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まだ見ぬ私の宝物に恋してる

人生の節目節目に何か特別なものを自分に贈りたい。
例えばそれは晴れて成人となった20歳の誕生日。(今年から18歳になるのかな)
大人の階段を大きく一歩上った気がした30歳の誕生日。
それとも結婚十周年記念?

私にとっての「特別なもの」その筆頭はやっぱりジュエリーだ。
ジュエリーと言うとついつい叶姉妹やデヴィ夫人の指に輝くとんでもないサイズのまばゆい石の姿を想像してしまうが、まあ当然、庶民の私がお求め出来る範囲のかわいいものを含んでいる。

20歳の誕生日には普段記念日などの浮かれた催し物に興味を示さない無骨な父からダイヤのネックレスをプレゼントしてもらった。
信頼できる郷土のデパート(良い買い物をする時はここ一択)で一緒に選んだのは当時流行っていたクロスモチーフのノーブランドのもの。

田舎生まれ田舎育ちの私は、漁師の息子である父を引き連れて「ティファニー」などの有名なブランドに入店するなど恐れ多くて出来なかった。
それどころか父とデパートに足を踏み入れるだけでもちょっとした緊張感があった。

初めての私のダイヤモンドはデパートの照明に照らされ、清らかな透明感のある輝きを放っていた。
ちいさなクロスのネックレスは、父に買ってもらったその日から何年も何年も私の首元でお守りのように輝き続けてくれた。

クロスモチーフのネックレスと聞くと今の流行じゃない気がするが、それは中指の爪くらいの小ぶりのサイズでころりとした印象がとても可愛らしく、今つけても違和感ないだろうと思える。
今でも大事にしまっていて、時々取り出しては眺め輝きを確認する。
宝石は永遠に輝きを失わない。

話は少し遡るが、私のファーストピアスは高校卒業直後だ。
ずっとピアスに憧れていた私に母がサプライズプレゼントしてくれた。
購入場所はなんと、幼き頃友人Mが縄張りにしていたあのサンリブ
しかし侮るなかれ。当時サンリブには宝石店もちゃんと入っていたのだ。

母が選んでくれたのは清楚な雰囲気で柔らかに輝くムーンストーンのピアスだった。
ピアスの穴をあけるまで毎日のように眺め、耳元に持っていき鏡で確認しては胸をときめかせていたあの頃。
穴をあけてからは一年中このピアスを付けていた。
その後自分で買ったたくさんのその他のものよりも母がサプライズで選んでくれたこのピアスが私にとっては一番大切なものだった。

婚約指輪然り、結婚指輪然り。
記念日に自分で自分に贈ったり、もしくは誰か大切な人に贈ってもらったりしたものたちは、それがプチプライスのものであっても、私にとっては思い出という付加価値がつき、何物にも代えがたい宝物となってきた。

さて、今年私はまた一つ大きな人生の節目を迎えた。
そんな私に何か記念になるものを買いなよと、夫は臨時収入で得たお金を丸ごと私に差し出してくれた。

余談ではあるが占いなどで「今月は臨時収入に期待大!」などというフレーズを聞くたびに、臨時収入って何?そんなものがほんとにこの世にあるの状態の私だが、今回我が家にあったのだ、「臨時収入」というやつが。

はえ~、臨時収入なんてほんとに存在したんだ~
超絶庶民の我々夫婦にとって収入とは毎月決まった日に入ってくる定額の給与だけであるからに、最初で最後かもしれない今回の臨時収入には小躍りであった。

財布の紐が開かずの扉である私は脊髄反射で「臨時収入⇒貯金!!」であったが、夫はその辺が緩いというか柔軟だ。
彼のこの柔軟さは彼の母親譲りであり、彼らのこのちょっとした緩さが時に日常生活に彩りを与えてくれることを結婚後に知った。

そもそも入ってくる予定じゃなかったお金=あぶく銭が私の人生の節目の年に入ってきた。これは記念日を祝えと言う天啓である、そう夫は主張した。

最初は「いや~、だって~」などと戸惑い半分喜び半分で身をくねらせていた私も半月後には受け取る決心を固めた。
さらに少し前に支給されたボーナスを足して軍資金とした。

そして先週、私よりも熱心に日々ブランドサイトを覗いて商品チェックに勤しむ夫と、とうとう下調べと称し街へ繰り出した。

シャネル、TASAKI、MIKIMOTO、カルティエ、OMEGAなど大御所を順番に見て回る。
目指すは70歳になった私が大事に付け続けている定番ジュエリーだ。
第一希望はなんといってもリングである。
加齢に負けない、堂々とした存在感と輝きが欲しい。
加齢をむしろ指の上で寿いでくれているような美しさが欲しい。

カルティエで店員さんに接客されていた私を夫が店の奥から呼んだ。
「たいたいちゃん、これ良さそうだよ!」
時計コーナーにいる夫のもとに私が向かう。抜かりなく店員さんも付いてくる。
「これこれ、このゴールドの方!」

夫が目を輝かせて指さす時計のお値段なんと200万円超え。
どうした!?気でも狂ったか!?
それなりの金額を準備したとはいえ、さすがに200万超えは予算外である。

店員さんに焦りと動揺を気取られまいと静かに生唾を飲み込んでゆっくりとほほ笑む。
「いいわね~。可愛いねぇ(可愛くて当然だ200万だぞ)」
夫の目を覗き込むと一点の曇りもない。
なさ過ぎて確信する。
夫…桁一つ読み違えてんな。

カルティエの洗練された店内で「ぎゃはは!まるが一個多いって~!ウケるんですけど~!」などと安い振る舞いをしたくないという矜持。
「こっちの…ゴールドじゃない方の時計とデザインは一緒なのに値段が随分違いますねぇ」
セレブ然としたおっとりとした口調を装い、あくまでも店員さんとよもやま話をしている体で夫の心に語り掛ける。
値・段・が・全・然・違・い・ま・す・ね

その後私と店員さんの会話から、自分が値段を勘違いしていたことに無事気づいた夫は、そ~っとその場から気配を消した。

記念日の贈り物は、購入する前も後も楽しい。
素敵なお店に入るためにオシャレをして出かけること。
ああじゃない、こうじゃないといってあちらこちらのお店を回り、大切に保管されている輝く商品たちに触れる喜び。
選ぶ楽しみ、悩む楽しみ。
ドキドキしながらお支払いをし、これ以上なく素敵に包装された商品を手にする瞬間のときめき。
恭しくお見送りされてお店を出た足で興奮冷めやらぬまま向かう喫茶店。

それから、自分のものとなったジュエリーを身につけて過ごすこれからの時間。
過去の思い出と未来の思い出がこの一つの輝く石に紡がれていく。

私と夫は既に、まだ見ぬ未来の私の宝物に楽しい思い出を刻み始めている。
何を買うか決まってもいない今の時点で既に、いつか手にすることになる「なにか」が私の宝物になりつつあるのだ。

まだ見ぬ宝物に思いを馳せて、さあ、宝探しは8月に続く。


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