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日本社会は我慢比べと情弱ビジネスから卒業しよう

労働中の殺伐とした「空気」と労働中も朗らかな外国人たち

海外、それも東南アジアや発展途上国に行けば誰でもわかる。自我を押し殺し必死に職場にしがみつき、それゆえに足の引っ張り合いと同士撃ちで無駄な消耗を繰り広げる潔癖な日本の職場環境と、仕事中スマホいじりがあたり前、話かければなぜか笑顔ややる気にあふれる外国ローカル店舗。
我慢比べ大会をやめられないがゆえの息苦しさに人生の大半を捧げて死んでいく日本雇用労働者と、客のいない間は好き勝手スマホいじりながらレジ打ちをする外国人労働者。潔癖な社会では、私語は厳禁、スマホいじりも仕事に限定され、それらが効率化や職場QOL向上に寄与するか否かではなく、外部から見た厳しい視線(世間、客、商売相手、お上)がどう見るかを内部環境以上に重視してしまう。
さながら共産国家の監視社会のような規範である。それを心の内面に取り込み、それゆえに自分であることを我慢し他人を批判する。「欲しがりません勝つまでは」と言ったが、いまや愛国心は世界ワースト1位の社会と化したのは、もはやニュースの通り、まとも政治経済司法がこの国には存在しないからに他ならないが、その原因が非論理的、属人的解決をとる社会だからである。理性よりも社会的立場やコネを重視する腐敗した一億総村社会をやめられないまま、苦虫を噛み潰したように労働し人生の大半を棒に振って死んでいく。

我慢を内面に取り込んでいないから、他人も許せるのが外国人、特に東南アジアに旅行して思う、店員の自由さだ。店舗や業種にもよるが、日本雇用環境の中の効率性や合理性を無視した「無駄に」張り詰めた雰囲気がない。むしろ効率が上がり合理的でそれゆえに人生の時間の価値を高めている仕事の仕方は、客からしてみると日本よりもサービス低下やテキトウであるのはマイナスだが、労働者の人生QOLは上昇する。無駄な会議や無駄な残業を減らせないのは、合理性よりも、体裁や見せかけ、潔癖な世間からの相互監視内面化して育てられてしまうからに他ならない。我慢比べで仕事した気になるあなたの人生の時間は二度と戻らない一度きりの寿命ですよ、と問いたい。

日本社会で窒息しそうな特に若者よ、まずは海外に行ってみよう

鬱苦しい国から自由ゆえに美しい国を眺めてきて、いかにこの国の労働者は、人生時間をドブに捨てて、我慢比べの演技大会と嘘つき合戦で仕事した気になっているのかを眺めてくれば良い。

この国特有の情弱ビジネス、某すごろくゲームのキングボン◯ーのごとく、あらゆるサービスの契約の際に、ありがた迷惑に無駄に付帯してついてくる自動オプションの全てが情弱から金を巻き上げる、バカのおかげでビジネスが成り立つものばかりだ。まさに一時期流行ったTV番組の、女◯の教室のごとく、バカは一生搾取されて大企業やインフラ系企業の養分になるしかないのだ。携帯電話もドラゴ◯桜で言われた通り、情弱ビジネスの典型だが、大分改善は図られてはきている。情弱がいなくなるとこの国のビジネスが成り立たなくなるからだ。だがそんな国だからこそGDPは下落し、情弱が情弱を生産する自家発電状態。だからオワコンなんだ。本来の商品価値の向上による経済発展ではなく(そもそも失われた30年で発展していない)、合法詐欺の自動オプションや〇年縛りや手数料やら違約金やら退去費用やら架空クリーニング代やらそういうものでしか商売できない国は不幸だ。売る側も買う側も精神的貧弱・精神的不幸にしかならないからだ。

海外では、嘘をつく暇もなく、直接自分の意思を伝え、自己主張しなければ、たちまち身ぐるみ剝がされてしまうのであって、陸続きで他民族他国民がいつ侵略してくるかわからない社会の中で、うまくやっていく必要が生じていたわけだから、日本人同士の騙し合いや「世間」「空気」を前提としたビジネスは通用しない。お互い直接議論や意見をぶつけて当然という環境の中では、不正や詐欺でビジネスしようという発想になりにくいのではないか。
そして、閉塞した我が国で新機軸のアイデアやビジネスを閃くのは困難である。だから海外で一度きりの人生の無限の可能性を追求し広げていこう。それはビジネスも個人生活も含めて、人生の可能性の幅を広げる五感を感じる実体験の中から、思考停止な潔癖社会から一旦離れ、枯れ切った感性の貧弱さを補い潤す体験である。

ということで。
とりあえず、明日から海外に行ってきます。


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