「鬼滅の刃」を鬼を搾取する側、人間を搾取される側と考えて読み直すと、号泣する

人は、ずっと賢く強くはいられない。
初めは弱く生まれて、成長とともに強くなり賢くなり、それもまた老いや病気や怪我などいろいろな要因で弱くなり、最後は死ぬ。いろんな年齢の人の成長と衰退が重なって社会に存在する事で、未来に命が繋がっていく。

強いものが弱いものから奪う社会では、命が繋がりにくくなってしまう。年功序列で必要以上に老人が若者のお金をとっていないか、学歴社会を勝った人たち正社員が、学歴社会で負けた人たち契約社員から、必要以上にお金をとっていないか。言語的弱者である外国の人達の労働力を安すぎる賃金で使っていないか。また、それらのルールや価値観の問題を年齢、自己責任や国籍の違いなどもっともらしい理由をつけて見えにくくしていないか。

年功序列は、組織に長く所属することで経験が増えて技術が向上するなど貢献度が高くなる利点や、子どもがいればそれで教育費を賄っている面を考えると、必ずしも若者から奪う仕組みとは言い切れない。ただ、年功序列のレールに乗った人の給与を支えるために非正規雇用など不利な雇用条件の元で働く人がいて成立している事を考えると、少し年上の人がもらいすぎていて、今より緩やかな賃金上昇である事が望ましいと考える。また、併せて教育の無償化が進む必要があると思う。

また、学力の差について教員の経験から思うことは、努力の差も影響するが、生まれついての得意不得意があり、真面目に頑張って学んでいても理解するのが難しい子はいる。それを自己責任とする事は非情だと感じる。

外国人労働者については、受け入れること自体は良いと思うが、その労働者の結婚や子育てまで社会で受け入れる価値観や制度を作って欲しい。その労働者の子どもたちの幸せの為に、安すぎる賃金で働かせる制度は正しくない事が分かる。また、社会の一員として受け入れるためには言語的弱者である保護者や子どもたちにサポートが必要なことも併せて考えて欲しい。

まだ思いつく事はあるが、書ききれない程の搾取と被搾取の関係が思い浮かび、それに対する憤りが鬼に立ち向かう人間の気持ちと重なり、泣けてくる。

人はずっと強いままでは生きられないから、強いものが弱いものから奪うのではなく、強いものが弱いものを守りつつ分かち合う価値観や制度にしたい。

全て平等にしたいというわけではない。年長者を大切にしたいし、競争によって向上心を持って学ぶことは良いし、ただ、賢く強いものが搾取しすぎていないか気をつけたいし、社会のルールや価値観を作る時に気をつけて欲しいと思う。

そしてこの心の叫びを実際に叫ぶ為にいつか政治家になれたらと思う。

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