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幸せな記憶

こんにちは、P山です。

P山には祖母がいて、アルツハイマー型認知症の後期に入りました。
認知症の介護は大変ですが、少しでも笑顔になれた瞬間を、記録してみようと思います。


祖母の記憶は1分も持たず、長男である父のことも、時々わからなくなる。
嫁である母のことは、その次。
孫である私のことは、「P山」という孫がいたことはわかるけど、それと目の前の三十路の女が結びついていない。
「赤ちゃんを連れたお客さんが来ている」と思っているようだ。

自分の家もわからないけれど、いつも車で迎えに来てもらうのを待っているので、幸いなことに徘徊はない。
十年以上前に亡くなった祖父(夫)と叔父(次男)の帰りをいつも待っていて、少し切なくなる。

とまぁ、記憶の方はもうすっかりだけれど、身体はまだまだ元気で、それ故に色々と困った事件が毎日頻発する。

郵便物や回覧板を部屋に持ち込んでわからなくなってしまったり。
洗濯機に漂白剤を入れて服を全部まだらにしたり。
あったかい時期は、知らぬ間に藪に入って、蜂に刺されてとんでもない顔になっていたり。
肥料の代わりに除草剤を畑中に撒いたり。
実際に一緒に生活をしていると、なかなか平常心でいることは難しいけれど、先日、ふと笑顔になれることがあった。

その日は、父母それぞれ忙しく、私も帰宅が遅くなり、夕食はお弁当を買ってくるように頼まれた。
なんの気無しに(安かったのと、おかずがおいしそうで)、お赤飯のお弁当を選んだ。

その夜。
我が家は二世帯住宅で、一階に祖母の生活スペース、玄関を別にして二階に私達家族が住み、お風呂は一階で共有している。
私が娘をお風呂に入れるために一番風呂に入ろうとしていると、いつもは自室でテレビを見ている祖母が、珍しく話しかけてきた。

祖母「ヨシはまだいる?」
※ヨシは隣町に住む祖母の弟(私の大叔父)
もちろん、そもそも来ていない。
P山「ヨシおじちゃん?なんで?」
「いや、まだ帰ってないのかと思って」
「いや、帰ったかな、もう車なかったし」
「そう…」
「なんかあった?」
「いや、まだいるような気がしてた」
「そっか。ヨシおじちゃんはなんで来てたの?」
「一緒にごはん食べたから」
「一緒に?」
「一緒に。上(二階の家)でごちそうになったから」
「そうか。もう遅いから帰ったよ」
「そうね、夜だしね」

このあと祖母は、落ち着いてまた自室に戻った。
認知症の人の話は否定せず合わせる、というのがセオリーなのはわかっているけれど、どうしても余裕がないときは「そんなわけないでしょ!もう!いいから大人しくしてて!」みたいな対応になってしまう(反省)
この日は休日だったのもあって、心に余裕があり、落ち着いて話すことで、祖母の気持ちも聞くことができた。

アルツハイマー型認知症の場合、新しい記憶は定着できなくても、昔の記憶ははっきりと覚えているので、こういう不思議なことを言い出すのはよくあること。
記憶や思考は衰えても、感情や心は残っている。
いつもはそこまで配慮が及ばない祖母の気持ちを、この日は湯船に浸かりながら考えてみた。


どうしてヨシおじちゃんが来たと思ったんだろう。
どうして一緒にご飯を食べたと思ったんだろう。


あ、お赤飯。
お弁当のお赤飯だ。


昔は、我が家の一階に、大きなテーブルをいくつも出して、盆正月や法事、誕生日や帰省など、事あるごとに親戚が集まって、皆でごちそうを囲んでいた。
大袈裟じゃなく、サマーウォーズの陣ノ内家のような感じだった(家はあんなに大きくないけど)。
祖母は長年、病院で調理補助の仕事をしていて、料理が得意で、お赤飯や混ぜごはん、煮しめや吸い物など、集まりのときは腕を振るっていた。
ヨシおじちゃんは声が大きくて、話がとても面白くて、いつも宴会の中心にいた。
皆おじちゃんの話に大笑いしていて、まるで落語家の独演会のようだった。

きっと、お赤飯を食べて、それが宴会の記憶を呼び起こしたんだろう。

よかった、と思った。
いつも、所在なく庭をうろうろして迎えを待っていて、祖父も叔父も亡くなったことを伝えると、毎回驚いて悲しそうにする姿を見ていたから。
自分がある日突然、「何言ってるの、もうお父さんは亡くなったでしょ」と知らない女の人(=大きくなった娘)に言われたら、と思うと、毎日そんなショックを受けるのは、いくら記憶がなくなるからと言っても、つらい。
だから、よかった。
これも忘れてしまうけど、でも、幸せな記憶を呼び出せてよかった。
あのときお赤飯のお弁当を選んだ自分、グッジョブ。


※画像お借りしました。yukiotaさん、素敵なお写真をありがとうございます。

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