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日本語取り出し授業で 忘れてはならないと思う心構え

海外ルーツの中学生の日本語取り出し授業をしていると、学習内容が比較的すぐ理解できる生徒と、そうでない生徒がいる。

前者の場合、授業がさくさく進むことも多いため、ある程度こちらの予想通りの展開パターンになる。

問題が後者の場合。
一応、授業に臨むにあたり「今日はここまでやろう」という見通しを持ってはいるけど、この通り進んだことはない。こちらの思いのかけないところでつまずき、ストップ。

「これは、先週やったよね~。もう知ってるはずだよね~。」
と、私は心の中で叫びつつ、また身近な例で導入し、発言してもらい、思い出してもらう。

「わかりました~。」その都度、元気に返事してくれる彼。しかし、次の時間、また同じところで同じミス。

それで思ったのだ。

教員は「100回教える・伝える」心構えを持つ必要があるということを。

これは、ある学習内容を、その時に100回説明するというのではない。以後何回かに分けて、折りに触れ、繰り返し繰り返し、「これ、勉強したね?覚えてる?」などと話しかけながら、スルッ、スルッと確認、復習、説明を加えるというもの。

そうしたら、37回目あたりで理解してくれるかもしれないし、彼にとって難しいものだったら、ジャスト100回目で

満面の笑みと共に「わかった!!!」と、なるかもしれない。

いずれにせよ、きちんと学習内容が彼の体の中に入り込み、一体化し、使える段階までいければ、本当に身に付いたことになる。こうなってくれたら、私は一つ役目が終えられる。


振り返ってみると、私も子どもの頃、あらゆることに飲み込みが遅いほうだった。とりわけ小学生の時には、先生の説明と全然違うことをやっていて、再三叱られたし、習っていたピアノの先生からは、「こんなに弾けない人は見たことない」と、匙を投げられたりした。

当時の私はそれなりに、一生懸命やっていたのだ。(と、自分では思っている。)でも、すぐ頭の中で理解できず、行動できなかった。

大人になった今、人間には「一を聞いて十を知る」タイプの人もいるし、ゆっくりゆっくり少しずつ理解していく人もいるということが、ようやくわかってきたのだ。

であれば、教える側が数回やっただけで「どうしてわからないの?できないの?」と思うのは、早急で、不適切ではないのか。こちらが、「なんで理解できないのか?」という気持ちをぐっと抑えて、「じゃ、少しずつこれから100回ほど伝えるうちに、理解してくれるかな?」と視点を変えれば、現状が少しは、打開できるのではないだろうか。

一方で定期試験や受験が迫り、とても教える側がトータル100回説明するなんて、時間的に無理というのも、うなずける。

でも、そういう状況下であっても、教える方はこの気持ちを忘れてはならないと個人的に思うのだ。その気持ちが学習者に伝わり、良い学習効果へとつながり、彼らの人生の片隅を照らすきっかけになるようにも感じるから。私は、本当に「わかった!」ときの笑顔の彼らを見たい。

さあ、少しでも彼らの力になれるように。
私も毎回毎回、あちこちぶつかりながらも、前に進んでいきたいと思う。




・長文をお読みいただき、ありがとうございました。





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