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「特別」になるために「特別」を選ぶんだ。ー純喫茶体験記ー

 Bという老舗の喫茶店が東京・中野に移転して、ひっそりと営業しているらしい。懐かしい昭和の雰囲気を漂わす民家で、有名ベーカリーであるペリカンのパンを使ったサンドイッチや、最上級のコーヒー豆を使ったメニューを提供しているという。私はとくにグルメなわけではないが、その「知る人ぞ知る」路地裏の名店をいつか訪れてみたいと思っていた。

 中野付近で用事があったある日、私はふとBのことを思い出した。「そういえばどこにあるんだろう?」と思いながら駅の裏手をうろうろしてみると、その辺りは人通りも少なく、開発の進んでいる駅前エリアとはまったく異なる趣きだった。
 途中、ガレージで日向ぼっこしている野良猫が、こちらを向いて大きなあくびをするのが見えた。午後のやわらかな日差しが、猫のちいさな体をあたためている。ここでは、時間がなんともゆっくりと流れていた。
「東京にも、こんな場所があるんだなあ」
私はそのことに心癒されながら、その奥へと歩を進めた。

 やがて、ふとしたら見逃してしまいそうな細長い小道の先に、Bの入り口が見えた。表札のかかった門を通り、玄関で靴を脱いでスリッパに履き替える。まるで知り合いの家にお邪魔しているかのようだ。
 しかし残念ながら、平日だというのに中は満席。スタッフは老夫婦らしき2人だけなので、当然それ以上対応できるわけもなく、私はしかたなく外の喫煙用の椅子に腰かけ、客が入れ替わるのを待つことにした。せっかくここまで来たのだから、どうしても噂のパンを食べて帰りたい。

 店の庭の金魚鉢には、紅色の金魚がすいすいと泳いでいた。とても手入れのされた、静かな、静かな空間だ。しばらくそこでぼーっと金魚を見つめていると
「あら、今日はいっぱいなのね」
という声がした。白髪の女性が、お連れの方と一緒に向こうからやってきた。
「大人数のグループが中にいらっしゃるようなので、順番を待っているんです」
と伝えると、がっかりしたようでもなく
「珍しいわね。お稽古事の後なのかしら? でも人気があるのはいいことだわ」
と満足げに頷かれた。
「あの、よかったらお座りになられます?」
私は一つしかないその椅子から立ち上がった。
「いいのよ、ありがとう。年の割には元気だから。何かでご覧になって来たの?」
と言って、その女性はニコッと笑う。どこか独特のエネルギーと色気を感じる。まだ現役で仕事をされている方なのかもしれない。
「ええ、ペリカンのパンはとても有名だと伺ったので、興味があって」
「そう! ここのパンは無駄なものがなくて美味しいのよ。ほら、今どきのパンっていろんな添加物が入っているじゃない? ペリカンのパンはシンプルなの。毎朝、わざわざ遠くまで仕入れに行っているらしいわよ」
 きっと常連さんなのだろう。店主のこだわりについても愛情を込めて説明してくれた。こんな上品なマダムが通い詰めているのなら、きっと良い店に違いない。

 そうして外でおしゃべりしているうちに、中から団体客が出てきた。「お待たせしてすみませんね」「いいえ」などと言葉を交わし、私たちはようやく中に入れた。
 その時、マダムが玄関に並んでいた他のお客さんの靴をさっと揃えるのが見えた。その仕草があまりにも自然で美しくて
「ああ、こういう風に振るまうべきだったのか」
と私は思った。大人の女性はいつもこんなふうに、人目にふれないところでさりげない気遣いをしているのだろう。私は自分のことしか見えていなかった自分の至らなさを恥じた。
 Bの店内は狭く、決して気取った感じではなかった。しかし食べ終わった年配の女性が
「美味しくいただきました、ありがとう。さようなら」
と店主に頭を下げて出て行く姿などを見ると、やはり老舗の品格が感じられた。いわゆる「店が客を選ぶ」というのはこういうことなのかもしれない。すべてが控えめで丁寧で、60年代から多くの客に愛されてきた店だというのも、なんだか納得の雰囲気だった。

「お待たせしました」
と手渡されたメニューは小さな紙一枚に収まるほど少なく、私はその中からタマゴトーストとブレンドコーヒーを注文した。トーストの焼き上がりを待っていると、壁にかけられたゼンマイ式の時計が、ボーンと重厚な音を鳴らす。なんだかタイムスリップしたような気分だ。
 しばらくして運ばれてきたタマゴトーストは、厚焼きの甘い卵焼きを挟んだものだった。マヨネーズや塩胡椒で味付けした、いわゆる普通のタマゴサンドイッチとは全然違う。かじりついてみるとそれはふっくらと暖かく、潔いくらいシンプルな味がした。
「…これかあ、ペリカンのトースト」
 私はゆっくりそれを味わった。マダムが言っていたとおり、混じりけのない味だ。そしてセットに付いてきたコーンポタージュとバニラアイスもどこかノスタルジックで、まさに私たちが昭和の喫茶店に求めるものだった。

 しばらくすると、静かな店内に痩せたおじいさんが一人でやって来て
「誰か英語ができる人はいないかねえ?」
と困惑した声で言うのが聞こえた。観光客への通訳が必要なのかと思い、
「あの、私でよかったら通訳しますけど…」
と、コーヒーを飲んでいた手を止めて声をかけると
「ああ、違うんですよ。商店街のチラシを作っているんだけれども、日本語だけじゃなく英語も一緒に印刷できたらいいなと思って。周りは誰も英語ができないもんだから…」
とおじいさんは照れ笑いする。
 そういうことだったのか。私は早とちりしたことを謝り、
「前にイギリスに住んでいたことがあるので、必要があればお手伝いできますので」
と一応言った。すると
「まあ、そうなの?」
と、先ほどのマダムが向かいのテーブルから私の方に振り向いた。
「さっきから、素敵な方だと思っていたのよ! 初めてお会いしたんだけれどね」
と店主の奥様に説明するように言う。あっけにとられていると、奥様がにこりと笑って
「この方もね、今、大学で英語のクラスに通っておられるのよ」
とマダムを指差して説明した。そういえばこの近くに大学のキャンパスがあった気がする
「え、そうなんですか。じゃあそちらにお願いした方が…」
と私が言いかけると
「でも私はまだ始めたばかりだから、ぜひあなたに手伝ってほしいわ」
「もしよかったら、連絡先を置いていっていただけませんか。チラシの準備が整ったら、お願いしたいです。あまりお支払いできないかもしれませんが」
とおじいさんも次々と言う。
「ええ、もちろん大丈夫です」
 私は戸惑いつつ、テーブルの紙ナプキンにボールペンで連絡先を書いて渡した。こんなものに字を書くのは何年ぶりだろうか。おじいさんはそれを白いポロシャツの胸ポケットに入れて「ありがとう」と笑った。

 すべてが不思議な流れだった。私はただ、喫茶店にトーストを食べにきただけの客だったはずだ。ここは初めてで、周りには知らない人しかいない。でも今ここで起こっていることは、まるで昔から知っているコミュニティーの中でのありふれた出来事のようだった。東京って、こんな町だったんだっけ?

 たとえば私がまた来週ここを訪れたら、きっと「この前はどうも」とか「あの方はお元気ですか」とか、そういう話をすることになるのだろう。マダムと顔を合わせたら「私の知り合いも同じ大学で英語を学んでいたんですよ」と話すかもしれない。チラシの翻訳をすることになるのかどうかは分からないが、あのおじいさんとも、もう顔見知りだ。初めて来た場所でそんな状態にいきなりシフトしたことが、なんだか小さな奇跡のように思えた。

 もしかしたら、Bがこの静かな立地を選んだように、またお客さんたちがここのパンやコーヒーを選んだように、「どこでもいい」とか「なんでもいい」と思っていては絶対に叶わないことが、こういうところでは日常的に起こっているのかもしれない。
 だから「特別」を体験したいのであれば、すべてを意識的に「選んで」いかないとだめなんだ。一つひとつを自分らしく選択しないと、自分も誰かに「選んで」はもらえない。「特別」な人やものに触れない限り、私も誰かの「特別」にはなれない。そういうことが、Bの店内ではものすごく身にしみた。

 お腹は空いていたけれど、駅前のファストフード店なんかに行かなくてよかった。私、これからはちゃんと「選んで」生きていかなくちゃ。そう決心しながら私は食事を終え、みなさんにお礼を言って店を出た。
 外はもうすっかり暗くなっていた。それでも体がぽかぽかしていたのは、きっとコーヒーのせいだけじゃない。人生の小さな宝箱は、いつだってこういった特別な場所にひっそりと隠されている。

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