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復活の狼煙(ウサキノヴィッチ)

 サイバネティックス!
 
 どうもウサキノヴィッチさんです。
 
 やっと、やぁぁぁっと、五月病を抜けた感じがします。ご心配とご迷惑をかけました。
 ありがとうございます。
 その感覚じゃないですけど、調子良くなってるなぁーって思えたのが、本を読めるようになったことです。1週間で2冊も読めたんですよ。それも200ページくらいあるのを2冊。これは調子いいかもしれないじゃないですか。その感想はほんとにクソみたいなことしか考えてしかなくて、「面白かったー」とかそんな感じですよ。でも、勉強にはなりました。

 ぼくが読む本って特種で、人が聞いても分からないものを読むんでよね。だから、後になったときに、もっとメジャーなものを読んでおけば良かったっておもうんですけど、人と同じ作品読むのってなんかイヤなんですよね。その分twitterから、本の話題を拾ってきて、それを足がかりに読みたい本を探していくんですよね。先週読んだ本も、作者の名前聞いてピンと来る人はほんとに少数だと思います。
 
 そういうふうにしてしまうことには、ぼくの長年の趣味嗜好みたいなのがあって、それが「サブカル魂」なんですよ。メジャーは攻めないところって、そういうところから来てるのかなって思います。未開の人を探して、自分が一番乗りだとは言わないまでも、ブームが来る前から「知ってたよ」みたいな顔をしてたいみたいなことは、今はそんなに無くなりましたけど、本流を読まないのはそこにあるのかなって思います。その分、面白そうなものにはなんでも手をつけていきますけどね。だから、積読が増えてしかたないがないです。それと、本を1冊読み終わった後に、次にどれを読みたいのか、アジャストさせていくのが難しいです。今回はこれ読んだから、次はこれを読もうとか、すぐみつかればいいのですが、みつからないときはずっと本棚の前で本を漁って読んでます。それで家にある本も、そんなにメジャーじゃない本が多くて、人から「もっと有名どころを読みなさい」と注意を受ける始末です。
 
 屁理屈かもしれないけど、人と同じ方向むいてるのって苦しくないですか? ぼくは苦しいですね。特に創作関係においてはそれがハッキリでますね。ぼくに好きな作家がいないって話を過去に何回かしたことあると思うですけど、それは、今自分でみつけている最中なんだと思うんですよね。そりゃ、物書きやってる中でベースになってる作家はいますけど、やっぱり、その作家たちに寄りかかって書いていくのもしんどいし、ぼくが単細胞だから同じようなことを書いてしまうと思うんですよね。だから、常にNewウサキノヴィッチでいるためには、マイナーアップデートしていかないとと思ってます。
 
 最近の自分の小説の中の思想において変わってきたことがあって、それは男女の仲についてです。
 男女が1組いればそれは付き合っていて当然だ。もしくは、どちらかが片思いをしているとか、考えることを止めているというか、それはそれとして置いておいて考えているんですよね。カップルが出てきたら、付き合うか、別れるか、セックスするかで物語が自然と盛り上がってしまうのが、ドーピングのような気がするんですよね。昔、自分の所属していた劇団の作家が、人が死んだら話がドラマティックになるって言ってたんですけど、それと似たようなものです。チートなんですよね。だから、いかにそれを使わないで、小説を盛り上げるかを考えています。
 
 そんなわけで、過去にnoteで発表した、『倒錯の春夏冬』より訳分からない作品を書いています。
 それは、秋の文フリのメルキド出版さんの企画で読めますので、是非ご期待ください。
 
 それでは。
 
 次回は、半年分の反省をお送りします。 

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