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与えられたものに勇気をもらうこと(2022/05/29)

今日は文学フリマ東京だった。
あんまり、積極的ではなかった。
いつものような流作業という感じでやっていた。

蓋を開けてみたら、他人の芝は青いというか、他人の書いた文章に影響を受けたというか、今まで専門書を読んでいたので、小説を読むことが少なかったのもあり、人が買ってきた同人誌を読ませてもらうと、もろに影響を受けてしまい、「この本どこで売ってたの、ぼくも買ってくる」と言って買ってくるのを何回かしていた。

なんか自分の中の小説という器が空っぽなのか、そこに水が注がれていくようだった。
時々、読んでいた本もあまり地に足のついていない本で、芸術としては立派なのだが、それについては素地がないと読めない部分もあり、まして勉強のために読んでいることが、自由ではなかった。

自分の中でどこかで本を読むことが勉強をすることで、楽しむことではなくなっていた。もっと自分で積極的に情報をキャッチしにいくことが小説を良いところであり、好きなところを好きなだけ堪能するのが小説だ。

もっと言ってしまえば、小説も絵画や映画と同じで感じる芸術なのだ。
文章に描写された風景や事物、心理などを感じるのだ。
それは作者との対話なのだ。
そんな感じで、読書というのは読者と作者が本を介して超時空間を超えて、話をしているのだ。
もちろん、作者の一方的な会話になってしまう部分があるが、その感想を言うのも一方的である。現代の作者なら交わる可能性があるが、昔の作家だとそれはできない。
でも、過去からのメッセージは受け取れる。
偉大であればなおさらだ。

ぼくは、今日会った作家たちからパワーをもらった。
それを糧に自分の小説を書いていきたいと思う。

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