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バラして、組み換えて、やりなおす(ウサギノヴィッチ)

 ラジオの編集中に書いてます。

 興味ない人には興味のない話をするが、今年の初めにぼくのマガジンで掌編小説を何本かあげた。
 あれに対して感想が来るはずもないのだが、自分の中では個人的な手答えを感じた。どうでもいいこと、出鱈目なことを書いて物語を混乱させていく、それが楽しくてしょうがない。
 んで、いきなりそんな個人的な感触だけで、新人賞の原稿を書いている。ただし、そんなに掌編みたいにしっちゃかめっちゃかな感じになっていない。真面目なパートもあれば、ふざけたパートもあるみたいなオンとオフの切り替えがあって、それは仕方ないと思って書いている。もっと自然な感じにナンセンスなものを引き出して、それと並行してシリアスさを出したいと思ってしまう。
 そう、書きながら思った、これは自分の好きな劇作家ケラリーノ・サンドヴィッチが小説にしたらこんな感じなんだろうというのを形にしたら、こんな感じだろう、と。

 九年間書いていた小説の基本的なフォームを変えるというのは、相当なことだと思う。野球で言ったら、オーバースローからアンダースローに変えるくらいことだと思う。
 なぜ、それを思い至ったか。
 それはラジオの読書会で取り上げた、時田市郎さんの小説とPさんの小説だと思う。
 Pさんの小説は苦手で、物語がないことで若干退屈である。ただ、言葉遊びは面白いところはある。時田さんの小説も、言葉のチョイスが秀逸だし、物語の出鱈目さが面白い。
 じゃあ、自分がそっちを書いたらどうなるか?
 面白半分でやってみたら、たがが外れたように書けるようになった。
 そして、新人賞用のアイデアをそこにぶっこんだらどうなるかということをやってみた。話のテーマは重いのに、文体がライト過ぎるし、勉強してもぼくの知識と想像力では、新しい価値を生み出せるかわからない。ただ、物語としては体をなせるものとして書いている。

 最後に、自分には想像力が足りないのではないだろうか、なんて思ってしまう時がある。
 それは本を読んでいていも、想像のキャパを超えてなに言ってるんだろう?と思ってしまうことがる。
 今回の書いているテーマは二十代から抱えていたテーマをあえてこの年でやってみようと思っているし、主人公は九年ぶりに女性を書いているし、なにもかもが新鮮なものだらけで、自分の想像力が試されている。
 ただ、自分が能天気で、これで新人賞受賞したらいいなぁーなんていうのはいつも考えているし、想像が絶えない。


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