見出し画像

幸福の本質に関する考察 ≪目安時間4分≫

幸せは求めると離れていく

 まずは幸せの性質について考察していきます。

 幸せとはその性質上、求めると離れていくものだと思われます。何かを求めることを幸せだとすると、その幸せを得られていない今の自分は幸せではないことになるからです。つまり、求めれば求めるほど、足りていない自分に気づき幸せが遠のいていくということです。

 たとえば、贅沢な生活をすることを幸せとすると、贅沢な生活ができていない今の自分は不幸せだということになります。そして、もし贅沢な生活をするという夢が叶ったとしても、贅沢な生活を維持するために苦労することとなり「もっと楽に贅沢な生活をしたい」と求めるようになり、欲が止まらずいつまでも現在の自分が幸せだと感じることができなくなってしまいます。

 人は「もっと楽な生活を」と求めてしまうものですが、それを求めているうちはいつまで経っても満足することができません。安定を求めると不安定の不安がつきまとい、成功を求めると失敗の不安がつきまといます。それと同じように幸せを求めると不幸せの不安がつきまとい続けるのです。

幸福の正体は空っぽの宝箱

 幸福の正体は空っぽの宝箱に例えることができます。目の前に「幸福」が入っていると言われる宝箱があるとしましょう。しかしその宝箱には『欲望』を満たさなければ開かない鍵がかかっています。

 幸福を求める人は宝箱を開けるために欲望を満たしていきますが、いざ開けてみると宝箱の中身は空っぽです。実は、幸福の正体は宝箱そのもので、宝箱を開けると幸せはなくなってしまうのです。

幸福とは実体のない理想像で、実体を求める理想が幸福を生み出しているのです。宝箱の中身が空っぽだと知らない人は、いつまでも空っぽの宝箱を開け続けることになるでしょう。

どうすれば幸福を感じられるのか

 宝箱を開けると幸福が逃げてしまうのでは、どうやって幸福を感じればよいのでしょうか。その答えは簡単です。宝箱を開けないことです。本当の幸福とは現状に満足をすることで得ることができるのです。それは欲を満たすことなく満たされている状態とも言い換えることもできます。

「この壺は一見ごく普通の壺なんだが、なんと持っているだけで幸せが集まってくる幸福の壺なんだよ」

 胡散臭い宗教でいうところの「幸福の壺」というのは、まさに幸福の本質を捉えているアイテムと言えるでしょう。

 幸福の壺の中身を見ない限り、中身が幸福で満たされているように感じることができるので、その壺を持っているだけでなんとなくポジティブになり、幸せな気分になることができるのです。

幸福の哲学

 幸福は求めると逃げていきますが、ある方法を使うと幸福を引き寄せることができます。

 それは自分の持っている「もの」を他人に与えることです。「もの」は物理的なものでも精神的なものでも構いません。

 逆説的に、与えることができる人は満ち足りている状態であり、満ち足りているからこそ与えることができるのです。つまり「与える」という行為は自分を満たされている状態にすることができるのです。

 もし身の回りに何かを与えてくれる人がいたらどうでしょうか。きっとあなたはその人の近くにいることを心地よく感じると思います。与える人、つまり幸せな人の周りには自然と人が集まってくるものです。

まとめ

 本当の幸せとは現状に満足することです。それに気づかず幸せという理想像を追い求めても、決して幸せになることはありません。「幸せになりたいな~」といつも言っている人は、気付かない内に自分を不幸な人と演出しています。

 そして、そういう人は自分から余計な不安を生みだしてしまいます。たとえば「死んだら天国に行きたいな」と思うことは「天国に行けなかったらどうしよう」という不安がつきまといます。それと同じように「幸せになりたい」と思うことは「幸せになれなかったらどうしよう」という不安がつきまとうものです。

 幸福は求めなくても既にあるものです。まずはそれに気づくことです。そしてそんな状態を実感できる一番の方法は「与える」ことです。「与える」ことは幸せな人にしかできません。奪う人ではなく与える人になりたいものです。


参考文献
老子 (ワイド版岩波文庫) 単行本(ソフトカバー) – 2012/4/18蜂屋 邦夫 (翻訳)
共有

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?