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サスティナビリティの行方 日々風呂日記#31

とことん落ちているようなタイトルにしたり
意味ありげなタイトルにしたり
おかしなやつだ。と我ながら思う

でもその振れ幅が紛れもないぼくで
個性であると信じたい

そんなぼくだけれど
ぼく1人でありたいと思うのと同じくらいに
人と同じ所を持っていたいとも思う

大事なのは全く同じ。ではなく
同じところがある。ということ

ぼくはそれをそのままだけれど共感と呼んでいる
ぼくは共感のパイを最大化したい

だって心のどこか片隅で本気で戦争を無くしたい
なんて考えているぼくはまだいるし
他人同士で全く共感がなくなって
共感することも諦めたら
それは戦争をなくすことを諦めた事と同じだ
と思うから

ぼくは戦争をなくしたい
こんな無力なぼくだけれど

古さ

さて今日はどんなことを書こうか

今日は古いことについて書こうか

古いってなんだろうか
なんだか昨今は古いエイジングしたものに
いわゆるエモさを感じる潮流がまたあるように思う

でも古い事っていい事だろうか

ぼくはいつも違和感がある

新しい

新しいということには常に消費が伴う

だって新しいは現れた瞬間のみ新しく
次の瞬間には古くなるから

つまり新しいは常にその瞬間瞬間に創造されたものにのみ許される価値で
それはなにかを消費して新しいを生み出すしか方法はない

常に何かを消費して何かを生み出す事

それが新しいことだと思う

時間

じゃあ新しいものが常に正義で
古いものは常に悪だろうか

それは分かりきって違う

悪はただ古いだけで価値があるように振る舞うものであって
ただ新しいだけで意味があるように振る舞うものだ
と思う

特に古いものには要注意だ
古さという時間への耐久力は確かにそれだけで価値があるように思えるし
ノスタルジックな直感に響きやすく
それに回収されて価値を帯びやすいからだ

でもそれではダメだ、と思う
古いだけではその時代にあったものにならない

古くてもその時代にあう共感があることに価値がある

古くて良いものはそのもの自体の時間的耐久力だけでなく
その価値の時間的耐久力があるものだと思う

そんなその時代ごとに価値を帯びながらも
普遍的に時間を飛び越えれるもの

そんなものを作ってみたい

建築にはそれを可能にする力があると思う
だから、辞められない

サスティナビリティ

その上でぼくは昨今のサスティナビリティに違和感を感じることがある

サスティナビリティは意味のままで持続性や持続可能性なんていう意味だ

じゃあ、その持続性ってなんだろうか

古いものを再利用して資源を長持ちさせることだろうか
古い家をリノベーションして再び暮らすことだろうか

もちろんそれもあると思う

けれど古いものを使い回して持続することが本当の価値ではないとも思う

本当に大事なのは
新しい価値を生み出し続けることを持続出来ることだ

ただ古いものを再利用して消費を減らすことが正義なら
なにも消費しないのが最も正しい

でもそんなこと不可能だし
そんなこと人間や生物が生きることをやめない限り実現しない

人間を辞めることなんて不可能だし
それに
それ以上に
今更やめるから許してくださいといって
許してもらえるはずなどないほどに
もう無茶苦茶にありとあらゆるものを
消費し尽くしてしまっている

ごめんなさい許してくださいなんて無責任なこと
人間は言えないところまでとっくにきている
と思う

だから
地球やヒトやヒト以外の生物に
新しい価値を慰めてにもならなくても還元して
それをやり続ける方法を編み出すことでしか
もう生きていることなんて許されない

なんて思ったりする

少し言い過ぎだかもしれない
でもそれくらい真剣には考えないといけない
それは間違いないと思う

今日はそんなことを考えていた

今日ののぼせ具合

今日ののぼせ具合は90%

今日の終わりにひとつ必ず書きたいことがあった

いつもいいねやともすればコメントをくれる方がいて
とても嬉しく思います

最初に書いたように
ぼくにとって共感は
生きる上でとても大切なことで

ぼくの独りよがりな思い込み甚だしい文でも
少しでも共感をしてくれて
リアクションをしてもらえることは

言い過ぎなんてなくて
間違いなく生きる価値のひとつだ

だから
ありがとうございます

明日も生きる価値をくれて。

それでは今日はこの辺で。

ただ古いだけでは価値はないけれど
この景色には何か価値があるんじゃないか

そう直感的に思いながら
今日も帰路についた

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