きゃめちゃんの隠れ家

何十年も前に兵庫県姫路市に生まれました👶 この度、日頃のエッセイがてら、消えてしまいそ…

きゃめちゃんの隠れ家

何十年も前に兵庫県姫路市に生まれました👶 この度、日頃のエッセイがてら、消えてしまいそうなあの頃の記憶も辿ってみたいと思います🤗 超ローカルで自分中心の話ばかりだし、いちおう隠れ家ということで、♥️やフォローは最小限にさせて頂きます🤫

最近の記事

ぼっとん便所 🚾

汲み取り式の便所。 昔の厠に近く、板間に陶器の和式便器がついていた。金隠しと枠だけで、下はもちろんポッカリ穴が開いていて、おまるに近い形。 壁は白かったけど、漆喰かタイルかわからない。 尻拭き紙はロール状でなく、一枚ずつ重ねたものが置いてあった。 おまるを卒業してから毎日使っていたはずなのに、そこで費やした時間の割には記憶が薄い。 下痢や便秘もあっただろうに、尻も何度も拭いたろうに… そういえば、同室に小便器もあったが、そこで用を足した記憶もほとんどない。 覚えてい

    • 僕が生まれる前に、シェパードを飼っていた 🐺

      ある日アルバムを見ていて、それを見つけた。 公園の芝生の上でお姉さん座りをしているちょっと若い母の前に、猟犬のような犬が伏せをして写っている。 その時飼っていた犬は柴に似た雑種の「エル」 写真の犬は見るからにエルの若い時じゃない。なにせ体が今のエルより大きい。モノクロだが色が全然違う。何より顔つきが違う。外人と同じで鼻が高い。 僕「この犬、どこの犬?」 母「今のエルの前に飼うとったんよ」 父「シェパードいう犬やで。よう飯食いよった」 初耳だった。 シェパードって、テレ

      • スバル360 てんとう虫 🐞

        父の初めて買った車。 いつ買ったのか聞いてないが、物心ついた頃には家にあった。 ボンネットに座って笑っている8つ離れた下の妹の写真があるまでから、昔の軽四にしたら結構長持ちしているのでは? もう免許返納した父は、自分の車歴でこの車が一番気に入っている。 欲しくてたまらなくてコツコツ貯金して買ったらしく、大事に乗っていたという。 僕もこのスバルのデザインは、2000GTに匹敵するくらい秀逸だと思う。 二人の妹たちがまだ生まれてない頃、この車で両親と祖母とで、日本海にドライ

        • 山陽百貨の地下のたこ焼き 🐙

          本来は明石焼きとか玉子焼きとかいうらしいけど、山陽百貨の地下では「たこ焼き」と言った。 微妙に勾配がついた赤いまな板のような台に、黄身が主体のうす黄色のたこ焼きが8~10個載って出てくる。 それをネギが入ったダシ汁に浸けて食べる。 好みでソースをつけてもいい。 家族で行ってもカウンターで食べてたなあ。 あそこはカウンターしかなかったのかなあ。 ともか、子供用の椅子なんて気の効いたサービスはなくて、肘を張って目の前のたこ焼きを頬張っていた。 そもそも子供の口にはでかすぎて

          親戚の家でカルチャーショック

          父側の親戚が近場に住んでいた。 父からみれば、伯父や伯母の家族になる。いとこもたくさんいた。 そのうち伯父の家は、僕の家と全く違う雰囲気があった。 洋風なのである。 外観は木造モルタル塗の当時の典型的な日本家屋だが、部屋のなか、特に玄関から応接間が僕には異世界だった。 まず、玄関で靴を脱ぐと、スリッパに履き替える。 こんな習慣は僕の家にない。 テーブルとソファーの応接セットなんて、僕の家じゃちゃぶ台と座布団。 キラキラのシャンデリア、赤と緑のガラスの筒が組合わさった壁

          親戚の家でカルチャーショック

          骨接ぎ屋さん 💀

          何軒か隣に「骨接ぎ屋」があった。 整骨院が正式名らしいが、入り口の上にも「ほねつぎ」とあったから、この呼び名でいいですね。 僕はやんちゃだったのか脱臼しやすい骨格なのか、この骨接ぎ屋に3~4回はお世話になっている。 動かそうにも動かない腕を、先生が毎回簡単な知恵の輪を戻すように一瞬で治してくれた。 この骨接ぎ屋の下駄箱の上の壁に、般若の面が飾ってあって、これがトラウマになるほど怖かった。 そういえば、金魚も飼われていた。 待合室に響く濾過きのモーター音がよみがえってき

          ピンコロちゃん

          うちではそう呼んでいた。 俗にいう、起き上がり小法師(おきあがりこぼし) 色は僕が男だからか、ブルー基調のピンコロちゃんだった。 突っついたり転がしたりすると、ポロンポロンと美しい音色をたてて、必ず起き上がってくる。 いつごろまであったかなあ。一部が凹んでも持っていた。 結局一度もこっちを見てくれなかったね。 いつもどつかれていたからかなあ。

          ♪ ジャスコでまんびき るるるー 山陽百貨でくいにげ ♪

          現在は高級マンション、前はフォーラス、もとはジャスコ。 母に連れられての買い物。 入ったところが、バーゲンか何かで人がごった返していた。 バッグや財布からネックレスや指輪まで、ひとつの大きな台の上に盛られて、それに人が集っていた。母もそのひとり。 人波に揉まれて最前列に来た僕は、頭の上を行き交う荷物を掴んだクレーンのような大人たちの腕に怯えながら、迷子にならないようその位置をキープしていた。 顔の位置が台より少し出たくらいだったので、目の前で商品が混ぜ繰り返されているの

          ♪ ジャスコでまんびき るるるー 山陽百貨でくいにげ ♪

          景福寺保育園 👦

          座禅の時間があった。 今もあるようだ。 聖徳太子のようなお顔の園長先生に、例の棒みたいたやつでペシッとされた。 園庭にあった小屋型遊具のなかでお漏らしをしてしまった。 一緒に中に入っていた女の子にチクられた。 新品のようなズボンと、見たことがないパンツをはいていたので、家に帰るとすぐ母親にバレた。 僕のズボンやパンツはどうなったのか覚えてない。 運動会の入場シーン。 二列になってかけ足でトラックに入る時、先頭だった僕とTくんは、実況放送できれいなかけ足だと褒められた。 演

          クリスマスツリーの飾り 🎄

          昭和の我が家のツリー。 その飾り物のひとつに、いろんな色をした玉型の飾りがあった。 大きさは大中小の3種類くらいで、どれも鏡のように映るものを反射している。 それはなんとガラスで出来ていた。 何かの拍子に落として壊れて初めてわかった。 電球よりも薄くて、パリパリに壊れると非常に始末が悪い。 毎年何個か割れて、破片を箒で掃いていた。 チカチカする電飾の球も、周りはプラスチックでも、芯の光る部分はガラスを溶かして先を丸めた加工電球だった。 これも先っぽがよく折れて球切れも多

          クリスマスツリーの飾り 🎄

          ♪ オバQ音頭でQ、Q、Q~ 👻

          ドーナツ盤だった。 なぜか円形のアダプターをわざわざ先に置いてから、そこにレコード盤を嵌めて聴く。 薄暗いタンス部屋でえびせんを食べながら、オバQ音頭を聴きまくっていた。 おかげで今でも歌詞とメロディは口ずさめる。 あと、本の付録に付いてくる「ソノシート」という、カラフルで透きとおったレコード盤があった。 ペラペラなので、扱いが悪いとうねったりキズがつく代物だった。 レコードプレーヤーは回転速度が変えられるようになっていた。 33回転と45回転があって、普通が飽きるとわ

          ♪ オバQ音頭でQ、Q、Q~ 👻

          お城の北にたくさんの木造住宅があった 🏚️

          現在はシロトピア公園になり、その面影は全く残っていない。 市営住宅だったと思う。 ほぼ同じ形の平屋の木造住宅が、たくさん並んで建っていた。 そのひとつの家に絵のけいこに通っていた。絵の教室である。 なぜ絵だったのか聞かず仕舞いで母は他界してしまったが、この幼い頃の習い事のお陰でいまだに絵は上手に描ける。 ほんと感謝してます。 その教室で芝犬を描き、それをたいへん褒められたのを覚えている。 廻りの子供が描いている犬と比べると、明らかに僕の犬は形が整っている。 他の子らの犬

          お城の北にたくさんの木造住宅があった 🏚️

          男山の北階段にて 🐌

          山野井町にある小高い丘。 低いのに姫路では歴史関連でかなり有名。 南側から一気に上る鉄砲階段も有名。 今回は、山の北側にある勾配が緩い階段を初めて上った時のこと。これも少年時代の話。 こっちにも階段があるんだと判明した、ある梅雨時期。 その階段の登り口のアジサイなどの葉っぱに、大きなカタツムリ(僕らは専らでんでん虫)が、気持ち悪いほどくっついていた。 それに混じって、海にいるような細長い巻き貝を見つけた。 川から上がってきたのか? でも川でよく遊ぶけど、こんな細い巻き

          男山の北階段にて 🐌

          スーパー フタギ 🛒

          岡田屋とシロと提携してジャスコになる前の姫路発祥のフタギ。 元々は洋品店だったらしい(調べました😊)が、僕の知っているのはスーパーのフタギ。 様々な遍歴はあるけど、今やAEONだから凄いもんだ。 姫路市は河間町の南端、中壕が野里街道で一旦切れている角の敷地にフタギがあった。 壕をはさんだ南には江尻病院もあった。 そこで生まれて初めて買ったプラモデルが、ゴキブリのプラモデル。 何故ゴキブリ?なんて野暮な自問はしない。だって「これがいい」から選んだのだ。 完成すると、知ってい

          スーパー フタギ 🛒

          千姫の小径をバイクで爆走 🏍️

          もちろん現在の話じゃない。 当時はバイクなんて呼ばず、単車とかカブ。 それにそこは「千姫の小径」なんて洒落た名前もついてなかった。 それは外濠の役目をした船場川と中壕との間にある細い土手のこと。 長さ的には、清水門から南へ下り、一之橋を過ぎ、東西に走る国道2号線(外濠)埋門あたりまでをこの名称で呼ぶ。 昭和のある日、父が知り合いから単車を借りてきた。 そして幼い僕を後ろに乗せ、2ケツでこの土手をぶっ飛ばした。 土手は今のように柵はなく、舗装は悪いしで、怖くて尻も痛くて

          千姫の小径をバイクで爆走 🏍️

          アポロ11号 月に着陸したやつ 🚀

          母と一緒に風呂屋へ行くとき? いや、保育園のお迎えだった? 八百屋への買い物だったかな? 「今、あのへんにアポロが飛んどんよー」と、まだ明るい空に浮かぶ白い月を指差して母は言った。 そう言われて空を見上げた僕の視野のなかに、月を指差す母の肩から上が入っていたので、僕の背は母の胸あたりだったかな。 サンダーバードか何かのオモチャは持っていたけど、本物のロケットなんて子供の想像力の域を越えていてなんだかさっぱり。 そのとき母と交わした会話の具体的な言葉は覚えてないけど、僕

          アポロ11号 月に着陸したやつ 🚀