「いじめは、本当にありますか?」

ある日、インドネシアの高校生から受けた衝撃的な質問だった。

なんと答えていいかわからなかった。もちろん答えは一つ。

「あります。」

ただその一言だけだった。しかし私は一瞬、固まってしまった。

現地の本屋に行ったとき、「いじめ」というタイトルのマンガが、翻訳されて、インドネシアで売られていた。

「インドネシアにいじめはありますか?」

私の質問に対する彼女の答えはただ一つ。

「ありません。」

もちろんためらいはなかった。

薄々気付いていた事実ではあったが、この一瞬の間さえも、私は恥ずかしくなった。胸を張って「ない」と言えない事実を突き付けられた。

少し個人の話になって、申し訳ないが、私にもいじめられた経験がある。靴箱の自分の靴の中に毎日、小さなほうきが突き刺さっていた時期もあった。クラスの女子全員から無視や、わざと聞こえるような大きな声での悪口を受けたこともある。子どもの私にとって、学校は全てでとても辛かった。

幸い私には、友人がいた。引っ越して少し遠くに住んでいた友人だけに、私は全てを打ち明けた。その時の私は小心者で、自分がいじめられていることを、両親にさえ打ち明けられなかったのである。その友人の励ましもあって、両親に打ち明けて、ことは解決へと進んだのだが、私は今でもその友人に感謝している。まだたったの11歳で勇気をもって、打ち明けるように励まし支えてくれた友人のことは、私は一生忘れないと思う。

さてさて、こんな感動話にするつもりはなかったのだが、話を戻す。

当時の私は普通の女の子だったと思う。ただ少し違ったと言えば、少年野球団に所属していたことだ。紅一点。今の自分でも思うほど頑張っていた。

今思うと原因はそこにあったのではないかと思う。「人と違う」それが日本では、いじめの理由になる。

自分も目を付けられたくない、自分を守りたい一心で主犯格の言うことを聞いていた友人たちの気持ちもなんとなくわかっていたし、実際に私にもそんな経験があったと思う。それでも私に味方をしてくれる友人もいた。

ある日、私は主犯格の子に、今日の昼休みはクラスの女子、皆で遊ぼうと誘われた。すごく気味が悪かったが、応じて靴箱に集まった。すると皆でこしょこしょ話が始まって、私にも「今日は○○ちゃんのこと無視ね」と言う伝言が伝わった。答える間もなく、主犯格の子に「30秒目を閉じて」と言われ、私は指示に従った。今日は皆で遊べる日。やっと元に戻る。そう思った瞬間、足音が一つ二つ…だんだん遠くへ消えていくのがわかった。30秒経つ前に私は目を開け、何も考えず校舎へ戻った。上から校庭を覗くと、体育館の隅に隠れている皆を見つけた。

彼女たちは戸惑っている私を探している様子だった。この時のことは鮮明に覚えている。

あの時、あの後どうなったか全く覚えてないが、後から何人か私を追いかけ、謝ってきてくれた。その中に主犯格に無視しようと言われた女の子もいた。

彼女たちの勇気がなかったら、その後私はその子を無視してしまっていたかもしれない。間違えた道に行かなかったのは、あの時、彼女たちの勇気があったからだ。残念ながらもうあまり関わることはなくなってしまったが、もしまた会えたら「ありがとう」と伝えたい。

こうして私は、小学5年生の時、初めて「いじめ」というものを体感した。

6年生に上がると、クラス替えがあり、しばらくしてすぐ私のクラスは学級崩壊した。

担任の先生は学校に来なくなった。代わりに副校長先生が私たちを見るようになったが、年や経験を重ねた男性でさえも、そのクラスを止めることはできなかった。そしてまた、私は標的となった。

学校を休んだ次の日、副校長先生から校長室に呼ばれた。校長室に行くと、主犯格の二人がいた。私が今、一番会いたくない二人がいた。

向かい合って座らされ、副校長先生になだめられるかのように

二人から「すんません」と絞り出した声が届いた。

背中は曲がり、やる気のない一言。副校長先生は、私に「二人とも反省してるから、赦してやってくれ」と言った。

「は?」

ふざけるなと思った。絶対こいつらは反省してない。どうして赦さなければいけないのか、わからなかった。しかし、早く解決したかった小心者の私は、素直に応じた。

ただ悔しくて悔しくてたまらなかった。

のちに、私がいじめられた理由は「髪を切ったから」ということを知った。当時はただただ意味が分からなかった。その時、髪を切ったのはお母さんで、むしろ私はそれが嫌で嫌で仕方なかった。

それが(もちろんそれだけでもなかったとは思うが)私がいじめられた理由であった。本当にばからしい話である。

しかし当時の教育は、それを予防することもケアすることもできなかった。

じゃあ、インドネシアはどうなのか。

(これは、高校に限った話になるのかもしれないが、)生徒は何でも先生に話すそうだ。誰と誰が喧嘩した、自分は何組のあの子が好き、家のことで悩んでいることも全部だ。先生の家にだって行く。先生のSNSも知っている。何かあればまず担任の先生に相談する。そもそも喧嘩だって、次の日には直っているそうだ。インドネシア語には、「いじめ」という言葉すらない。

皆が同じ環境で同じものをつくれる、みんなが平等な教育。故に個性より調和。それが戦後、日本が掲げた教育法であった。そして、現在「先進国」となった。

「日本人はすごいと思います。勤勉です。日本は憧れます。」そう言ってくれる人々に

「1日100人自殺します。50代が一番多く、近年は若年層の自殺率は先進国にもかかわらず、世界トップレベルで、その原因としていじめや就職活動が挙げられます。」

正直、そんなこと言いたくない。

実際、インドネシアでも近年、13歳から15歳の子どものうち、5人に1人に相当する約1,800万人がいじめを受けたことがあり、さらに3人に1人は校内で身体的暴力を受けたことがあるというデータがある。

→ユネスコ:https://www.unicef.or.jp/news/2018/0052.html

こんな辛いデータが残ってしまった日本だからこそ、彼らに見せれるもっと別の背中があるのではないか。

もう勤勉なんてイメージはいらない。そう感じた。

長くなったが、私が言いたかったことが、なんとなく伝わっただろうか。伝わっていると嬉しい。

が、考えたことはまだまだあるので、まだまだ続く。お付き合いいただけると、嬉しいです。







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