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備忘録

2023年11月15日、池田大作死去の発表があったのは周知のとおり。

それに関連して私の家族の話を備忘録として少し残しておこうと思う。

雑な文章で恐縮ですが、ご興味ある方もどうぞお読み下さい。

私の生まれた家は新興宗教禁止だった。

昭和の時代のごく普通の一般家庭だった、いや、はずだった…はずだったのに…
兄と姉2人が社会人になってから創価学会に取り憑かれた。

その後、母もこの2人に誘導され言われるままに入信した。

家族の機能不全はこの時から徐々に現実化していった。

父は反対していたから、母が亡くなった時はホントに驚くような事が起こった。

亡くなったその日に、赤の他人の学会員達がやって来て「骨は学会の寺に持って行く」と父に食って掛かり、騒いだのだ。

土足で家に入ってくるような非常識な行為、人としてあり得ない人達だった。

生前、お墓はどうするのかを話し合っていなかった故もあり、ずっと母は父の菩提寺に眠っている。

そして私にも創価学会との悪縁がある。
黒歴史といってもいいだろう。

私は高校卒業してから20代前半まで心を病んでいた。そして判断力が鈍っていた時期のある日、半ば強制的に車に押し込まれ、学会の寺に連れて行かれた。

あっという間の入信だった。

後に創価学会は日蓮正宗と揉め、破門されたよね。

あの時は何がなにやら分からず、あれよあれよと事が運び、その時の記憶が飛んでるほど
酷いトラウマだ。
善意と正義を盾に、本人の意志など無視だった。

当時の自分は浅はかな考えしか持ち合わせていなかった為、その状況を受け入れてしまった。集会にも出たりして無知なただの馬鹿だった。

選挙の時は1人何人とノルマが課せられ、投票依頼の電話攻撃を命じられたが、私は一度もそれはやらなかった、というより恥ずかしくて出来なかったのだ。そのくらい自分には違和感のある事だった。
その時初めて組織票なんてものがある事も知り、おかしな集団という気持ちも芽生え始めていた。

元々心を病んだ頃、日蓮宗の教えに(創価学会、日蓮正宗とは全く無縁)傾倒した時もあったので信教の自由は容認していた。
当時はそのくらいの認識しかなかった。

幸いにも私はその後、創価学会嫌いの結婚相手との出会いで脱会へと目が覚めていった。

時代は昭和の終わり辺りだったと思う。

新興宗教とは何かの根本部分と政教分離を調べ、図書館などで情報収集しながら独自で考えていると宗教のカラクリが見えてきて、自分はそこに居てはいけない、という嫌悪感が増していった。

詳しくはここでは語り尽くせないので省くが、創価学会から離れるようになると執拗な脱会阻止の攻撃も多々あった。

姉は私が彼氏に洗脳されたと思い込んだらしく、頭でっかちと言われたり、操り人形と学会員から言われたり、相手と別れるようにと近所の婦人部の人から長文の手紙を送り付けられたりもした。
姉の私への偏愛による監視や嫉妬の為せる業。。。

よく「創価学会をやめたら地獄に落ちる」と信者から言われると聞くが、私も実際信者の年配女性に言われた事があるので、この話は事実。
私が思うに、末端の信者程この言葉を信じ、または脱会阻止の常套句にしていると考えている。

おそろしい事だ。

結婚を期に、幹部に創価学会と縁を切る旨を伝えたが確実に書類などで脱会手続きをしたわけではない。
後に転勤で引っ越しをすると、その度に学会員が家に訪ねて来て迷惑しかなかった。

悪質な訪問販売しかり、その他巷にもよく居るが、善意の押し売りはホントに迷惑、少なくとも私には必要ない。

現在は学会ときょうだいとも一切関わりを持っていないが、兄嫁が私の事を嗅ぎ回っているようだ。

間違いない‼

気味が悪い。

池田大作死去に共ない、タブー視されていた学会の闇が炙り出され、旧統一教会同様世間に知れ渡る事を切に願う。

以上、雑記でした。

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