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#51 心理的安全 もう一つのアプローチ~山藤賢×山田博『森のような経営 社員が驚くほど自由で生き生きする。「心理的安全性」に溢れた組織づくり』より~|学校づくりのスパイス

 学校のみならず、組織における心理的安全性の重要性がさまざまなところで指摘されています。今回はこのテーマについて『森のような経営 社員が驚くほど自由で生き生きする。「心理的安全」に溢れた組織づくり』(ワニ・プラス、2021年)を手がかりに考えてみたいと思います。

 筆者の一人、山藤氏はサッカー日本代表・なでしこジャパンのチームドクターとして世界一に貢献した医師で、現在は医療法人の理事長をされている方、もう一人の山田氏は「株式会社森へ」の設立者であり、森林を活用したリトリート(日常から離れて心や体を癒す活動)の第一人者です。この本は二人が森に入ることを通じて生じた心の軌跡が対談のかたちでまとめられたものです。

心理的安全性のジレンマ

 職場における心理的な安全が強調されるようになってきたのは、裏を返せば、今日の職場では十分な安心感が得られにくいということであるとも考えられます。そして、不安の要因の筆頭にあげられるのが急速な社会変化です。社会が安定していて今後も現在の状況が続くと感じられれば、(人によっては退屈かもしれませんが)不安を感じることは少ないでしょう。

 だから「不易」を強調することで安心感を高めるという方法が一つにはあり得ます。学校の管理職が世間の風潮や新しい取り組みには手を出さず、「凡事徹底」のかけ声のもと日々の授業に専念することを強調しておけば、一時的な心理的安全は確保されるかもしれません。

 ところが一方で、今日の学校を取り巻く環境は急激に変化しています。感染症の影響、産業社会の変容による学力観の国際的変化、DXを背景とした新テクノロジーの導入などは、個別改善で対応可能なものではなく、学校教育の構造自体の転換を迫るものです。

 その結果、変化を避けるというアプローチで心理的安全を追求しようとするほど、新たな試みには消極的になり、学校と社会の間の乖離が拡大していく可能性があります。そうなれば、責任感が強い人ほど、学校の現状が本当にこのままでいいのかと、逆に不安になっていっても無理はありません。

山藤賢×山田博『森のような経営 社員が驚くほど自由で生き生きする。「心理的安全性」に溢れた組織づくり』ワニ・プラス

開き直りのススメ

 この本のテーマは副題にあるとおり「心理的安全性」ですが、何にどう対応するのかというノウハウではなく、一人ひとりの人間にとっての変化への向き合い方が主題とされています。

 心理的安全性とは、端的に言えば「大丈夫だ」と思える気持ちのことですが、この心の安全にユニークな角度からアプローチしているのがこの本のおもしろいところです。

 筆者の一人の山藤氏は自身の経営する医療専門学校が経営に行きづまるなかで、山田氏の開催しているリトリートに何度も参加してきたようなのですが、そこから生じた経営観の変化を次のように吐露しています。「会社の経営が傾くようなことが起こっても、会社が潰れたって別に大変じゃないんですよ(中略)『会社が潰れたら何が大変なの?』という風に向き合うような感覚になっているのです」(140頁)。

 経営者としては、ちょっと無責任にも聞こえる発言ですが、そんなふうに考えられる背景には「森」の存在があるようです。

 たとえば、この本には山田氏の言葉としてこんな一節が出てきます。

 「庭に出るたび『今日も元気そうだな』なんて毎日思って見ていた木がポキッと折れた。人間としては『折れてほしくなかった』と思って悲しい。(中略)でも自然界の摂理で考えたら、その感情はフェアじゃないと思うんですよね。自然界では強い風が吹けば弱い木は倒れるものですから」(93頁)。

 ここでは森という存在が、急速に変化する世界の中で自分に向き合う際の「鏡」として機能しています。森の中に身を置き全身で命を感じることで、世界に対する自己の向き合い方を見つめ直してみる、というところに山田氏が進めてきた「森のリトリート」の醍醐味があるようです。

 筆者もときどき、仕事に煮つまったときなどに大学の裏山を散歩することがありますが、自然の中に身を置いていると、別に問題が解決されるわけではなくとも「なるようになる」と思えてきます(そして実際に100パーセントなるようになります)。

 そうやってすべては変化していくものと腹をくくることができれば、心配してもしょうがないと感じるようになるから不思議です。

 平たく言うとこれは「開き直り」にほかなりません。

 ですが開き直るということが、学校を含む今日の職場の心理的環境においては、実は、非常に有効な方策なのではないかと筆者は考えています。

 というのも、どんなに一生懸命努力してみたところで不安の種は尽きないからです。そして不安になったからといって何かが解決されるわけでもありません。

山田氏は2020年から始まった感染症流行に対しても次のような心持ちを述べています。「人間のやってきたことを全部、度外視するようなこの出来事に対して、『なんでだよ』『理不尽だ』と感じてしまうのは仕方がないけれども、人間もこの生態系の一員である以上、起こることは起こるんですよね。愚痴を言っても仕方がない。それでもこの世界で生きていく。そう思える心」(99頁)。

 そしてこれまた逆説的ですが「なるようになる」と考えられるようになると、目の前の危機が対応可能な場合には、危機回避のために対応策を見つけて行動に移すスピードも早くなります。人をして変化や行動を躊躇させるのは、事態そのものよりもそれが引き起こす不安や心配であり、それらがなくなれば、判断力や行動力もアップするであろうからです。

 筆者はこの本を読んで江戸時代の禅僧、良寛和尚の言葉を思い出しました。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候」

【Tips】
▼「株式会社森へ」の運営する「森のリトリート」のページはこちら。

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。

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