつどこで描いたの?と。

残っている絵の多くは、旅を終えた後、施設に戻って描いたもの。つまり、記憶力を頼りに描いたという。清の記憶力は驚異的で、まったく同じ絵を2枚描くこともできたらしい。

そこで、疑問が頭をよぎった。
彼はなぜ、こんなにも愛おしい絵ばかり描けたのだろう、と。
施設に入る前は、知的障害と発話障害から、ひどくイジメられていたという。第二次戦争下という時代でもあった。
美しいものを美しいまま記憶できていた彼は、醜いものも醜いまま記憶していたんじゃないだろうか。
しかし彼の絵は、愛を感じさせるほど精緻で、何かを寿ぐように鮮やかで、とにかくチャーミングだ。観ていると、世界の明るさを信じたくなる。

14年間にもわたる彼の旅は、ただただきれいな風景に出会うため。そして徴兵から逃れるためだった、という。
彼の目は、いったい何をとらえていたのか。彼の自由には、何%の哀しみが含まれていたんだろうか。

私だけなのかもしれないが、今だに何年も前の、なんなら数十年も前の恨みや怒りがしょっちゅうぶり返す。油断すると記憶がゾンビのように襲いかかってきて、その度に人生の大半が屈辱と敗北の色に上塗りされそうになる。
しかし、そんなはずはないのだ。いつしか私は自家中毒のような屈託を打ち消すために、正気に戻るために、娘の名前を独りごつようになっていた。

清にとっての絵と、私にとっての娘は、似ているのかも知れなかった。

娘が水筒をリュックから引き出そうとしていた。
「すいとうのんでいい?」
その気持ちはわかる。エアコンは十分に効いているはずの館内は、喉が乾くほどの盛況ぶりだった。観客たちが鑑賞するスピードは、工場のベルトコンベアーを思わせた。
子どもの目線では、絵よりも、おじさんおばさんの尻を観にきた、といったほうが実態に近いだろう。かといって、抱っこするような歳ではなくなってしまった。
「ここ飲み食いダメやねん。出たらジュース買うちゃんわ」
そっと咎める妻に、私は物言いをつけた。
「大丈夫でしょ。清はそんなことじゃ怒らないよ」
「清の事務所は怒るやろ」
「よびすてしちゃダメなんだよ」
6歳に嗜められる43歳と45歳。清をナメるなよ、と。

「あ。はちがいる」
娘が指さしたのは、菊の貼り絵だった。本当だ。蜂が花から蜜を得ようとホバリングしていた。私には、まったく見えていなかった。さっきまであれほどシゲシゲと見入っていたのに。
「あ。いるね。蜂も喉かわいてるのかな」
「ちがう。はちがあつめるのはかふん」
「いや、蜜も吸うでしょ。違かったっけ」
「あたしゃビール飲みてーわ」
「それはいいね」
「そういえばかきごおりは?」
山下さんと通じ合える娘の眼。酒欲で澱んだ親の視力、しかも老眼まじり。人混みの中で忙しなく鑑賞するには、美を捉える動体視力に差がありすぎた。

なんだかこのままいても、大事なものを見過ごしてしまう気がした。せっかくの夏だから、のんびり鑑賞したい。扇風機の首振りくらい、ゆっくりと。
娘は夏休み、私は仕事をサボって、今度は平日に来よう。彼の絵に会いにくるなら、なんだかそっちのほうが正しい気がした。会期はもうしばらく残っているようだし。

我が家の家訓は「飽きたら次」。ほどなく三人で会場を後にした。
今日のかき氷はどこにいこうかな。そうだ。近くのコメダ珈琲でかき氷を食べよう。それは名案名案といって向かったコメダには、ビールは置いていなかった。
「どこが名案やねん」
と、妻はいつまでもコーヒー店のメニューから、”ビール的なもの”を見つけようとしていた。
娘はスプーン片手に、こめかみを抑えている。
私はもしかすると、こんな日々を忘れて生きてきたのかも知れない。
山下清さんの絵が、早くも懐かしくなった。

(おわり)

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