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「第10話」「第11話」「第12話」

第10話 初キッス

好きな娘とデートを重ね、とうとうその時が来た。

夕暮れの河畔で、ムードは二人を促している。

僕はそっと抱きよせ、彼女は身をまかせて目を閉じる。

そこで気がついた。

なんと彼女の口は、小学校の校庭の水飲み場の蛇口ではないか。

どうしたものか。

しょうがないので、鼻をひねって水を出し、蛇口に触らないように口を縦に近づけて、ガブガブと水を飲んだ。

いつになったら、キッスができるのやら。
この先が思いやられる。


第11話 そんなあなたにロケットパンチ

1990年の年末に「そんなあなたにロケットパーンチ」が流行った。
世紀末のドンチャン騒ぎのような時代で、何をしても許される雰囲気だった。
両手をグーに握り両腕をまっすぐに延ばして、「そんなあなたにロケットパーンチ」と言いながら相手に突進するおふざけで、やられた方は「こんなわたしはハッピース」とピースサインを出すのがルール。決して怒ったり、いさかいにせず笑って流さなければならない。私もよくやったものだ。

「おっさん気持ち悪い」と馬鹿にしてきた女子高生がソフトクリームを食っている後ろから「そんなあなたにロケットパーンチ」をして、鼻の穴にたっぷりクリームが入った。彼女が頑張ってピースサインを返したらアイスが全部落ちてしまった。
バッティングセンターで割り込んできたやくざのおっさんの打席の後ろから「そんなあなたにロケットパーンチ」をして、彼は140キロの速球をまともに腹にくらった。「こんなース」と言うのが精一杯。
クレームで客先の重役に私のせいにして平謝りする先輩のお尻に「そんなあなたにロケットパーンチ」をして、先輩の頭は重役の股間を打ち砕いた。重役は悶絶したが手はピースだった。本当は先輩がピースしなければならなかったので、彼は会社から訓戒の懲罰を受けた。
職場で女子スタッフのお尻を触ろうとしたおっさんにも、ねちねちと言い掛かりのような課長の叱責にも、子供のいじめをほったらかす先生にも、やかましいお隣のワンちゃんにも、パンチしまくっていた。

噂に聴いたがこれは1989年に、東ドイツ、ベルリンのとある若者が「そんなあなたにロケットパーンチ」で壁をぶっ壊し、西ドイツの人が「こんなわたしはハッピース」と迎え入れたことが始まりらしい。1991年には世界中に広がっていたが、その年の終わりにブームは去ってしまった。
無茶苦茶だったが、なんだか平和だった気がする。

第12話 路上ライブ

電撃にうたれた。
仕事もせず、なんの夢もなく怠惰に公園に寝そべっていたら、近くを自転車に幼子を乗せた若いおかあさんが走っていった。前のカゴにはお買い物がいっぱい。
むくっと起き上がると、芝生にも乳母車の赤ん坊に日が当たらないように気遣いながら、優しい声で歌を歌うおかあさん。
道路では汗だくになって、左手で赤ちゃんを抱っこして、右手で小さな女の子を連れている。
ああ、これなんだ。これこそが原点だ。これが全ての核であり、出発点だ。メガトン級の雷にうたれた。
この母子らを守らなければならない。それが使命であり生きる意味なのだ。世の人々よ、これが世界のエネルギーだ。このママさんたちのために世界がある。全身全霊で守るんだ。

与えられた使命を理解した僕は迅速に行動に移した。
ぼろアパートに戻ってギターをもって街角に出た。
人通りのある商店街のシャッターが降りた店の前で応援歌を歌うことにした。
ギターを握ればAm(エーマイナー)になる。
違う。短調ではない。今日はE(イー)だ。

心の歌を作りました。歌います。聞いてください。


~夜鳴きはそばとかんの虫~
~ないたらお腹が空いてるか~

~おむつはおつむにかぶるな~
~かぶるなら新品にしろ~

~幼子に口づけ禁物だ~
~ファーストキスはお前じゃない~

~おんぶでスキップほどほどに~
~赤ちゃんの首がもたないよ~

大声で歌っていたら子供達が集まってきた。
やめろ、石を投げるな。
子供たちを制して、おばあさんが近寄ってきてギターケースにお金を入れた。
「これで何か食べて働きなさい。好きな子はいないのかい」

応援歌は響かないようだ。でもおばあさんの言葉が響いてしまった。

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