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『三つ編み』 レティシア・コロンバニ

「どうか、この話が現代のものでありませんように」と祈るように読み始めたこの話はインドの不可触民スミタの話で幕を開ける。彼女は毎日、近隣の村の家を訪ね素手で糞便を集める。お金はもらえない。時折残飯がもらえるだけ。夫は村人の畑のネズミ捕りをする。こちらもお金はもらえない。捕ったネズミを持ち帰り、ごはんのおかずにする。娘にこの仕事を継がせたくない。教育を受けさせたい。

この本は「新井賞」の第10回受賞作。新井さんは三省堂書店、今はHMV&BOOKS HIBIYA COTTAGEの書店員で、平たく言えば彼女が勝手に選出した本なのだが、直木賞よりも売れるという。Twitterで「私は今、何にだってなれるような気がしている」という帯のフレーズを見て、「読みたい」と思った。どんな本なのかは知らない。普段名前が覚えられなくて読めない外国人の本だけど、表紙もきれいだし、日比谷にいく予定もあるし、読んでみよう。

物語は、3人の女性のストーリーが交代しながら進んでいく。一人目はインドのスミタ。二人目はイタリアで家業の毛髪加工業を継ぐ20歳のジュリア。小さな頃から出入りしていた工房で近所の女たちと働く。三人目はカナダ モントリオールで企業向け訴訟を扱う名門弁護士事務所で働くアソシエイト弁護士サラ40歳。弱みを見せずに男社会を生きる女戦士。二度の結婚をし、3人の子供を持つシングルマザーだが、そんなことを職場で話題にしたりなんか絶対しない。

彼女たちが、今風に言うと「詰んだ」というような八方塞がりの状況に陥るのだが、そこをどう切り抜けるのか。どうしてこの三人だったのか。ネタばらしをしたくないので、ここであらすじに触れるのを止める。国も社会的ポジションも全く違うけれど、女としての生きづらさを抱える彼女たち。フェミニズム小説らしいけれど、そんなジャンルに閉じ込めないでいい。私はインド・イタリア・カナダを旅し、彼女たちの選択を背後霊/守護霊のように見つめ、感情を共にする。そして彼女たちが知ることのない関係を俯瞰で知る。本なんてただの文字の集まりにすぎないのに、なんて色々なことを教えてくれるんだろう。解説もついているので後でその深さを知ることもできる。映画監督でもあるフランス人のレティシア・コロンバニによって綴られたこの本は32か国で翻訳決定だそう。場所は違っても、同じ時間を生きる人たちが、この気持ちをきっと共有しているのだろう。新井賞、間違いない。

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