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「花屋日記」48. なにを残していけるのか。

 店長は、私が辞めることに対して
「うちは東京に住むなんて考えたこともない。あなたは最後まで、よく分からない人だわ…」
とため息をついてから
「新人教育には協力してよね、もうあなたが、私の次に長いんだから」
と言った。もっといろいろ責められると思っていた私は
「もちろんです。本当にすみません」
と頭を下げ、その罪滅ぼしに毎日あらゆるマニュアルを作った。
   私は多分最後まで大した人材ではなかったと思うけれど、自分に残せるものは、残していかなくてはならない。

 ある日、カラーペーパーやリボンの発注作業を指示しながら、私は後輩スタッフに言った。
「私が辞めたら、今度はあなたがボケ担当だから。朝のミーティングとか、みんなが深刻な顔をしてるときこそ、渾身のボケをよろしくね」
冗談のつもりだった。でも返ってきたのは、思いもかけぬシリアスな反応だった。

「それってすごいプレッシャーで、勇気のいることですよね」
「え?」
びっくりして思わず聞き返すと、
「私、カイリさんがいつも絶妙なタイミングでスタッフ全員に声をかけてるの、すごいと思ってたんです。なんでそんな人がお店をやめちゃうんだろう、って友だちに言ったら『そんな人だから、次のやりたい仕事でも必要とされたんだろうね』って言われて、私もそのとおりだと思いました」

 不意を突かれて、私は目を丸くした。そういえば前にもこの子は私に
「いつも気さくに話しかけてくださってありがとうございます」
と言ってきたのを思い出した。
 そうか、気づいていたんだ。私が意図的にやっていることも、そのやり方も、全部。

 その瞬間に、私の胸になんとも言えない安堵感が広がった。うまくはやれなかったかもしれないが少なくとも、すべては一方通行ではなかったのだ。そしてこうして何かが引き継がれていく。私がいなくなった部分を次の人が埋めることで、その才能を伸ばしたり、新たな流れが生まれたりもするんだろう。

 彼女の言う通り、仕事はどんなことも「プレッシャーで、勇気のいること」ばかりだ。でもそれが何か美しいものに変わって誰かに届くのであれば、それはきっと挑戦する価値のあること。私はそれを人に伝えるだけではなく、自分自身ずっと忘れずにいたいと思った。

 最終出勤日まで、シフトはあと10回。最後まで私は積極的に関わり合おう。この現場が好きだから。ここに集まる花と人が、大好きだから。

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