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香港 戦争の記憶と伝承に挑む④「香港の歴史の『分水嶺」』を共有したい」 Watershed Hong Kong 葉坤杰さん

第2次世界大戦中の旧日本軍による香港の戦い、英国軍からすれば香港防衛戦を巡り、数年前から香港メディアで関連の活動を紹介されるようになったのが、民間歴史研究・活動グループ「Watershed Hong Kong(ウォーターシェッド・ホンコン)」だ。

設立メンバーは当時全員が20代で、これまでの著名な歴史学者や研究者と比べるとはるかに下の世代となる。調査研究だけでなく、軍服の着用など「再現」を伴う戦争遺跡ツアーのほか、ソーシャルメディアを駆使した情報収集や発信、幅広いネットワークが強みだ。代表の葉坤杰さんに話を聞いた。

■戦死した先輩たち

ーー香港の歴史に興味を持ったのはいつごろですか。きっかけは何だったのでしょうか。

(香港北西部である新界地区の)元朗で生まれ、育ちました。進学した香港大学では日本研究と歷史を専攻し、2015年に卒業しました。現在、香港大学の職員として働いています。大学を卒業した15年に他の友人と「Watershed Hong Kong(ウォーターシェッド・ホンコン)」を立ち上げました。

中学(日本の中学・高校に相当)時代は、香港の歴史にあまり関心がありませんでした。関心があったのは主に中国史や西洋史、日本史などです。しかし大学卒業間近になって、自分が住んでいた宿舎ではもともと、第2次世界大戦で香港義勇防衛軍の兵士として参加し、戦死した先輩が6人もいたことに気づいたんです。香港の戦争の歴史と自分との距離が、突然、一気に縮まったような気がして、関心がどんどん強くなっていきました。 

ーーWatershed Hong Kong設立の目的は。主な活動を教えてください。

わたしたちは ソーシャルメディアのプラットフォームを通じて、香港の歴史の分水嶺を共有したいと考えました。これが名称の由来です。なので、香港の戦争の歴史の共有に力を入れるだけでなく、さまざまな時代の転換点も取り扱っています。 

(1941年12月の太平洋戦争開戦から75年目だった)2016年には、英国で行われていた歴史的な事象の再現(リエナクメント)活動を参考に「The Living Monuments(ザ・リビング・モニュメント)」というイベントを香港で開催しました。かつて香港義勇防衛軍が通った場所で同軍の兵士に扮して戦争当時の出来事を再現し、メディアで大きく取り上げられました。その後、わたしたちが企画する戦跡ツアーではこの再現要素を取り入れるようになりました。定期的に学校で展示・共有する取り組みやボランティア活動をしています。映画のコンサルタントを務めたこともあります。

わたしたちのツアーでは、香港に侵攻してきた旧日本軍と英国防衛軍の軍服や装備品の紹介を同時に行うようにしています。参加者には一方的な理解ではなく、双方を総合的に理解してもらいたいと考えているからです。日本に対しては、多くの人がよく知らないか、誤解している面もきっとあるので、特に新鮮に映ることでしょう。

戦跡ツアーの参加者に説明をする葉坤杰さん(中央)=2023年3月19日午前、香港島・摩星嶺

■全ての世代に向けて

ーー21年11月に『香港保衛戦紀ーー18個需要記住的香港故事』をWatershed Hong Kongとして上梓されました。原動力は何だったのでしょうか。

出版前にインターネットや実地で多くの周知活動を行っていましたが、20年に本はかなり重要だと思い至り、準備を始めました。 印刷された本というのは、多くの人が「世の中に残しておく価値がある」と感じたからこそ、具現化されたものでしょう。

41年の香港防衛戦に関して、わたしたちはお年寄りから若者まで気楽に読める本を作りたいと考えました。内容は、人物から時代を理解できるよう、なるべく異なる民族、戦争の段階、要素を取り上げることを意識し、挿絵と文を併用に努めました。子どもや学生を含むあらゆるレベルの読者に適しています。 次の世代が成長する過程で、図書館や書店でこの本に出合ってもらえればうれしいです。

ーー最も苦労したことは。

最も難しかったのは、人物と題材を選ぶことでした。ページ数で200ページ前後という制限があるなかで、18人のエピソードに絞りました。本の内容をだらだらと長くしたくなかったので、全ての人を扱うようなことはしませんでした。元兵士やその子孫へのインタビューも、困難を伴いました。元兵士は当時すでに90歳を超えており、他界した人も多かった。言葉が通じない元インド人兵士との接触は特に難しかったのですが、幸運なことに香港島・中環(セントラル)で、ある元インド人兵士の子孫がたまたま働いていることが分かって、連絡を取ることに成功しました。

■敵は永遠に敵ではない

ーー個人の活動として、香港で毎年11月に開催される和平(平和)記念日の式典に儀仗隊として参加されています。大事にしていることは何ですか。

2015年に自ら志願し、青少年制服団体の一員に加わりました。22年の式典で儀仗隊の指揮官を務めることができたのはとても光栄なことでした。わたし自身は「知行合一」を信条にしています。軍事が好きである以上は自己鍛錬し、自ら訓練や儀式案件に身を置く仕事の経験を通じて社会に貢献していきたいと考えています。

22年の和平記念日の式典では儀仗隊の指揮官(右から3番目)を務めた=香港島・中環(葉さん提供)

和平記念日の式典は1923年に始まりました。今年はちょうど 100周年を迎えますが、香港の長い歴史を目の当たりにすることになります。さらに重要なことは、過去に多くの香港人が戦争中に犠牲になったことを深く心に刻み、忘れないことです。

伝統や儀式を継承する最も良い方法は、身をもって参加することでしょう。参加して初めて、伝統は生き、受け継がれていくと考えます。

ーー香港では日本の香港占領期を「三年零八個月(3年8カ月)」と表現し、非常に辛い時代だったと伝えています。葉さん自身は日本研究を専攻し日本語も話せますが、過去の歴史をどう捉えていますか。日本や日本人に対して、何か言いたいことはありますか。

日本占領下の香港で、一般市民の生活は非常に困窮して苦しく、中国本土に強制的に送還された人もたくさんいました。わたしたち若い世代は、過去の日本侵略で受けた惨禍を認識しています。同時に、日本のテレビドラマやアニメ、デパート、飲食文化も成長の過程の一部だったため、前の世代と比べると、身を切り裂くような痛みは少ないかもしれません。一方で、日本人の物事への真面目さや細やかな気配りは素晴らしいと思っています。

日本と英国はかつて、1902年から20年の長きにわたり同盟関係を結んでいました。しかし、そのさらに20年後の1941年には敵対することになりました。国際関係の変化は予測できず、第2次世界大戦で敵だったとしても、永遠に敵であるとは限りません。憎しみは平和をもたらしません。より重要なことは戦争の惨禍をはっきりと認識することです。わたしたちは将来の戦争を回避するとともに、香港と日本の友好関係が長く続くよう願っています。

ーー今後の目標を教えてください。

新型コロナウイルスの流行が落ち着き、各学校の協力で戦跡ツアーがとても増えています。持続可能な活動モデルをつくり、続けていけるよう努力していきたい。41年の香港防衛戦とその関係者を巡る話が、いずれは香港の人々にとって(皆が知っているという)「常識」になってもらいたいです。一般市民の歴史への理解を深め、幅を広げていければ。今後は退役軍人へのインタビューを計画しています。将来的には再び本にまとめ、出版したいです。

1923年に建立された和平記念碑。中国返還後も毎年11月に和平記念日の式典が開催されている=香港島・中環

〈略歴〉葉坤杰 Taurus Yip
1992年5月香港生まれ。2015年に香港大学日本研究/歷史専攻を卒業後、働くかたわらWatershed Hong Kongを設立。16年から香港大の職員として大学発スタートアップ支援などに携わる。21年11月に初の著書『香港保衛戦紀ーー18個需要記住的香港故事』を出版。Watershed Hong Kongの活動は主に週末に行っている。

   *** 筆者から 「実演」が語るもの ***     

今年3月19日、葉さんらWatershedメンバーが企画した、香港島最西端にある摩星嶺砲台跡を巡るツアーに参加した。午前と午後の2部に分かれており、筆者は午前の部に参加。曇り空の下、地下鉄ケネディータウン駅そばの公園に30人ほどが集まった。10~20代の若者や家族連れが目立った。

摩星嶺(標高260メートル)の山頂にある砲台跡に自力で行く場合は、最寄りのバス停を降りた後、アスファルト道を30分ほど登る必要があるが、この日は手配されたバスとタクシーに分かれ、山頂付近まで移動した。Watershedからは、葉さんのほか、 主要メンバーであるフアンさんとヘイさんが参加した。

現地に到着すると早速、葉さんの説明が始まった。Watershedのツアーは、第2次世界大戦だけでなく、香港の歴史をさかのぼり、香港の位置付けや国際情勢を含めて多角的に解説する点に特徴がある。「なぜ砲台が造られたのでしょうか」「気が付いたことはありませんか」など各所で問い掛けが行われる。参加者の質問に答えながら進められ、ツアーというよりフィールドワークに近い。
 
圧巻は「実演」だろう。フアンさんが英兵、ヘイさんが日本兵に扮して、それぞれ軍服と軍靴、装備品の用途や使い方の説明などを行った。説明を終えると、英軍の携帯用ガーゼや日本軍の千人針の腹巻など装備品の一部を参加者に手渡し、実際に触れる機会を持てるようにしていた。参加者は皆、説明の間中、食い入るように見つめ、熱心に聞き入っていたのが印象的だった。

■許す。でも忘れない

フリーランスの陶芸家、林沛賢さん(22)は筆者に対し参加の動機について「歴史をあまり知らなかったけど、香港でどんなことが起きていたのか知るチャンスだと思った」と話した。中学生のアンドリューくん(15)は戦争映画を見て戦争の歴史に関心を持ったとし「映画で見るのとは違う。戦争は二度と起きてほしくない」と語った。

林さんやアンドリューくんに限らず、多くの参加者が「また参加したい」と語り、特に実演が印象に残ったと口をそろえた。実演を取り入れたのは「参加者に両国の工業力や装備の差に対する理解や、深い体験を残したい」(フアンさん)からだという。

戦争体験の継承活動にとって、より若い世代にどんなツールでアプローチしていくかも重要だろう。10~20代の参加者の多くが、画像共有アプリの「インスタグラム」を見てこの日の活動を知ったと話していた。主催のWatershedメンバーが比較的若く、気楽に参加できそうという雰囲気も後押ししたようだ。

フアンさんの言葉が印象的に残った。「両国の国民も戦争は望んでいなかった。(参加者には)許す。でも忘れないという気持ちで生きてもらいたい。憎しみが生まれることは望んでいない」。

香港で、次の世代への継承の芽は着実に育っている。

摩星嶺砲台 1900年代初頭に着工し、1912年に完成。ビクトリア港西部の防御を目的に設置された軍事施設で当初は大砲5門が設置された。30年代に入り、うち2門を香港島南部の赤柱砲台に移設。37年に日本と中国が全面戦争に突入すると英政府が方針を変え、同砲台の防衛能力が強化された。41年12月の太平洋戦争では旧日本軍から猛攻撃を受け、今も弾痕などが残る。現在、2級歴史建築に指定されている。

摩星嶺砲台跡の一角

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