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#1【仕事】教員へ転職したきっかけ

私は2006年に総合商社に就職し、その後2008年に私立中高一貫校の教員に転職しました。今日は「教員へ転職したきっかけ」について書いていきます。


★土台は予備校でのアルバイト

私は大学生の4年間、東進ハイスクールの担任助手(チューター)のアルバイトをしていました。当時は新規来校者(高校生・保護者)の営業対応、講座提案、面談、アフターフォローなど、多種多様なを任せてもらい、お金以上にたくさんの貴重な経験を得ることができました(稼いだお金で友人とたくさん海外旅行にも行けました笑)。就職の面接の際に私がアピールしたことのほとんどは、この予備校でのアルバイトについてです。

このアルバイトを通して、①高校生から感謝される喜び・やりがい、②これからの人生を切り拓く高校生を支える喜び・やりがいを強く感じることができた!というのが、その後教員へ転職することを決めた土台の部分です。

大学は法学部でしたが、2年生からは教職課程を履修することを決意し、1日6コマ(1コマ=90分授業)などなかなかハードな学生生活となりました。

★総合商社での会社員生活、やりたいことではない……

私は大学卒業→そのまま教員になるのではなく、企業に就職することを選びました。「まずは教員以外の世界を見てから……」というような格好良い理由ではなく、「教員採用試験に必要となる多くの科目を勉強するのはすんごくしんどい……」という理由が最も大きかったです苦笑

いずれ書くことがあろうかと思いますが、私は総合商社に就職後、「やりたいことではない……」と悩む日々が続きました。自分自身のやりがいに嘘をつくことができない。何週間も先まで土日の予定を入れ、その予定を楽しみに仕事に耐える。月曜日の朝は駅のベンチで出勤時間までボーっとする。そんな日々が続きます。「サザエさん症候群」や「月曜日の朝はしんどい」など、今でも体感としてよく分かります。

★転職を考えたきっかけは海外旅行

私が教員への転職に向けて具体的に動いた直接のきっかけは、会社員2年目(2007年)の夏休みに後輩たちと一緒に行った海外旅行(韓国)です。

映画「JSA」の舞台ともなった「板門店」を数千円払って訪れ、韓国と北朝鮮の緊張関係を目の当たりにし、「ここで感じたこと、考えたことを誰かに話したい!伝えたい!」と本気で思いました。が、夏休みを終えて会社に出社して先輩や同僚に話しても伝わらない。「ああ、ここは違うんだな」というような思いを抱いたことを今でもはっきり覚えています。

★転職に向けて動き出す!

2007年秋頃、私は母に今の会社を辞めて教員に転職したいという思いを伝えました。母子家庭で3人の子ども(ちなみに私は長男)を育ててくれた母は、「みんな仕事でやりたいことをやれているわけではない」「みんなたくさんの辛いことを我慢している」「30歳まで今の仕事を頑張ってみて、それから考えたらどうだろう」と助言してくれました。

当時私は23歳。妹はまだ高校生で、母が涙ながらに話してくれたことを覚えています。母の世代の多くの人たちが我慢をしながら頑張って働いてきたこと、そして母がやがて定年を迎える中で長男が信用ある企業に勤めていることは家族にとって大きな安心材料になること。決して軽視できないですよね……。

しかし私の決意は固く、「30歳まで元気でいられる保証なんて誰もない!今動かないと後悔する!」という思いに強く押され、教員への転職活動に踏み出しました。翌夏の公立の教員採用試験に向けて通信教育に申込み、往復の通勤時や土日など、自身の自由になる全ての時間を勉強に当てました。

ちなみに私は勤めていた企業を退職して転職活動や勉強に専念する、という道を選んでいません。生活の基盤を失いたくなかったこともありますが、採用する学校側としても教員経験のない人物を採用する際、無職の人よりも現在企業に勤めている人の方が良いのではないかと想像したからです。「人のモノ(私)だから安心、そしてほしくなる」、という人間心理でしょうか笑

こうして転職活動を始めた私ですが、勉強ばかりの日々でも気分はとても晴れやかでした。会社でもトイレ休憩のたびに「今自分はやりたいことに向けて動いている!もう少し!」と実感し、精神的にとても軽くなりました。自分自身がやりたいことを仕事にすることがどれだけ精神的に良い影響を与えるか、早々と、そしてまざまざと実感した形です。


ここまで、私の「教員へ転職したきっかけ」をお読みいただきありがとうございました!

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