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年頭の不毛なる疲弊

「あけましておめでとうございます」と挨拶して回るものの、私の気持ちはあまりおめでたくない。

 一月二日の朝。
 余っていた回転寿司の寿司をノロノロと起き、前日の我が方の実家で残飯処理係として余っていたはま寿司でテイクアウトした寿司を吐くほど食ったがための膨満感。雑煮だけを啜り、食後はスマホを見ながら皿を洗う。洗い終わり、手を拭き、スマホを持つ。薬を飲まなければならない。スマホから目を離すことなく、感覚で薬を手にし、水をごくりと飲む。
 喉に少し引っ掛かりを覚える。
 む?
 果たして、私は薬をPTPシートからちゃんと出して飲んだのか。その記憶がまるでない。全くの無意識だった。
 もしや、PTPシートごと飲み込んでしまったのか。
 スマホのYouTubeで流れていた「空耳アワー」を即座に閉じ、ブラウザで「薬 PTPシート 誤飲」と検索する。
 頭はクラクラし、震えた。
 もし、飲み込んでいたら、ただ事でない。下手すれば死ぬぞと。
 いや、しかしPTPシートを無意識に飲むことなんかできようか。それなりに二錠包装されたシートで、一粒もそれなりに大きな薬だ。そんなバカな。
 されど、もし勢いで飲んでしまったとしたら。
 妻に泣きつく。
「高齢者か!そんなことないでしょう。」
 そう一笑に付す。
 しかし……。
 この後、体調が急変して、そのまま帰らぬ人になったらどうしようかと思う。四十五歳になったとはいえ、少なくともあと五十五年以上生きたい。まだ人生折り返し地点にも立っていない。このまま死んでたまるか。
 しかしなんとなく胃が重い。これはPTPシートが引っ掛かっているに違いない。なんか身体がチクチクする。体内にあるPTPシートのせいだ。
 死因が薬の包装の誤飲なんてことになったら目も当てられない。
 しめやかに私の葬式が脳裏に浮かぶ。
 どうやら泣いてくれる参列者はいるようだ。
「まだ若いのにねえ。」
 目にハンカチをあてながら、私を偲んでくれる。
 しかし、続けて
「でも、PTPシートの誤飲ってねえ。グ、グフッ!」
 吹き出す。ハンカチは涙を拭くためではなく、悪意溢れる笑みを隠すためのものであった。
 こんな死因では、成仏なんてできやしないし、かといって幽霊になろうにも「うらめしや」の矛先もない。

 前日は酒を飲んで実家に車を置きっぱなしだったので、昼過ぎに取りに行く。
 駅まで行くのに、こんなにも息切れするだろうか。
 PTPシートが我が肺に深刻なダメージを与えたのか。心臓の下はピリピリし、胃は重い気がする。腸も痛いような。
 電車に乗り、スマートウォッチで血中酸素濃度やら、心電図やら脈拍やら、関連しそうな値を計測する。
 いずれも正常であった。
 しかし、こんなスマートウォッチで体内のことなんぞ分かろうか。己の身体のことは、己が一番よく知る。
 体内から発する悲鳴を私は確かに聞いたような気がする。
 実家に着くと、兄もいた。
 誤飲は専門外とはいえ、仮にも兄は医者だ。
 この悲劇的事故を説明する。
「そんなことあるか。もし飲んだしても、下から出てくる。」
 まあ、そうだろう。
 うん、そんなことはない。だけれども……。
 もしそうだったらヤブ医者と喧騒してやる。
 車を運転しているときも、どうも体内がほんの僅かだけ違和感がする。もし、PTPシートを飲んでいたら……。
帰り途中のはま寿司で予約していた寿司を受け取り、我が家の隣にある義実家にて泊まりがけで来ていた義姉と甥と姪たちも含めて、恒例の宴会をする。前日と同じ寿司を大量に食い、私以外飲む人のいない日本酒をグビグビ飲む。体内の悲鳴には耳を傾けない。

 一月三日。
 朝起きると、胃が重い。
 やはりPTPシートが体内にあるせいに違いない。いつこの地雷が爆発して、私は死ぬのか。再び死の恐怖に苛まれる。
 昼過ぎ、妻がいい加減に髪を切って白髪を染めろと言うので、駅前のイトーヨーカドーに入っている千円カットに行く。もしかして、今生で髪を切るのも最後かと悲しくなる。
 いや、まだ生きる!
 だか、今更ドラッグストアで白髪染めを買って何になるのか。いや、まだ死なない。これからも生き抜く証として、私は白髪染めを買わなければならない。
 せっかく駅前まで来たので、どこへ行くかも決めずに来た電車に乗る。たまたま東京方面行きだったので、初詣でもするかと思い、途中で乗り換えてお茶の水へ行き、聖橋を渡り、湯島聖堂へ。
 中学と大学受験生時代、湯島天神は終ぞ私の願いを聞き入れることはなかった。そこで、再受験時には菅原道真公より孔子の方が効験あらたかだろうと湯島聖堂の孔子廟で祈り、絵馬をしたためたとこら、孔子は我が人生初めての第一志望合格をもたらした。
 湯島天神で小学生時代にしたためた絵馬には「祈願」と書くところを「折願」と書いてしまったので、菅原道真公としても絵馬への記載通りに私の願いをへし折ったのだろうが、その辺りは小学生男子の愛くるしい間違いとして、大目に見てほしかったものである。
 孔子廟で祈り、受験生でもなんでもないがせっかくなので絵馬をしたためることとした。ただ「PTPシートが体内にありませんように」と筆圧濃く書いたところで、おそらく孔子にとり健康面は専門外であろうことから、別の願い事を書く。
 湯島聖堂の敷地から出てから、せめて健康と長生きを祈願すればよかったかなと思いつつ、人の流れに乗ると神田明神に着いた。
 サラリーマンとして神田明神にも行かんと欲したものの、長蛇の行列を見ては萎え、そのまま坂を下りて、アニメショップへ向かう波に流されて雑居ビルに入って、男の発するニオイの充満する狭いエレベーター途中階Mac専門店に入る。
 予算九万円台の程度で二◯一九年モデルの二十七インチiMacがないか物色する。あと五万円くらい予算があれば、選びたい放題なのになあと思いつつ、体内にPTPシートが入ったままとして、入院、開腹手術となったらいくらかかるのか。たとえ予算通りのパソコンがあったとしても、散財するわけにはいかないと思う。

 一月四日。
 あっという間の現実が始まる。
 出社する。今日も胃は重いような気がして、歩くと息は切れる。やはりPTPシートが体内にある気がする。
 会社でも、体内の地雷がいつ爆発して、突如倒れるのか、不安に思う。もしかしたら、この日が人生最後の出社かもしれないと思うと、会社はいいところである。
 夜は大学時代に同じ東洋史専攻の旧友とウズベキスタン料理屋で行く。先月、私が一人旅をしたウズベキスタンの写真をSNSにあげたところ、研究職に進んだ同期の「土産話を聞きたいものですな」というコメントを真に受けて、毎年数回は集まっているゼミの友人も呼んで開いた会であった。
 甘いながらも後味すっきのウズベキスタンワイン。一人旅では飲むに飲めないウズベキスタンコニャックのボトルを空け、三千円の食事予算とは思えぬほどの大量のウズベキスタン料理に舌鼓を打ちつつ、怪気炎をあげるは私よりも研究者の友人であり、しかし私は良い会を開いたなと満足した。
 この時だけは体内にあるかもしれないPTPシートのことを忘れる。

 一月五日。
 襲ってくるは胃の重さであった。確かに昨夜は食べすぎたかもしれない。しかし、これはもしかしたらPTPシートが体内にあるせいなのかもしれない。
 午後過ぎのオンライン会議。
 私の声を聞いた同僚が首を傾げる。
「そんな声してましたっけ?」
「昨日コニャックを飲んだから、酒焼けだよ。」と答えたが、もしかしたらPTPシートが喉に引っ掛かっているのかもしれない。

 再来週は人間ドック。
 それまではPTPシートが体内にあるかもしれないという恐怖と戦い続けることになる。まことに不毛ながら。

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