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変わってる、普通じゃないって本当にダメなことなのかな?

こんにちは。
小説家として活動している藪田建治と言います。

僕は変わってるとか普通じゃないとよく言われてきました。
僕は普通のことをしているつもりなのに、他人から見たらそれが普通には見えないのでしょう。
でもそれがなぜなのかずっと分からなかったし、今も分かっていません。
そのことで負い目を感じることが正直ありました。
僕は他人より劣っている、自信が全くなかったのです。

1 普通じゃないから差別化出来る


でも最近こう思えるようになりました。
確かに他人から見て劣っているところもあるし、そういう部分も多いかもしれない、でもそんな自分にも出来ることがあるのじゃないかって。

というのも普通ということは、はっきり言ってみんな一緒ということです。言い方を悪くすればその他大勢と変わらないということ。その他大勢と一緒であれば僕である必要は無い。その他大勢の誰かで良いわけです。そこに意味があるのか。
だから普通じゃないということは、そこで差別化出来る可能性があるというですね。

僕の小説家としての活動も普通の人からしたら、なんでそんなことをしているのとか?そんなことをして何になるの?とか思われるのかもしれません。
実際言われたこともあります。嘲笑の的になったことも何度もあります。それでもコツコツとしてきました。
僕にとってはこの書くということはごくごく自然なこと。

自然なことだから何気なくやっているだけ。
コツコツ書いているのももしかしたら差別化になっているのかもしれません。なぜなら毎日コツコツ書ける人は少なくとも僕の身近にはいないから。
だったらこれだって意味のあることではないでしょうか?

2 そこだけの世界を創りたい


僕は普通の人とは違うかもしれない。
でもそんな僕と同じように変わっているとか普通じゃないと言われれている人がいるなら、その人にとっては僕の発信がもしかしたらほんの少しぐらいは慰めになるかもしれない、自分と一緒の人もいるんだと安心に繋がるかもしれない、そしていつか安住の地になりたいなと思える。

学生時代からずっと言われてきた普通じゃない、なんか変わっていると言われ続けてきたことが今度は逆に武器となり得る。

同じような気質を持っているからこそ、同じように変わっていると言われてきたからこそ、得られる安心感ってあると思うのです。
安心出来る場所があるから、また扉を開けられると思うのです。外の世界は自分と違うような人ばかり、そこに距離感を感じる。
でもそんな時にここに帰ってくれば、自分と同じような人がいるとそれぞれの居場所になるから。

こんな世界があることで少しぐらいは生きやすくなる。それまでと違う見方を出来る。ここに僕は価値を感じています。
賛同して頂ければ幸いです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
小説家の藪田建治でした。


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