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改めて、DieWithZeroは至高の思想であり、金は戻るが寿命は戻らない。その重みを味わうと、人生は最善に向かって分岐する

令和にもなって日本人の99%はお金を求めて未だに寿命を(人生の残り時間を)削っている。貯蓄は労働者の場合、手取りの余剰分でありそれは将来の可能性へのたくわえである。

しかし将来は今と同じなのだろうか。

やや哲学的になるが、明日死ぬかもしれないし、明日ガンがみつかるかもしれないし、事故や事件に巻き込まれるかもしれないし、あと数分後に巨大地震やテロや津波が来るかもしれない。

未来は誰にもわからないが、金銭での保障しかできないのが現状である。しかし金は可逆的で、後でも労働でも自営でもして得られるマテリアルである。もちろん資産として株や不動産を所有していれば増減するものである。

それに対して、寿命は常に生命の資産として毎秒減り続けている価値である。今この瞬間が常に人生で一番若い瞬間であり、寿命に関与する物事や疾病リスクの因果関係は複雑であり、社会生活という予測不能なイベントが多発する中で、必ず増加するとも言えないし、明日死ぬならもう金の価値はほぼゼロである。
金は単に経済市場では客観的な数値でしかないが、個々人の人生を俯瞰して見たときには、主観的にしか価値を持たない。あと1時間後に死ぬ人や、自分のために時間を使えないことが確定しているような場合には、金額関係なく、価値が薄まる。

だから、どこまで必要で、どこまで割り切って労働に寿命を割き、やりたい労働ややりたいことに時間と金が必要か、そしてそれはどの年齢じゃないとできないのかについてもう一度考えたとき、思考停止で現状に甘んじていると、人生あっという間に健康にガタが来て、昔のような活動はできなくなると、そのためにとっておいた金あるいはためておこうとしていた時間そのものが、人生そのものの損失につながる。
もちろん非常事態が日常、なので、人生は面白く複雑であるが、そうした労働時間と金と年齢の対数表みたいなものを作成するのは非常に困難である。あまりにも不確定要素が大きいからだ。だからスマートな推定ができてそれを実行できるならば、自分の人生はより自分らしい方向に進むことができると考える。


高給取りで嫌々仕事時間に費やすか、低給でも充実・好きな・楽しい仕事時間を過ごすか

いつもの難問がそこにはある。男性は前者が多く、女性は後者が多い傾向にあるという。しかし、人生は一度きりであり、毎日24時間は常にその人の人生の本番、公式試合、日々是決戦であるからして、やりたくないことで、可逆的に手に入る小銭を多めにためたり消費しても、労働時間は人生の大部分を占めるものであり、よりやりたいことで人生を埋めた時間が長い方が、人生全体の価値が上がるように思う。良い思い出をできるだけ沢山作ることが、人生の最期に、「これをやれば良かった」が減る分、価値が上昇する。

…そう思って、筆者は今春、転職を決意したのであった。

自分の本性を直視し、いわば天命を直視し、自分に最もふさわしい固有の人生を歩むことが、そのまま人生の価値を高めてくれるのは間違いない。自分の内なる心の無意識の声を信じて、金だけではなく、自分の人生を埋める時間を何に費やしたいか。これを誤魔化さず、できるだけ年齢が若いうちから、追及してきた人間ほど、人生の最期には実りある思い出が沢山できているように思う。

やりたくないことは、できるだけやらない。これは一生に一度の人生だからこそ、間違いない真理であり、誤魔化しの一切通用しない真実である。

それを手に入れるために、どこまで賢く立ち回れるかで、人生の充実度が変わるなら、自分を信じて、やりたい道に近づいていくしかない。自分が分岐したい理想のトゥルーエンドに向かって、適宜細かく修正を加えていくしかない。そう、表紙のAI絵作成のように。

人生は金じゃない。歯を食いしばって金だけを追う日々は、長期では続かない。自分を活かすにはタネ金は必要だが、成功法則は自分の内なる可能性を信じるしかないのである。金は増減する道具にすぎない。減少しかしない寿命とは違う性質のものである。金に力があるのではなく、自分の能力を最大限に発揮できる労働や自営業を編み出し入り込み続ける力こそ、本物の力だ。宝くじ大金当選者や、大地主の子供で、自分固有の人生をがっちり掴んだ人間は多くないように思う。金の魔力は、その人固有の人生の進路を惑わせてしまうように思う。
金に引っ張られすぎない仕事が一番長続きするだろう。

だから、転職。
春は転職にふさわしい。

さあ、俺は俺自身により近しいライスワークを始めるぞい。


宜しければ人生サポートお願いします。記事書きます。