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ワンピースというマンガから読み解く日本復活の道筋

ワンピースという「週刊少年ジャンプ」に連載されているマンガがある。ジャンプを読まない人にとっては何のこっちゃだが、2022年にはワンピースの映画「FILM RED」が大ヒットをはくし、作中のキャラが紅白に出場するという社会現象も引き起こしたことから、非ジャンプ読者にも多少認知度は上がっただろう。

今回は、ウタの紅白出場を記念して「ワンピースというマンガから読み解く日本復活の道筋」というぶっ飛んだタイトルでエッセイをまとめてみる(笑)

少年だった読者たちは中年になったが・・・

ワンピースはルフィ少年が海賊王を目指すという冒険マンガである。連載開始は1997年、そのころに主な読者層だった少年たちは、いまやいい年のオッサンたちだ。連載が長すぎるゆえに飽きも生じ、ついていけなくなった人も量産された。

物語は(日本がモデルの?)ワノ国編を終え、最終章に突入したところである。あと数年以内に連載が終了することが予告されている。

そのタイミングでの映画「FILM RED」の爆発的ヒットは、まことに神がかり的だったと思う。ついていけなくなったファン層の注意も引き、新たな若いファン層取り込みにも成功し、いよいよ物語は佳境へと入っていく。世界で五億部売り上げたという底力は伊達ではない。

あまり「天才」という言葉を容易く使うのは好きではないのだが、この神がかり的現象をこのタイミングで起こせるのは、やはり天才の成せる技と言わざるを得ない。このヒットには二人の「天才」が関わっている。

天才×天才のもたらす清々しい化学反応!

一人目の天才はもちろん作者の尾田栄一郎さんである。少年マンガの王道展開も多く子どもっぽく感じるところもあるけれど、ものすごい数の伏線を張り巡らしたストーリー構成ができるのは、やはり常人ではないと思う。

子ども向きかと思いきや、抑圧されたドレスローザやワノ国の負の雰囲気の描き方も素晴らしい。特筆すべきはワノ国の侍たちの描写と思っている。「サムライは腹などすかぬものだ」と言って、わずかな食事を子どもに譲る場面とか、ジワる。。

そしてもう一人の天才は今や世界的な歌姫となったAdoである。FILM REDに登場するキャラ・「歌で世界を滅ぼす能力」を持つウタの歌声を担当している。まだ20歳そこそことは思えない歌唱力と表現力で、「顔出しせずyoutubeで活動していた」というバックグラウンドがあるおかげでまさにウタというキャラそのものに見えてしまう。

ここに、いくつかの「奇跡」のシーケンスがある。

奇跡①:Adoという基本的に正体不明の天才的歌唱力を持つシンガーがいたこと。

奇跡②:1stアルバムを発売した直後ぐらいというタイミングであったこと(売れすぎる前の段階)。

奇跡③:ワンピースが最終章に入る直前の映画でウタというキャラの歌声を担当することになったこと。

奇跡④:映画の世界的ヒットでAdoの全米メジャーデビューに箔がつき、なおかつウタというキャラが命を得たこと。

Adoがウタに魂を吹き込まなければ、FILM REDのここまでの成功はなかっただろう。

まさに天才と天才が出会うべくして出会い、核融合反応的に世界に拡散する瞬間を見た思いである(この二人を引き合わせた人がいるなら、そのセンスもまた天才的である)。

日本のコンテンツが世界を席巻していく様を見るのは清々しい思いである。

「尖ったもの」を作れるからこそ強いサブカルチャー

ということで、国力衰退の著しい日本ではあるものの、まだまだイキの良い人材もいるということを希望に思いたい。私が東京オリンピックの開会式で私が見たかったのは「こういうモノ」であるし、「こういうモノ」が次々と生まれ来る土壌にこそ、日本が復活する道筋があると思う。

そして「こういう尖ったモノ」が生まれるためには、二つの大事な要素があると思う。一つは「自由競争が行われている」ということ、そしてもう一つは「計算されていない」ということ。

漫画家や歌手を夢見たみんなが成功するわけではない。一人の成功者の足下には数百の屍がある。そして一人の天才を生むためには、数百人の成功者が必要なのである。その土台となるのは、「自由競争」である。

そしてもう一つ、ワンピースもはじめから「世界で大ヒットする」ということを目指してはいなかったと思う。「好きなことをやっていたら、結果として世界でウケた」、これこそが最強であり、真のアートなのだ。

「銀牙」という犬のマンガがあり、日本人でもあまり知られていないと思うが、これが何故か北欧では日本マンガの代表作となっているそうである。熊と戦うストーリーが、ロシアと戦うイメージとかぶるらしい。まさか作者ははじめからそれを計算していたわけではないだろう。

そう、芸術作品・サブカルチャーは「計算されていない」からこそ尖れるのだ。何がウケるかは、計算できない部分も多い。

この「自由競争の環境下」で「計算されていなものから革命的なものが生まれる」、という二つの条件を満たすためには、その業界の「裾野の広さ」こそが重要である。様々な個性を持つアーティストが伸び伸びと技を競い合える環境こそ、それらを生み出す土壌となる。

クールジャパン機構が失敗した理由の一つは、きっとここにある。国は単に機構を主導するのではなく、才能ある者たちが心置きなく伸び伸びと自由競争できる環境を整えることに専念するべきだった。


日本のサブカルチャー魂を科学と技術に!

マンガやゲームに代表されるサブカルチャーと少し異なる面もあるが、科学・技術においても本質は同じだと思う。才能ある者が「変態的に尖ったものを自由に作れる土壌」を作ることで、日本の科学と技術は復活すると思う。

言い換えれば、才能ある者に、伸び伸びと研究や開発ができる環境を与えて欲しいということである。何が成功するかは計算できない。「好きなことをやっていたら結果的にノーベル賞が取れた」というケースは究極だが、少なくともイノベーションが起こるチャンスを作るためには、科学者・技術者の裾野を広げなければならない。

学力だけが全てではないと思うが、学力優秀者が医療者や外資金融会社・マスコミなどに就職したがる現状は、それ自体が日本の成長力を削いでいるように思える。科学・技術にこそ、若者が魅力を感じれるように、国は力を注ぎ、伸び伸びと自由競争ができる裾野を作るよう努力して欲しい。

マンガやゲームを作るのは楽しい(もちろん競争も厳しいが・・・)。それと同様に、科学・技術にも魅力を感じる人口が増えれば、日本はまた変態的に大復活する、と思う。知らんけど。

(画像は写真ACから引用しています)


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